前回は「「木戸と大久保」が全ての伊藤博文〜維新の英傑たちへの思い・幕末維新から明治を駆け抜けた伊藤・「維新の後輩」から大躍進〜」の話でした。
「何はともあれ大久保と木戸」の人生:伊藤が見た維新の四傑

伊藤博文が語った直話を編纂した「伊藤公直話」という書籍があります。
1936年発刊の「伊藤公直話」は、伊藤らしい軽快な口調で語られています。
第三者による編纂であり、伊藤の死後27年経過しています。
そのため、伊藤自身が本書を認めた訳ではないため、その内容の信憑性は慎重に検討が必要です。
その一方で、書かれている内容は、伊藤の人生と驚くほど一致していると考えます。
そして、記載されている内容の相互に不一致等は、ほとんど見受けられません。
そのため、筆者は、本書の内容は「伊藤が話した内容として、ある程度の信頼性がある」と考えます。
| 語る対象 | ページ数 | 割合 |
| 大久保利通 | 15 | 20% |
| 木戸孝允 | 22.5 | 30% |
| 西郷隆盛(南州) | 1 | 1% |
| 岩倉具視 | 11 | 15% |
| その他 | 25 | 34% |
| 合計 | 74.5 | 100% |
今回は、伊藤が語る人物談のページ数の割合に注目します。
伊藤が語った対象は幅広く、同僚の山縣有朋、井上馨らに対しても、かなり語っているはずです。
「伊藤公直話」は主に目上の人、過去の人を対象とした人物談をまとめたと思われます。
・薩摩:西郷隆盛・大久保利通
・長州:木戸孝允
・公家:岩倉具視
この中で、大久保利通が約20%、木戸孝允が約30%と圧倒的な分量です。
岩倉に対しても、15%ほどと、かなり語っています。

伊藤博文とにかく、大久保さんと
木戸さんあっての伊藤だ・・・
伊藤博文にとっては、何はともあれ大久保利通と木戸孝允であったのでしょう。
西郷隆盛に対して冷たい伊藤博文:「豪傑だが、守成の人ではない」


現代の視点であれば、最も語られるべき対象であるのは西郷隆盛です。
幕末維新から明治期にかけての書籍や雑誌は多数ありますが、西郷隆盛は圧倒的に多いです。
それにも関わらず、初代内閣総理大臣・伊藤博文は西郷を極めて軽く扱っています。
現代の感覚であれば、人物談の少なくとも20%は割かれるべき対象である西郷隆盛。
それが、「伊藤公直話」では、極めて分量が薄いです。
伊藤博文が、「伊藤公直話」で語る「西郷像」を見てみましょう。



西郷南州は
天稟の大度で・・・



泰山の群峰を抜く
趣きがあった・・・
少し難しい「天稟」という言葉が出てきますが、天稟は生まれつきの才能・天性です。
西郷に対しては、「泰山の群峰を抜く」とドッシリ構えた人物であったと評した伊藤。



そうして国を憂うる
真情が深かった・・・



徳望は盛んなもので
あったが、政治上の識見はというと・・・



ちと人物より劣っていたかも
知れぬ・・・
西郷の「人物は立派だった」が、政治の識見は「大したことがなかった」と言った伊藤。



自分でも政府に立つことを
嫌っていた・・・



盲目判(めくらばん)を
捺すことが嫌で堪らないから・・・



部下を引き連れて、北海道に行くと
いうことを企てたことがあったが・・・



それが模様が変になって
私学校となり、西南の変となった・・・
どうやら、西郷に対しては、極めて冷たく、「政府に立つことを嫌っていた」と表現する伊藤。


伊藤らが岩倉たちと一緒に、欧米周遊に出かけていた頃には、



おいどんが留守政府を
切り盛りする!
留守政府を切り盛りして、「事実上の総理大臣」であった西郷隆盛。
この意味では、「本来の初代総理大臣」は西郷隆盛と言えそうです。
それに対して「本物の初代総理大臣」伊藤博文は、かなり辛辣です。
さらに、西郷が「部下を引き連れて、北海道に向かおうとした」点に関しては、諸説あります。
この点に関して、伊藤博文は、「西郷の北海道行きの企図」を明言しました。



とにかく大人物であったが、
むしろ創業の豪傑で・・・



守成の人では
ないようだった・・・
西郷に対しては、「政府を作ってゆくのに相応しい人物ではなかった」と語る伊藤。
これは、伊藤の主観に過ぎませんが、明治政府の巨頭であった伊藤。
伊藤が、西郷隆盛に対して、ここまで冷たい評価を下していたことは、少し驚きです。
この伊藤の「西郷評」からは、当時の「西郷に対する意識」の一部が読み取れます。

