本能寺の変 18〜備中へ出陣した光秀 4〜

前回は「本能寺の変 17〜備中へ出陣した光秀 3〜」の話でした。

織田信長と明智光秀(新歴史紀行)

本能寺の変後、光秀の援軍要請に対して傍観を決めた筒井順慶。

筒井 順慶(Wikipedia)

家臣を洞ヶ峠に出陣させ、そこで「傍観した」ため、「洞ヶ峠」は「傍観すること」の意味を持ちます。

光秀か、秀吉か
傍観するのだ!

男らしくない筒井順慶。

この件で非常に評価を落とした順慶。

しかし、本能寺の変以前は、僧兵を従える活発な武将でした。

大和を松永から
取り返した!

筒井殿、
しっかり頼みますぞ!

明智殿には、
大きな恩義がある!

寺社勢力は、
この順慶がまとめます。

そして、恩人でもある光秀の寄騎として、筒井は奮戦します。

「明智と筒井の関係」を重視した信長の決断でした。

織田 信長(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)

しかし、興福寺を背景とする筒井の潜在力は、非常に大きな力です。

本願寺・延暦寺と戦い続けた信長。

門徒の結束力は、
あなどれん!

それだけに、奈良で大きな力を持つ興福寺を押さえる筒井家を「明智の寄騎」にしたことは大きな決断でした。

筒井を光秀の下に
つけることは・・・

光秀に興福寺を
従わせることになる。

まあよい。
光秀なら、うまくやるだろう。

さらに仲が良いとは言え、旧幕府からの名家である細川藤孝までも光秀の寄騎とします。

細川 藤孝(Wikipedia)

柴田勝家には、佐々成政・前田利家等の猛将を寄騎としました。

佐々 成政(歴史人2016年12月号 KKベストセラーズ)

かれらの軍事的能力は抜群ですが、影響力は限られます。

非常に大きな影響力を背景に持つ、細川と筒井。

その二人とも光秀の寄騎とした信長。

それだけ、信長は光秀を信頼していたのでした。

1582年の織田家勢力図(別冊歴史人 「戦国武将の全国勢力変遷地図」KKベストセラーズ)

光秀が信長から暴言を浴びせられた・殴られたなどの説は、のちに光秀を倒した後に羽柴秀吉が作った嘘でしょう。

明智光秀が本能寺の変直前には、信長と「関係が最悪になっていた」という「嘘」を作り上げた秀吉。

羽柴 秀吉(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)

信長様に一番重用されていたのは、
この秀吉!

さも自分は「最も信長に大事にされていた」と主張したかったのでしょう。

中国地方への出陣を命じられた光秀には、他に大きな役割がありました。

前将軍 足利 義昭(Wikipedia)

それは、当時毛利家に庇護されていた足利義昭との折衝でした。

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