前回は「本能寺の変当時の織田家の組織〜光秀の実年齢・日本の権力中枢の肖像・織田信長と有力家臣団の年齢・万全の織田家家臣団の体制から崩壊へ〜」の話でした。

最大受益者である羽柴秀吉

本能寺の変に関しては、たくさんの書物が出ています。
そのうち、二冊を上記リンクでご紹介しています。
今回は、歴史道13号の「本能寺の変と光秀の最期」(朝日新聞出版)をご紹介します。

歴史道は900円程度という手頃な価格で、オールカラーで沢山の情報が詰め込まれた非常に密度の濃い書籍です。
コンパクトにわかりやすく纏められており、おすすめです。

昔から「謀反の黒幕」として、羽柴秀吉・徳川家康などが挙げられてきました。
あるいは、近衛前久などの朝廷関係者など数多くの人物が挙げられています。
いずれも確証はなく、推測の域を出ません。
確証は未来永劫出て来ることはなく、「推測するしかない」のでしょう。
最も多くの利益を得た「受益者代表」の羽柴秀吉。

「秀吉が黒幕」という説もありますが、筆者は「秀吉は白」と考えます。

私が
黒幕?



冗談では
ないわ!
信長横死後の秀吉には、ブラックなイメージも強いですが、秀吉は流石に「黒幕」ではないでしょう。
謀反続発の織田家:松永久秀と荒木村重


謀反が続発した織田家。



信長なんかに
ついてゆけるか!
大きな謀反は、松永久秀や荒木村重などが引き起こした謀反です。



信長に従ってやったが、
そもそも俺は信長以前の天下人・三好を支えたのだ!
戦国時代を語る際には、軽く扱われがちな三好長慶。


畿内から瀬戸内海を支配した三好家は、信長以前の天下人と言って相応しい存在でした。



俺が
三好を作ったのだ!



信長は三好の後釜になった
だけだろう!


摂津池田家出身ながら、もともと身分が定かではない荒木村重。
その高い戦闘能力から、信長に買われて、摂津国主までのし上がりました。
ところが、



信長様は
尊敬するし、ついてゆきたいが・・・



あのやり方は
過激すぎる・・・
戦国時代という超過激な時代とはいえ、「さらに輪をかけて過激」だった信長。
それについてゆく家臣団も大変だったでしょう。



信長にはついてゆけん!
毛利と組んで、織田家を瓦解させよう!
彼らの謀反は、「自分の領土や居城で反乱を起こして、織田家を内部から壊滅させる戦法」でした。
こうした謀反・叛逆は、戦国時代の当時、日常茶飯事でもありました。
織田家の謀反は「多い方」ですが、上杉家なども「謀反が多かった」のです。
わざわざ主人を殺害に向かった光秀:特異すぎる本能寺の変


本能寺の変が、これらの謀反と根本的に異なる点があります。
それは、「軍勢を率いて、わざわざ主人である信長を殺しに行っている」点です。



信長様・・・
ではなく、信長めを殺せ!



必ず
信長の首を獲るのだ!



信長は、
生かしておいてはいけない存在なのだ!
この違いは非常に際立っています。
のちに天下人となる羽柴秀吉が「本能寺の変に関わっていた」ならば、主殺し独特の暗さが跡を引いたでしょう。
謀反が日常茶飯事でしたが、謀反を起こした後なかなか共鳴を得ることができず、滅んでゆくケースも多いです。
大内義隆に叛逆した陶晴賢も、大内家内を固めることができず、毛利元就の台頭を許しました。
江戸時代のような道徳観念がないとはいえ、主殺しは「暗い」のです。
そうした「暗さ」「陰影」は皆に分かるもので、生涯消えません。



そう!
私が上様を殺すことに加担するはずがない!
もし秀吉が「関わっていた」ならば、後に「大勢の人はついて来なかった」と考えます。
いくら秀吉に神がかった能力があり、莫大な財力と軍事力を持っていたとしても、社会は人で成り立つのです。
謀反が日常茶飯事であった中、「天下人織田信長を葬った」だけでも極めて重大事件であるこの事件。



信長を
殺しにゆくのだ!
「わざわざ主人を殺すために大軍勢で攻め寄せた」点など、「全てにおいて異例ずくめ」の超異常事態。
それが、本能寺の変でした。
次回は上記リンクです。