羽柴秀吉 2〜流浪の民から織田家CIA長官へ〜|戦国武将

前回は「羽柴秀吉 1〜諸国流浪で培った卓抜した知恵〜」の話でした。

羽柴秀吉(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)

生い立ちや経歴から「民衆」を背景にした類例のない「特異な」存在であった秀吉。

墨俣城築城後、急速に織田家で台頭します。

調略等の能力が高いことも重要なポイントですが、秀吉の本質は「民衆を理解し、民衆に協力者がいて、諜報活動に非常に長けていた」ことでした。

もっとも大勢いるのは民衆なのだ。
彼等は、実に様々な情報を持っている。

織田信長(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)

この「民衆」を背景にした武将というのは、当時ほとんどいなかったでしょう。

生まれながらの大名だから、
民衆のことは、良く知らない。

民衆こそが国の根本であり、底力であり、場合によっては実に様々な情報という「陰の力」を持っていることを本質的に知っていたのが秀吉でした。

「他の武将にはない」その特徴である諜報活動をフルに活用し、出世していったのです。

情報・諜報を非常に重視していた信長。

桶狭間の合戦で今川義元の首を上げた毛利新助ではなく、今川本隊の位置を知らせてきた簗田政綱を軍功第一にしました。

桶狭間の戦い(Wikipedia 歌川豊宣画)

信長に限らず、武田信玄や毛利元就も非常に諜報活動を重視していました。

相手国と合戦する際に、大将や率いる武将が誰か、どのくらいの人数か、どのような武装か、どこに移動する予定か、などを知ることは、まさに「敵を知る」ことで非常に大事です。

武田晴信(信玄)(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)

孫子の「敵を知り・・・」は
超重要だ!

諜報活動というの「忍び」みたいな話になり、忍者等が登場してきます。

実際にピョンピョン飛ぶような忍者はいて、攻城戦で活躍したのでしょう。

大事なのは普通の民衆であるかの如く振る舞い、敵地に侵入して情報を得ることです。

あるいは、わざわざ侵入しなくても「他国に在住している誰か」を報酬を与え、味方につけて、その国や城の様子や変化など様々な情報を報告させることです。

真田昌幸(Wikipedia)

池波正太郎の「真田太平記」では忍びの話が中心で、真田昌幸が非常に諜報活動を重視していた様子が描かれています。

これは、長年近侍として間近で過ごし、学んできた武田信玄譲りでしょう。

後に秀吉は浅井・朝倉戦で、前線の横山城の城代となり、数々の軍功を挙げました。

対浅井・朝倉 近江状況図(図説 豊臣秀吉 戎光祥出版 柴裕之編著)

まさに最前線です。

前線は一番大事でありますが、ここに柴田勝家を配置せず、秀吉を配置した信長。

柴田勝家(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)

浅井家・朝倉家、及び周辺の国衆や地侍の情報を、秀吉が集めるように指示したのでしょう。

浅井の国衆・地侍の情報を集めろ!

そして、国衆・地侍が織田につくよう、
調略せよ!

承知致しました。
この秀吉にお任せを!

ここで活躍したのが、秀吉の名参謀竹中重治(半兵衛)です。

まさに、羽柴秀吉は「織田家のCIA長官」とも言えるでしょう。

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