本能寺の変 14〜「出雲・石見へ転封」説・惟任日向守・光秀と信長〜|原因・神格化する信長

前回は「本能寺の変 13〜「近江・丹波から出雲・石見」説・石見銀山・経済力・光秀と信長の築城〜」の話でした。

織田信長と明智光秀(新歴史紀行)
目次

「出雲・石見へ転封」説

「出雲・石見へ転封」という話は「実際はなかった」と思います。

仮に「一時的に移転」の話があったとしても、それほど悲観的になることでは無いのです。

明智 光秀(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)

織田家で初めて領土を
拝領したのは私。

それ以来、一生懸命に
坂本周辺の領民を慈しんできた。

光秀にとって、長年愛しんできた領民や街の愛着はあったでしょう。

明智光秀の人生をみていると、その程度のことは割り切れるドライな精神も持っていたと考えます。

丹波平定後の光秀の領地(図説明智光秀 柴裕之編著 戎光祥出版)

また、仮に光秀を出雲や九州等に転封させるとしても、信長は坂本周辺は明智領として残したと考えます。

それは、光秀の愛着を信長も知っており、京都周辺における政略に光秀は必要だったからです。

キンカン頭(光秀)がおらぬと、
朝廷・幕府との交渉が困る・・・

前半生が謎の明智光秀は、実際は美濃や越前周辺で過ごしてきたと思われます。

光秀の人生 1(図説明智光秀 柴裕之編著 戎光祥出版)

この明智光秀の過ごしてきたエリア・拠点とした場所を改めて見ると、ずっと近畿です。

私は近畿が
好きなのだ。

光秀の性格や性質を鑑みるに、

近畿周辺で
過ごしたい。

という気持ちはあったでしょう。

「惟任日向守・光秀」の意味

「惟任日向守・光秀」として、九州で戦うのが耐えられなかったのか。

あるいは、天下統一が現実的となった頃から、エスカレートしてきた信長の態度や考え方。

織田 信長(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)

自らを「神」に擬する信長。

余は
第六天魔王なり!

余は
神なのだ!

そして、年々異常に肥大化する信長の性格。

これは、
さすがに・・・・

天皇に実権がない、
とはいえ・・・

我が国は、
天皇・朝廷あってです・・・

光秀よ、
天皇に何ができる?

朝廷が
何をする実行力があるのだ?

南蛮のような強力な国が
あり・・・

隣の明国は、
非常に広大な領土と強力な軍事力を持つ・・・

はっ・・・

南蛮や明のような国々が、
攻め込んできたら、どうするのだ?

天皇や朝廷が
我が国を守ってくれるのか?

いえ、
それは・・・

これで、
分かっただろう!

余の
真意が!

余が、
日本の全てなのだ!

・・・・・

増長に増長を重ね、ついに「神になった」つもりの信長。

まだ
分からんのか!

この発想に、光秀が「ついていけなくなった」のでしょうか。

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