羽柴秀吉 13〜中世の「民衆パワー」と合戦 4〜|松永久秀と信長

前回は「羽柴秀吉 12〜中世の「民衆パワー」と合戦 3〜」の話でした。

羽柴 秀吉(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)

金ヶ崎撤退戦において、傭兵・民衆の協力を得て退却戦を戦い抜いた秀吉。

そして、強力な朝倉・浅井軍の追撃に応戦し、辛くも京へ逃げ帰ります。

金ヶ崎の戦い:殿軍で奮戦する秀吉(歴史人2020年7月号 KKベストセラーズ)

下図は、金ヶ崎撤退戦の退却行程の図です。

金ヶ崎侵攻路・撤退路(歴史群像シリーズ 図説戦国合戦地図集 学習研究社)

裏切り者として有名な松永久秀が、信長に協力して、朽木谷を超えて辛くも逃げ切ります。

松永 久秀(Wikipedia)

若狭を経由して、北近江を支配していた浅井家に捕捉されずに撤退成功した信長。

信長もまた、非常な軍事的センスを持った人物でした。

織田 信長(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)

若狭を領する武田家は、当時朝倉家の保護下(支配下)にありました。

そのため、若狭は事実上、朝倉領なのです。

越前・若狭で80万石ほどの領土を有し、良好な港を持つ朝倉家の軍事力は強力でした。

強大だった朝倉家でしたが、当主・朝倉義景が今ひとつ戦意が高くなかったのです。

朝倉 義景(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)

後世、「無能」と呼ばれる朝倉義景ですが、これだけの領土を「納める」力量がありました。

信長の妹お市を妻にしておきながら、信長に反旗を翻して、猛烈に高い戦意を持つ浅井長政。

浅井 長政(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)

信長は、戦意の高い浅井長政率いる浅井領・北近江を出来るだけ避けます。

前線は、この秀吉が
殿軍引き受けます。

北近江は
危険だ。

若狭を
回るとよろしいかと。

うむ。
そうしよう。

そして、朝倉に従属している武田領・若狭を選んだ信長の着眼点。

抜群に冴えた着眼点でした。

同じようなことは、上杉謙信には出来ても、武田信玄では無理でしょう。

そして、情報を取り仕切り、

若狭が
比較的安全です。

という情報を信長に上げたのは、秀吉だったでしょう。

「絶体絶命のピンチ」から脱出した、軍事センス抜群の信長。

しかし、それは殿軍だけではなく、

私は、戦国随一の情報部隊を
持っているのだ。

秀吉がいたからこそ、成し遂げられたことでした。

この意味において、「金ヶ崎退却戦の成功」は、「信長+秀吉」しか当時なしえない異例なことでした。

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