前回は「本能寺の変 11〜光秀の立場 5〜」の話でした。

光秀が、まだ足利義昭にも仕えていた頃の話です。
近江で、織田家が浅井氏と鋭く対立した最前線を光秀は担います。

越前に加え、若狭を併呑し、90万石ほどの領土を有した朝倉義景。

対織田戦では、不手際を重ね続け、ついには同盟軍であった武田信玄すらキレさせてしまいます。


朝倉は一体、
何考えているんだ?
「暗愚」とも言われる朝倉義景ですが、一向一揆に手を焼きながらも、大国を維持するだけの器量はありました。
加えて、若いながら戦闘能力抜群の浅井長政。


浅井・朝倉で合わせて、120万石ほどの領土があり、動員兵力は30,000人ほどの強力な軍隊でした。
当時強敵であった、浅井・朝倉に対して苦心惨憺ののちにやっともらった所領であった坂本城。
坂本城には光秀は、格別に大きな愛着があったでしょう。


坂本城は光秀の縄張りで設計され、光秀の夢が込められた城でした。


「近江・丹波を召し上げて、まだ毛利領であった出雲・石見へ領地替えを命じられていた」説もあります。
しかし、この時点ではそれは考えにくいでしょう。
光秀や明智家を弱体化させて、一番損するのは誰か?
信長です。





ワシは合理的なことが最も好きだ。



損する戦略は、出来るだけ避ける!
将来、惟任日向守である光秀に九州へ侵攻させる際、丹波や近江では遠すぎます。
兵站線等をまとめるために、一時的に出雲・石見あたりを知行させる可能性はあったでしょう。
「難治の国」丹波を光秀が攻略し、丹波を光秀に与えた信長。
数年もせずに光秀から丹波を取り上げては、混乱するのは明智家だけではありません。
晩年、神を目指した信長。



我は第六天魔王なり!
「天下統一が見えてきた」とは言え、まだまだ光秀の出番は多い。
その中、明智家の根幹を潰すようなことを信長はしないでしょう。