前回は「民衆の力を背景にした秀吉〜針売りの経験を持つただ一人の武将・特殊技能を持つ秀吉への信長の視線・底知れぬ不気味な底力・織田家の諜報長官へ・秀吉しか持たない特殊技能〜」という話でした。
商いから「人の心」を理解し尽くした秀吉:貧しい針売りの体験
貧しかった秀吉少年。
当時は木下藤吉郎という名前ですが、そもそも「木下藤吉郎」という名前すらあったか不明です。
ここでは、小さな頃も秀吉で統一します。
とにかく、貧しくて寺に入れられたものの、寺の雰囲気に合わなかったので叩き出された秀吉。
針などを販売する旅商人となって、生計を立ててゆきました。
針は、いらんか〜
針は、いらんか〜・・・
あ、針を
3本下さいな。
ありがとう
御座います・・・
おっ、ちょうどいいな。
30本買うから、ちょっと負けてくれるよな・・・
そうですね・・・
5分引き(5%オフ)でいかがでしょう?
ああ、いいぜ!
買ったよ!
対面で商売をすると、
人の心が分かるようになるな・・・
今は、「力こそ正義」の
戦いの時代だ・・・
力は、経済力・軍事力など
それらの総力なんだろう・・・
諸国を流浪し、針売りなど行った過程で「民衆の心・気持ち」を大いに理解した羽柴秀吉(当時は木下藤吉郎)。
この視点を持っている大名・将兵は、当時「秀吉以外に存在しない」のが現実でした。
今は諸大名が、
力で争っている・・・
その「力の源」は、将兵であるが、
兵隊と言っても、ほとんどは農民なのだ・・・
農民たちが農閑期に、
銭稼ぎのために、戦いに行っているだけなのだ・・・
まだ当時は、織田信長が推進した「兵農分離」というコンセプトすらなかった時代。
実際、武田信玄や上杉謙信の兵たちにおいて、農民はかなりの割合を占めていました。
そのため、越後の農閑期に集中して越山して関東に侵攻していた上杉謙信(政虎)。
冬は雪が厳しすぎて、
越後から山を越えるのは難しい・・・
そして、春から秋にかけては、
我が農兵たちは、本業の農業をやらねばならん・・・
ということは、我が越後軍が動ける
時期は非常に限られている・・・
この「農兵主体の軍事力」こそが、上杉家の最も弱点でした。
「民衆の底力」に目覚めて力の源泉へ:信長を「選んだ」秀吉
まだまだ「兵農未分離」だった当時。
軍勢の実態は、ほとんどは農民たちでした。
どこの大名・城主たちも、
結局は農兵頼みだ・・・
農兵は「銭のため」に戦っているから、
強くはないし、崩れるとすぐに逃げる・・・
この点は、大問題だから、
改善の必要があるが・・・
とにかく、戦う兵の大部分は
農兵であり民衆なのだ!
名前 | 生年(一部諸説あり) |
柴田勝家 | 1522年 |
滝川一益 | 1525年 |
明智光秀 | 1528年 |
織田信長 | 1534年 |
丹羽長秀 | 1535年 |
羽柴秀吉 | 1537年 |
織田信長よりも3歳年下の秀吉。
秀吉が物心ついた10代半ばは、1550年代で、まだまだ中世の真っ只中。
つまり、「民衆の力」を最も
有効に使いうる人物こそ、これからの時代を切り拓くだろう・・・
この「民衆の力」を最も理解している
私の力を理解し、引き立ててくれる人物は誰だ?
今川義元など、家柄が良すぎて、
私など下郎としか思わんだろうから、全然ダメ!
武田晴信(信玄)は、結構評判が良いが、
守護出身で、保守的だからダメ・・・
やはり、東海で最も若く、
先を行っている感じの織田信長が良さそうだろう・・・
そして、自らの主人として織田信長を選び、仕官します。
¥若く、尋常ではない発想の信長様なら、
私の才能を重用するだろう。
本来、家臣の能力や軍功に対して、抜擢するなど家臣を「選ぶ」のは、「大名側」の発想です。
普通ならば、信長や信玄などの大名が、
私が
家臣を評価するのだ!
うむ。この家臣は、
有能で、ワシに忠誠を誓いそうだ・・・
秀吉の場合、真逆の発想でした。
秀吉は、自らの出自・特殊な能力等を慎重に検討します。
そして、
私のような出自の人間で、才能ある人間を大事にする
のは織田信長様しかいない!
と秀吉が「信長を主人」として「選んだ」とも言えます。
これこそが、秀吉が非凡であり、天才であることの最も大事なポイントの一つでしょう。
「普通の発想の真逆」を考えつくだけでも、非凡でしょう。
そして、その「普通の発想の真逆」を実行するのは、かなりハードルが高いでしょう。
実際、秀吉が「選ぶ」大名の将来によって、秀吉の人生は大きく変わります。
その「大名家」が滅んでしまえば、高い確率で秀吉本人も戦死するでしょう。
のちになると、藤堂高虎のように「主人を変え続けた侍」が登場します。
若い頃は、非常に力も強く「武力に物言わせていた」高虎。
7度に渡り、「主人を変えた」と言われています。
仕える相手を慎重に選び、
変えるのは当然だ!
このはるか以前の時代は、「とにかく食べてゆく」ために、「主君を選ぶ」発想自体が極めて稀でした。
私には、
織田信長様しかいない!
諜報と民衆と合戦:一際輝く秀吉の潜在能力
現代のようにネットも電話もない戦国時代。
「相手の勢力・経済力・兵力」や「合戦における兵力や武将」の情報を入手することは非常に難しく、時間がかかりました。
それらの情報は、文書等で公開されていることもあります。
ところが、現代のように自ら情報を発信するようなことは少なく、多くの情報は各家で極秘でした。
情報を重視したのは大名では、織田信長と武田信玄が最たるもので、毛利元就や北条氏康も非常に重視しました。
後に「織田家のCIA長官」とも言える立場になった秀吉は、身をもって知っていたのです。
情報こそが全てであり、
その情報を得る手段としては・・・
その力は、
民衆の力が最も強いのだ!
秀吉が信長に仕官した話は「草履の話」が有名ですが、これは創作であって実際は不明です。
後にメキメキ頭角を表す秀吉は、門閥に関係なく人材登用する信長、そして「情報を最重視していた信長」に目をつけます。
といっても、秀吉が仕官する頃は、まだ若僧だった信長。
20代の信長の能力は未知数であり、「門閥に関係なく人材登用する」かどうかは未定でもありました。
それでも、「若い頃から破天荒な行動が目立った」信長にかけた秀吉。
信長様こそ、
最も自分の能力を最も買ってくれる!
猿(秀吉)、
お前は使えそうだな!
秀吉が仕官した頃は、すでに織田家には柴田勝家・佐久間信盛などの優れた武将がいました。
秀吉ほど情報を重視していた武将は、最先端とも言える織田家でも非常に稀でした。
情報力・諜報力において、戦国期の秀吉の存在は、日本全国で一際光っていたのです。
織田家に仕官した秀吉は「民衆の底力」をフル活用し、グイグイ突き進んでゆきます。
次回は上記リンクです。