前回は「羽柴秀吉 3〜「民衆」という大いなる力〜」という話でした。

諸国を流浪し、針売りなど行った過程で「民衆の力」に目覚めた羽柴秀吉(当時は木下藤吉郎)。
自らの主人として織田信長を選び、仕官します。


若く、尋常ではない発想の信長様なら、
私の才能を重用するだろう。
家臣の能力や軍功に対して、抜擢するなど「家臣を選ぶ」のは、普通ならば信長や信玄などの大名側となります。
秀吉の場合、自らの出自・特殊な能力等を慎重に検討し、



私のような出自の人間で、才能ある人間を大事にする
のは織田信長様しかいない!
と秀吉が「信長を主人」として「選んだ」とも言えます。
現代のようにネットも電話もない戦国時代。
「相手の勢力・経済力・兵力」や「合戦における兵力や武将」の情報を入手することは非常に難しく、時間がかかりました。
それらの情報は、文書等で公開されていることもあります。
しまし、現代のように自ら情報を発信するようなことは少なく、多くの情報は各家で極秘でした。
情報を重視したのは大名では、織田信長と武田信玄が最たるもので、毛利元就や北条氏康も非常に重視しました。
後に「織田家のCIA長官」とも言える立場になった秀吉は、身をもって知っていたのです。



情報こそが全てであり、その情報を得る手段として
民衆の力が最も強いのだ!
秀吉が信長に仕官した話は「草履の話」が有名ですが、これは創作であって実際は不明です。
後にメキメキ頭角を表す秀吉は、門閥に関係なく人材登用する信長、そして「情報を最重視していた信長」に目をつけます。



信長様こそ、
最も自分の能力を最も買ってくれる!
秀吉が仕官した頃は、すでに織田家には柴田勝家などの優れた武将がいました。
秀吉ほど情報を重視していた武将は、最先端とも言える織田家でも非常に稀でした。
情報力・諜報力において、戦国期の秀吉の存在は、日本全国で一際光っていたのです。
織田家に仕官した秀吉は「民衆の底力」をフル活用し、グイグイ突き進んでゆきます。