本能寺の変 7〜光秀の立場・近畿管領・坂本城・亀山城・光秀と信長の関係〜|光秀は「なぜ裏切った」のか

前回は「本能寺の変 6〜黒幕説・黒幕は誰・その特異な点・光秀と信長の関係〜」でした。

織田信長と明智光秀(新歴史紀行)
目次

坂本城と亀山城

今回は、明智光秀の居城と所領を考えます。

光秀の最初の居城である、坂本城の位置を考えてみましょう。

坂本城と安土城と京都(歴史道13号 朝日新聞出版)

この地図は、家康の饗応役であった光秀が任を解かれた後の足取りを説明しています。

坂本城・安土城・京都の位置関係がよく分かります。

坂本城は、京都のすぐ近くで、直線距離で安土城と京都の距離の1/3くらいです。

光秀に
中央を固めさせよう。

当時、商業がとても盛んで有名な鉄砲の生産地の「国友村」があった近江国。

さらに豊穣な土地からは多くの米が産出されました。

戦国期の国別石高(歴史群像シリーズ 1 織田信長 学研)

石高は事実上1位(奥羽は広大なので除外)であり、農業にも商業にも恵まれた地であった近江国。

坂本城のイメージ(歴史人2020年7月号 KKベストセラーズ)

羽柴秀吉の最初の居城の長浜城も、近江にあります。

長浜城は、琵琶湖の北に位置し、京都からはそれほど近くありません。

なんで、光秀の坂本城は、
あんなに京に近いのだ。

なぜだ・・・

琵琶湖ネットワーク(別冊歴史人2016年12月号ベストセラーズ)

近畿管領・明智光秀

光秀・秀吉の最初の居城は「対朝倉・浅井」が、主眼であった時であった経緯があります。

それを考えても、素晴らしい立地、そして大きな価値のある城を「織田家で最初」に拝領した明智光秀。

上様は、この光秀を買って
くださっている。

いかに、織田信長に重宝されていたか分かります。

織田信長(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)

対浅井・朝倉以降、重視され続けた光秀の織田家における立場。

それは、下がることがなく、上がる一方だったのでした。

そして、光秀の立場・地位は上昇気流に乗り続けます。

織田家の中央を占め、
中心となるのだ!

なんで、我々譜代の家臣が、
地方遠征にいっているのに・・・

新参者の光秀が
中央なんだ!

そして、本能寺の変の頃に至るまで、光秀の織田家における立場は、上がり続けたのでした。

私が近畿管領となり、
京・山城を守るのだ・・・

そして、朝廷・幕府に、もっとも
相性が良いのは、私だ・・・

全員が卓抜たる能力を有していた織田四天王。

織田四天王:左上から時計回りに柴田勝家、明智光秀、羽柴秀吉、滝川一益(Wikipedia)

四名全員が、軍事・政治・知謀など多彩な能力を持っていました。

その中で、「光秀しか持っていないもの」が、たくさんあったのもまた事実だったのです。

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