前回は「本能寺の変 11〜優美な「山国の水城」・亀山城・中国戦線・羽柴と明智〜」の話でした。

対浅井・朝倉戦と光秀
光秀が、まだ足利義昭にも仕えていた頃の話です。
近江で、織田家が「浅井氏と鋭く対立した最前線」を光秀は担います。

越前に加え、若狭を併呑し、90万石ほどの領土を有した朝倉義景。
元々朝倉家は越前の名門で、家柄は信長の織田家の上です。

信長
ごときが・・・



我が朝倉家は
織田家より上なのだ!


対織田戦では、不手際を重ね続け続けた朝倉義景。
共に「信長包囲網」を形成する中、朝倉軍は陣を払って、越前に帰国してしまいました。
ついには、同盟軍であった武田信玄すらキレさせてしまいます。





おい、
何やってんだ!



一緒に信長を
包囲しているのに、勝手に帰るな!



朝倉は一体、
何考えているんだ?



ちょっと早く
帰国したかったので・・・
「暗愚」とも言われる朝倉義景。
一向一揆に手を焼きながらも、大国を維持するだけの器量はありました。
加えて、若いながら戦闘能力抜群の浅井長政。


浅井・朝倉で合わせて、120万石ほどの領土があり、動員兵力は30,000人ほどの強力な軍隊でした。



所領はそれほど大きくないが、
我が軍勢は精鋭だぞ!



そして、私は軍事的才能が高く、
我が家臣にも軍事力が高いものがたくさんいる!
光秀と坂本城
当時強敵であった、浅井・朝倉との戦いは、熾烈を極めました。
その苦心惨憺の果てに、やっともらった所領であった坂本城。
坂本城には光秀は、格別に大きな愛着があったでしょう。


坂本城は光秀の縄張りで設計され、光秀の夢が込められた城でした。


「近江・丹波を召し上げて、まだ毛利領であった出雲・石見へ領地替えを命じられていた」説もあります。
一方で、この時点ではそれは考えにくいと考えます。
明智家弱体化の本質
光秀や明智家を弱体化させて、一番損するのは誰か?
信長本人です。





余は、
合理的なことが最も好きだ。



損する戦略は、
出来るだけ避ける!
将来、惟任日向守である光秀に九州へ侵攻させる際、丹波や近江では遠すぎます。
兵站線等をまとめるために、「一時的に出雲・石見あたりを知行させる」可能性はあったでしょう。



「一時的」であれば、
出雲・石見もやぶさかではないが・・・
「難治の国」丹波を光秀が攻略し、丹波を光秀に与えた信長。
数年もせずに光秀から丹波を取り上げては、混乱するのは明智家だけではありません。
晩年、神を目指した信長。



我は
第六天魔王なり!
「天下統一が見えてきた」とは言え、まだまだ光秀の出番は多いはずです。



やはり、私は、京付近で
必要なのでは?
その中、明智家の根幹を潰すようなことを信長はしないでしょう。