前回は「羽柴秀吉 1〜諸国流浪で培った卓抜した知恵〜」の話でした。

生い立ちや経歴から「民衆」を背景にした類例のない「特異な」存在であった秀吉。
墨俣城築城後、急速に織田家で台頭します。
調略等の能力が高いことも重要なポイントです。
秀吉の本質は「民衆を理解し、民衆に協力者がいて、諜報活動に非常に長けていた」ことでした。

もっとも大勢いるのは民衆なのだ。
彼等は、実に様々な情報を持っている。


この「民衆」を背景にした武将というのは、当時ほとんどいなかったでしょう。



生まれながらの大名だから、
民衆のことは、良く知らない。
民衆こそが国の根本であり、底力であり、場合によっては実に様々な情報という「陰の力」を持っていることを本質的に知っていたのが秀吉でした。
「他の武将にはない」その特徴である諜報活動をフルに活用し、出世していったのです。
情報・諜報を非常に重視していた信長。
桶狭間の合戦で今川義元の首を上げた毛利新助ではなく、今川本隊の位置を知らせてきた簗田政綱を軍功第一にしました。


信長に限らず、武田信玄や毛利元就も非常に諜報活動を重視していました。
相手国と合戦する際は、諜報活動が最重要です。
大将や率いる武将が誰か、どのくらいの人数か、どのような武装か、どこに移動する予定か、などを知ること。
まさに「敵を知る」ことで非常に大事です。





孫子の「敵を知り・・・」は
超重要だ!
諜報活動というの「忍び」みたいな話になり、忍者等が登場してきます。
実際にピョンピョン飛ぶような忍者はいて、攻城戦で活躍したのでしょう。
大事なのは普通の民衆であるかの如く振る舞い、敵地に侵入して情報を得ることです。
あるいは、わざわざ侵入しなくても「他国に在住している誰か」を報酬を与え、味方につけます。
そして、その国や城の様子や変化など様々な情報を報告させることです。


池波正太郎の「真田太平記」では忍びの話が中心で、真田昌幸が非常に諜報活動を重視していた様子が描かれています。
これは、長年近侍として間近で過ごし、学んできた武田信玄譲りでしょう。
後に秀吉は浅井・朝倉戦で、前線の横山城の城代となり、数々の軍功を挙げました。


まさに最前線です。
前線は一番大事でありますが、ここに柴田勝家を配置せず、秀吉を配置した信長。


浅井家・朝倉家、及び周辺の国衆や地侍の情報を、秀吉が集めるように指示したのでしょう。



浅井の国衆・地侍の情報を集めろ!



そして、国衆・地侍が織田につくよう、
調略せよ!



承知致しました。
この秀吉にお任せを!
ここで活躍したのが、秀吉の名参謀竹中重治(半兵衛)です。
まさに、羽柴秀吉は「織田家のCIA長官」とも言えるでしょう。