本能寺の変 17〜備中へ出陣した光秀 3〜

前回は「本能寺の変 16〜備中へ出陣した光秀 2〜」の話でした。

織田信長と明智光秀(新歴史紀行)

光秀よ!
猿の援軍へ向かえ!

備中の羽柴秀吉軍への「援軍として出陣」を指示されたと言われる光秀。

明智 光秀(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)

ははっ!

中国地方とは縁が薄い光秀ですが、

いよいよ毛利と決戦か!

大いに勇んだでしょう。

光秀の人生 2(図説明智光秀 柴裕之編著 戎光祥出版)

丹波平定を完了した頃に、光秀は佐久間信盛の追放に伴い、佐久間軍団の大部分を寄騎として預けます。

いわば強力な明智軍団誕生ともいえ、近江・丹波に加え、南の大和を加えると、完全に京を囲みます。

日本の首都・京都を守るのは・・・

我が明智家だ!

織田家では、
私が最も重用されている!

これほどの強力な立場を、光秀に任せた信長。

織田 信長(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)

よほど信長は、光秀を信頼していたのでしょう。

1580年時点ならば、山城周辺は織田家直轄地にしても良かったように思います。

信忠は岐阜・尾張中心としても、他の子供たちなど一族に任せてもよかったと思います。

丹波平定後の光秀の領地(図説明智光秀 柴裕之編著 戎光祥出版)

興福寺の影響力が非常に強い大和は、興福寺にゆかりのある筒井に任せたのは合理的でした。

筒井 順慶(Wikipedia)

興福寺の有力宗徒が武士化して、戦国大名となった筒井家。

一時は、松永久秀に大和を追われます。

松永 久秀(Wikipedia)

大和は、
松永のものだ!

くっそ〜!
松永に、してやられた!

その後、信長に降った松永は謀反を企みます。

一度目は許されたものの、二度目は信長に完全包囲され、最後は爆死しました。

その後、筒井順慶が大和国主として返り咲いたのは、光秀の口利きが理由でした。

大和は興福寺ゆかりの
筒井が良いかと。

そうせい!

その筒井が明智の寄騎となるのは「自然の成り行き」でもありました。

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