前回は「羽柴秀吉 2〜流浪の民から織田家CIA長官へ〜」の話でした。

今回はさらに秀吉の大いなる、唯一無二とも言える「民衆の力」から秀吉を考えたいと思います。
具体的な合戦の際は、柴田勝家などの「突破力」ある戦闘力が大きく影響します。
その合戦に至るまでの「情報収集(諜報)」は極めて大事です。
武田信玄が愛読していた孫子。


敵を敵を知り己を知らば、
百戦危うからず。
「国衆を調略する」ためには、「相手が何を最も望んでいるのか」を知る必要があります。
そして、相手が望んでいるものを用意して調略することが大事です。
秀吉の寄騎として有名な竹中重治(半兵衛)もまた調略の達人でした。


人の心の機微を知り尽くしており、「民衆を背景にした」秀吉がうってつけでした。
キラ星のごとく人材が揃う織田家において、非常に貴重な存在でした。
この「情報を集めて、他人の心の機微を推測する」ことに関しては、秀吉は抜群の能力を示したのです。


この「民衆の力」を武器にした秀吉は、ある意味において、戦国時代の当時唯一無二の存在でありました。
人材を見る勘が抜群に優れている信長は、秀吉のこの特殊能力に気づいたのでしょう。



猿めは、人が考えていることが
手に取るように分かるようだ。



不気味な奴じゃが、使える!
この特殊能力は織田家譜代である柴田勝家や丹羽長秀にはない能力であり、天才肌の信長ですら新鮮味を感じたのでしょう。


美濃平定前後から秀吉は、信長から命じられて、情報収集の責任者の一人となりました。
そして、卓抜した諜報活動により織田家の諜報戦略の中心人物になったのでしょう。
柴田勝家他の諸将も秀吉をあてにしているわけではなく、それぞれに情報収集部隊はいたでしょう。



わしだって、情報を集める部隊を持っている。



まあしかし、戦場で相手を叩き潰せばよいこと!
情報収集には、報奨金などの為に多くの金銭が必要であり、、情報を調達してくる民衆・流浪の民を従える力量が必要です。
これには秀吉が「流浪の民出身である」ことが非常に役立ちました。
そして、当時「ならず者」に近い立場であった蜂須賀正勝(小六)らを上手く従えたのです。


情報の大事さを当時最もよく理解していた信長は、美濃攻略戦の頃から秀吉の「情報(諜報)力」に着目します。
そして、極めて高く評価します。



情報は非常に重要であり、軍事の根幹である。
その後、近江攻略戦の頃には秀吉を、織田家「諜報機関」の総責任者とし、必要なお金を使える権限を与えたのでしょう。


民衆の持つ「情報の価値」を知り尽くしている秀吉に、経済力が大きく抜きん出ている織田家が結びついたのです。
そして、非常に強力なパワーを発揮しました。
調略が得意で忍びの出身とも言われている滝川一益。


一益と言えど、秀吉ほど民衆との強い結びつきはなく、秀吉の尋常ならざる異常に強力な情報ネットワークに瞠目したことでしょう。



秀吉の、あのネットワークは
どうやって構築できたのか?
「民衆の力」+「お金と権限」を手中にした秀吉は、さらに織田家内で雄飛してゆくのです。