羽柴秀吉 14〜中世の「民衆パワー」と合戦 5〜

前回は「羽柴秀吉 13〜中世の「民衆パワー」と合戦 4〜」という話でした。

羽柴 秀吉(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)

若狭を経由して、辛くも京へ撤退した織田信長。

金ヶ崎侵攻路・撤退路(歴史群像シリーズ 図説戦国合戦地図集 学習研究社)

おそらく、秀吉も同様のルートを通って京へ退却し、「信長を後方から守った」と考えます。

織田 信長(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)

後世から見ると、「うまく退却しました」で済んでいます。

しかし、前に朝倉・後方から裏切った(織田家にとって)浅井軍が来ています。

朝倉 義景(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)

いずれも弱兵というよりもむしろ強兵であった朝倉・浅井軍。

この状況と朝倉・浅井の軍事力を考えれば、その殿軍は「ほぼ絶望的な」状況でした。

秀吉とは、
今生ではもはや会えぬか・・・

信長様を、
お守りしろ!

浅井 長政(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)

信長を討ち取れ!

信長様をお守りし、
我も退却してみせる!

当時の武将では、誰も気が付かなかった「民衆の底力」をただ一人熟知していた秀吉。

死んでたまるか!

この金ヶ崎の戦いの殿軍の成功は、その「民衆の底力」によるところが最大であるのが実態だったでしょう。

後世、豊臣秀吉となった羽柴秀吉。

豊臣 秀吉(Wikipedia)

豊臣秀吉は二つの理由で、あたかも「自らの卓抜した軍事力のみで成功した」ように宣伝しました。

私の力の原動力=「民衆の力」は、
隠したい。

私の軍事能力を高く
喧伝したい!

そして、秀吉の参謀であり影でもある蜂須賀正勝は、あまり表出ることなく、その役割を十二分に果たします。

蜂須賀 正勝(Wikipedia)

川並衆という、荒くれ者を率いていた蜂須賀正勝。

撹乱は得意だ!

そして、「民衆が何を望んでいるのか」を知り尽くしていました。

この蜂須賀たちが民衆の力を軍事力に転化させ、羽柴軍を支えていたのです。

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