前回は「本能寺の変 15〜備中へ出陣した光秀 1〜」の話でした。

「秀吉の援軍」を命じられた光秀。

光秀の直轄領の近江・丹波は、京・山城を挟む位置にあります。
そして、光秀の二つの拠点である坂本城と亀山城は京・山城を囲むように位置しています。

信長は、光秀を最初から最後まで重用していて、大事にしていたのでしょう。
そして光秀もそれに懸命に応え、懸命に働いていたのでしょう。

1579年に、光秀は丹波を悪戦苦闘の末に平定します。
その翌1580年に、当時織田家最大の軍団を率いていた佐久間信盛が突然追放されます。


佐久間!
お前は追放だ!



えっ!!!
なぜですか?



第一、
お前は使えない。



そして、昔、余に
逆らった。



一生懸命、
信長様に使えてきたのに・・・
そして、佐久間信盛の寄騎であった丹後・長岡(細川)藤孝や大和・筒井順慶が明智光秀の寄騎となります。



光秀よ!



筒井たちは、
お前の寄騎だ。



有難き幸せ!


長岡も筒井も、もともと光秀とは親しい間柄でした。
この時点で、明智光秀は近畿を支配・差配する立場になったと言えます。



明智軍団は、
非常に強力だ!
羽柴軍団には、名軍師・黒田官兵衛(如水)や弟の羽柴秀長がいます。


と言っても、まだ官兵衛は若手の一人で、立場もそれほど高くありません。
対して、歴戦の士で興福寺と関係があり、大和に根強い力を持った筒井順慶。


そして、幕府とも関係ある名家の細川藤孝。


彼らを光秀の配下においたことは、信長の異常なまでの光秀に対する厚遇を示していたのでした。



光秀!
お前に最も期待しておるぞ!