前回は「本能寺の変 5〜光秀の実年齢〜」の話でした。

本能寺の変に関しては、たくさんの書物が出ており、以前2冊をご紹介しました。
今回は、歴史道13号の「本能寺の変と光秀の最期」(朝日新聞出版)をご紹介します。

歴史道は900円程度という手頃な価格で、オールカラーで沢山の情報が詰め込まれた非常に密度の濃い書籍です。
コンパクトにわかりやすく纏められており、とてもオススメです。

昔から「謀反の黒幕」として羽柴秀吉、徳川家康、近衛前久などの朝廷関係者など数多くの人物が挙げられています。
いずれも確証はなく推測の域を出ません。
確証は未来永劫出て来ず、推測するしかないのでしょう。
最も多くの利益を得た人物として羽柴秀吉が「ありうる」という説もありますが、僕は「秀吉は白」と考えます。

織田家で大きな謀反は、松永久秀や荒木村重などが引き起こした謀反です。

彼らの謀反は、「自分の領土や居城で反乱を起こして、織田家を内部から壊滅させる戦法」でした。
こうした謀反・叛逆は、戦国時代の当時、日常茶飯事でもありました。
しかし、本能寺の変が、これらの謀反と根本的に異なる点があります。
それは、「軍勢を率いて、わざわざ主人である信長を殺しに行っている」点です。
この違いは非常に際立っています。

のちに天下人となる羽柴秀吉が「本能寺の変に関わっていた」ならば、主殺し独特の暗さが跡を引いたでしょう。
謀反が日常茶飯事でしたが、謀反を起こした後は、なかなか共鳴を得ることができず、滅んでゆくケースも多い。
大内義隆に叛逆した陶晴賢も、大内家内を固めることができず、毛利元就の台頭を許します。
江戸時代のような道徳観念がないとはいえ、主殺しは「暗い」のです。
そうした「暗さ」「陰影」は皆に分かるもので、生涯消えません。
もし秀吉が「関わっていた」ならば「人はついて来なかった」と考えます。
謀反が日常茶飯事であった中、「天下人織田信長を葬った」だけでなく、「わざわざ主人を殺しに大軍勢で攻め寄せた」点など、全てにおいて異例ずくめ異常事態。
それが、本能寺の変でした。
