石谷家文書と本能寺の変の遠因〜明智重臣斎藤利三実兄の石谷頼辰・光秀の所領「近江・丹波から出雲・石見」説・織田家の経済力と「メリット多い」石見銀山〜|本能寺の変13・戦国時代の終焉

前回は「明智光秀叛逆と国替え説〜光秀の夢が詰まった「坂本城」・対浅井朝倉戦に奔走した明智光秀・明智家弱体化の本質・最も損をする信長〜」の話でした。

織田信長と明智光秀(新歴史紀行)
目次

石谷家文書と本能寺の変の遠因:明智重臣・斎藤利三実兄の石谷頼辰

近江 浅井・朝倉戦 後半(図説明智光秀 柴裕之編著 戎光祥出版)

本能寺の変の理由の原因として、大きな理由は怨恨説・光秀の野望説・黒幕説・恐怖説などです。

従来は、この四つの説が主な「本能寺の変の原因」とされてきました。

本能寺の変の理由:従来

・明智光秀の織田信長に対する怨恨説

・明智光秀の「天下の主人になりたい」という野望説

・足利義昭や正親町天皇(朝廷)などの黒幕説

・佐久間信盛、林秀貞らが粛清されるのを見た光秀の「信長への恐怖」

そして、2014年に大きな脚光を浴びたのが「石谷家文書」でした。

新歴史紀行
明智家重臣 斎藤利三(Wikipedia)

明智光秀の重臣であり、「明智軍の軍の要」であった斎藤利三の実兄・石谷頼辰に関わる文書です。

石谷頼辰は長宗我部元親の妻の兄であり、長宗我部家にとって大事な存在でした。

長宗我部家の取次(外交窓口)であった明智光秀にとっても「大事な存在」でした。

その石谷頼辰が関わる「石谷家文書」には、大事なことが記されていました。

「信長の長宗我部家の扱い」が、本能寺の変に関係していることの示唆です。

これほど重要な書類が21世紀になって「初登場した」ことは、歴史界に大変な衝撃を与えました。

今後も、このような「石谷家文書に類する文書」が登場する可能性はあると考えます。

他には、密かに滅亡前の武田家に「内通していた」光秀が「発覚前に暴挙に出た」説もあります。

本能寺の変の理由:新設

・織田信長の長宗我部元親への「四国切り取り次第」空手形化

・明智光秀の「長宗我部取次」の権威・面子失墜

・武田家内通の発覚を恐れた明智光秀の自衛

他にも様々な説がありますが、これらの説は「ある程度の蓋然性がある」と考えます。

いずれにしても「ただ一つの理由」とは考えにくいでしょう。

光秀の所領「近江・丹波から出雲・石見」説

戦国大名 織田信長(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)

光秀が「近江・丹波を召し上げられ、出雲・石見へ領地替えを命じられていた」説があります。

しかも、まだ「毛利領であった出雲・石見」がポイントです。

仮に光秀の所領が、「出雲・石見へ転封」の可能性があったと考えます。

確かに、近江・丹波に比べると当時は「遥かに田舎」となります。

一方で、石見銀山は当時世界的に有名でした。

IwamiのSilverは
品質が良いね!

Iwami-Silverがある
Japanは、黄金の国だ!

さらに、石見銀山から産出される銀は大変重宝されていました。

日本国内のみに視点を向けると、「大都会で豊穣の地から田舎へ」と誤解しがちです。

仮に、石見銀山のある石見を支配できる場合、膨大な銀を産む「玉手箱」を手に入れることになります。

その場合、光秀は大変大きな経済力を持つことができます。

光秀に石見を支配させても、信長は石見銀山を直轄地とすることを考えていたでしょう。

私は経済力を
最重視するのだ!

私の生まれ育った尾張周辺には、
金山・銀山があまりない。

そういえば、信玄が甲斐の金山から
大量の金を得ていたのう。

武田信玄・上杉謙信は金山からの収入が、極めて大きな財源となっていました。

日本海に面した良港を持っていた上杉氏は「日本海の交易」による税収も大きかったです。

上杉 謙信(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)

佐渡の金山は、
上杉家の軍事費の根源だ!

織田家の経済力と「メリット多い」石見銀山

京・山城中心の日本列島(新歴史紀行)

甲斐や佐渡の金山は国内で有名でしたが、国際的に最も有名で価値のある石見銀山。

まあ、経済力は
近畿だけでも十分なのだが・・・

実際、信長が家督を継ぐ頃から、経済力はピカイチだった織田家。

当時は、津島などの湊から上がる現金収入が、織田家の力の源泉でした。

そして、尾張から美濃・近江・伊勢・山城・摂津と、当時の日本の商業中心地を次々手に入れた織田家。

本能寺の変当時の織田家もまた、現金収入が非常に多く「他家を圧倒していた」存在でした。

九州征伐に
光秀を活かせる際に・・・

光秀が九州の大名たちと
戦うのに、多額の軍資金が必要だろう・・・

ならば、石見銀山の
権利を丸ごと光秀にやっても良い・・・

光秀は我が家臣故、
明智家の発展は、すなわち我が織田家の発展だ!

信長は、このように考えたに違いないでしょう。

石見銀山の代官を任されることは、大変名誉で価値のあることでしょう。

さらに、石見銀山から算出される「全ての銀」とまでいかなくても、

一部は、軍事費として
キンカン頭にやっても良かろう・・・

「ある程度の銀の管理」は光秀に任せそうです。

明智 光秀(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)

石見銀山の代官は、
非常に大きなメリットだろう。

産出した銀の半分を
上様に差し出すとしても・・・

膨大な銀が
明智家の手に入る・・・

周辺の山々の開発をすれば、
新たな銀山があるかもしれぬ。

ひょっとしたら、
金山もあるかもしれぬ。

山が多く、後進地域であった山陰地方。

海の向こうは中国・朝鮮でもあります。

明国などと
交易もできるかもしれぬ。

明智家の「出雲・石見への移封」は「創作」であり、「現実にはなかった」と考えます。

そして、この話自体は、それほどデメリットだらけではないでしょう。

この時「出雲・石見への移封」はあったとしても、本能寺の変の原因には「なり得ない」と考えます。

新歴史紀行

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