前回は「本能寺の変 6〜黒幕は誰か〜」でした。

光秀の居城と所領を考えます。
光秀の最初の居城である、坂本城の位置を考えてみましょう。
この地図は家康の饗応役であった光秀が任を解かれた後の足取りを説明しています。
坂本城・安土城・京都の位置関係がよく分かります。

坂本城は京都のすぐ近くで、直線距離で安土城と京都の距離の1/3くらいです。

光秀に中央を固めさせよう。
近江国は当時商業がとても盛んで有名な鉄砲の生産地の国友村があり、さらに豊穣な土地からは多くの米が産出されました。
石高は事実上2位(1位は武蔵、奥羽は広大なので除外)であり、農業にも商業にも恵まれた地でした。


羽柴秀吉の最初の居城の長浜城も近江にありますが、琵琶湖の北に位置し、京都からはそれほど近くありません。



なんで、光秀の坂本城は、
あんなに京に近いのだ。


光秀・秀吉の最初の居城は「対朝倉・浅井」が、主眼であった時であった経緯があります。
それを考えても、素晴らしい立地、そして大きな価値のある城を「織田家で最初」に拝領した明智光秀。



上様は、この光秀を買って
くださっている。
いかに、織田信長に重宝されていたか分かります。


対浅井・朝倉以降、重視され続けた光秀の織田家における立場。
それは、下がることがなく、上がる一方だったのでした。
そして、光秀の立場・地位は上昇気流に乗り続けます。



織田家の中央を占め、
中心となるのだ!



なんで、我々譜代の家臣が、地方遠征にいっているのに、
新参者の光秀が中央なんだ!
そして、本能寺の変の頃に至るまで、光秀の織田家における立場は、上がり続けたのでした。