抜群に確度が高い情報を有した情報将校・羽柴秀吉〜冴えた秀吉の「民衆パワーを活かした」情報網・岐阜奪取から一気に勢いに乗った織田信長〜|羽柴秀吉13・能力・人物像・エピソード

前回は「「民衆パワー」を合戦に最大限活かした羽柴秀吉〜金ヶ崎で見せつけた「鮮やか過ぎる采配」・かなり強力な軍事力と経済力を有していた朝倉家〜」の話でした。

羽柴秀吉(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)
目次

岐阜奪取から一気に勢いに乗った織田信長

新歴史紀行
1568年の織田家勢力図(別冊歴史人 「戦国武将の全国勢力変遷地図」KKベストセラーズ)

1568年に、「10年越し」の岐阜奪取に成功した織田信長。

苦節・苦難の連続であった岐阜・斎藤家との戦いを制圧した織田家。

戦国大名 織田信長(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)

ついに、ついに
稲葉山城を奪取したぞ!

これよりこの地を
岐阜と名称を変える!

この岐阜から
天下を目指すのだ!

沢彦和尚の推薦で、中国の「岐山」から新たな名称「岐阜」を生み出した信長。

新歴史紀行
信長の本拠地移転(新歴史紀行)

生涯、拠点を移動し続けた「異色の戦国大名」信長は意気揚々としていました。

濃尾二か国で100万石ほどの大領土を獲得し、さらに両国ともに商業も盛んな地で、

我が織田家も
大大名入りだ!

新歴史紀行
流浪の将軍:次期足利将軍 足利義昭(Wikipedia)

信長殿を
頼りたい・・・

ちょうどこの頃、足利義昭が織田家・信長を頼って、朝倉家から移転してきました。

新歴史紀行
足利家家臣 明智光秀(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)

私は足利家家臣
明智光秀です・・・

そして、「足利家家臣・旗本」として登場したのが明智光秀でした。

この頃は、「足利と織田を結ぶ男」として活躍を始める光秀。

意気揚々としていた若者・織田信長の元に、織田家オールスターが勢揃いしました。

名前生年(一部諸説あり)
織田信長1534年
林秀貞1513年
柴田勝家1522年
滝川一益1525年
佐久間信盛1528年
明智光秀1528年
丹羽長秀1535年
羽柴秀吉1537年
織田信長と織田家重臣の生年

将軍家を
奉じて京へ!

我が織田家が京を
制圧する!

北近江は
義弟・浅井長政がおる!

完璧な体制を作り上げて、怒涛の勢いで上京した信長。

勢いに乗って、

目障りな
朝倉義景を潰せ!

し、しかし、殿!
浅井との盟約では「朝倉とは事を構えない」と・・・

それは建前であり、
長政も分かっておるわ!

実際、この頃の信長は「調子に乗り過ぎていた」のが実情でしょう。

短期間に「あまりに大き過ぎる成果」を成し遂げた信長。

これで、調子に乗らない方がおかしい状況でした。

冴えた秀吉の「民衆パワーを活かした」情報網

金ヶ崎の戦い:殿軍で奮戦する秀吉(歴史人2020年7月号 KKベストセラーズ)

殿!
浅井長政、裏切りです!

そんな馬鹿げた
話があるはずがない!

浅井長政を可愛がり、信じていた信長は「浅井裏切り」を信じようとはしませんでした。

数多くの情報が混乱して入ってくる中で、

殿!我が情報網では、
「浅井裏切り」は確実です!

猿の
情報網でか・・・

この頃から、秀吉の「民衆パワーを活かした情報網」の確度は抜群でした。

・・・・・

ここに至り、信長は「浅井裏切り」を確信しました。

よしっ!
撤退だ!

猿!池田長正達と
共に殿軍を命ずる!

ははっ!
この猿にお任せを!

羽柴家重臣 蜂須賀正勝(Wikipedia)

そして、金ヶ崎撤退戦において、

我が軍が大軍であるように、
見せるのだ!

なるほど!
面白いな!

そういう作戦は、
俺たち得意だぜ!

おいっ!
みんな集まれ!

蜂須賀小六率いる川並衆など、傭兵・民衆の協力を得て退却戦を戦い抜いた秀吉。

そして、強力な朝倉・浅井軍の追撃に応戦し、辛くも京へ逃げ帰ります。

なんとか
退却できた・・・

金ヶ崎侵攻路・撤退路(歴史群像シリーズ 図説戦国合戦地図集 学習研究社)

若狭経由で
近江を抜けて、京へ!

織田信長は近臣のみを率いて、風のように京へ退却に成功しました。

軍事センス抜群の織田信長のこの「風のような退却」は、極めて鮮やかでした。

抜群に確度が高い情報を有した情報将校・羽柴秀吉

戦国大名 松永久秀(Wikipedia)

この時、異例な事態が発生しました。

裏切り者として有名な松永久秀が信長に協力して、

朽木谷の
朽木元綱を調略して、味方につけましょう!

よし、久秀!
任せたぞ!

朽木谷を超えて辛くも逃げ切ります。

若狭を経由して、北近江を支配していた浅井家に捕捉されずに撤退成功した信長。

信長もまた、極めて優れた軍事的センスを持っていたことが、「撤退成功」の最大のポイントでした。

戦国大名 朝倉義景(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)

若狭を領する武田家は、当時朝倉家の保護下(支配下)にありました。

そのため、事実上朝倉領だった若狭。

越前・若狭で80〜90万石ほどの領土を有し、良好な港を持つ朝倉家の軍事力は強力でした。

強大だった朝倉家でしたが、当主・朝倉義景が今ひとつ戦意が高くなかったのです。

どうも、織田軍の
殿軍は大軍のようだな・・・

わざわざ、追うほどのことは
あるまい・・・

後世「無能」と呼ばれる朝倉義景ですが、これだけの領土を「納める」力量がありました。

戦国大名 浅井長政(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)

信長の妹お市を妻にしておきながら、信長に反旗を翻して、猛烈に高い戦意を持つ浅井長政。

信長を
討つのだ!

信長は、戦意の高い浅井長政率いる浅井領・北近江を出来るだけ避けます。

前線は、この秀吉が
殿軍引き受けます!

よしっ!
猿に任せた!

北近江は
危険だな・・・

・・・・・

ここで、越前・若狭・近江の地形を脳裏に浮かべて、「撤退ルート」を考える信長。

「撤退ルート」は最も重要です。

殿・・・
我が情報網によると・・・

若狭を
回るとよろしいかと・・・

どうも、最近は猿の
情報網が最も正確だ・・・

うむ・・・
そうしよう・・・

そして、朝倉に従属している武田領・若狭を選んだ信長の着眼点。

抜群に冴えた着眼点でした。

同じようなことは上杉謙信には出来ても、武田信玄では無理でしょう。

そして、「若狭を選んだ信長」の判断の元となった情報が極めて重要でした。

この頃、織田家の「情報将校」となって情報を取り仕切っていた秀吉。

若狭が
比較的安全です!

という情報を信長に上げたのは、秀吉だったでしょう。

「絶体絶命のピンチ」から脱出した、軍事センス抜群の信長。

この「絶体絶命のピンチ脱出」は、羽柴秀吉の殿軍だけではなく、

私は、戦国随一の情報部隊を
持っているのだ!

秀吉がいたからこそ、成し遂げられたことでした。

この意味において、「金ヶ崎退却戦の成功」は、「信長+秀吉」しか当時なしえない異例なことでした。

新歴史紀行

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