商いから「人の心」を理解し尽くした秀吉〜貧しい針売りの体験・「民衆の底力」に目覚めて力の源泉へ・信長を「選んだ」秀吉・諜報と民衆と合戦・一際輝く秀吉の潜在能力〜|羽柴秀吉4・人物像・軍事能力・人生経験

前回は「民衆の力を背景にした秀吉〜針売りの経験を持つただ一人の武将・特殊技能を持つ秀吉への信長の視線・底知れぬ不気味な底力・織田家の諜報長官へ・秀吉しか持たない特殊技能〜」という話でした。

羽柴秀吉(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)
目次

商いから「人の心」を理解し尽くした秀吉:貧しい針売りの体験

新歴史紀行
岐阜城:山道からの光景(新歴史紀行)

貧しかった秀吉少年。

当時は木下藤吉郎という名前ですが、そもそも「木下藤吉郎」という名前すらあったか不明です。

ここでは、小さな頃も秀吉で統一します。

とにかく、貧しくて寺に入れられたものの、寺の雰囲気に合わなかったので叩き出された秀吉。

針などを販売する旅商人となって、生計を立ててゆきました。

針は、いらんか〜
針は、いらんか〜・・・

あ、針を
3本下さいな。

ありがとう
御座います・・・

おっ、ちょうどいいな。
30本買うから、ちょっと負けてくれるよな・・・

そうですね・・・
5分引き(5%オフ)でいかがでしょう?

ああ、いいぜ!
買ったよ!

対面で商売をすると、
人の心が分かるようになるな・・・

今は、「力こそ正義」の
戦いの時代だ・・・

力は、経済力・軍事力など
それらの総力なんだろう・・・

諸国を流浪し、針売りなど行った過程で「民衆の心・気持ち」を大いに理解した羽柴秀吉(当時は木下藤吉郎)。

この視点を持っている大名・将兵は、当時「秀吉以外に存在しない」のが現実でした。

今は諸大名が、
力で争っている・・・

その「力の源」は、将兵であるが、
兵隊と言っても、ほとんどは農民なのだ・・・

農民たちが農閑期に、
銭稼ぎのために、戦いに行っているだけなのだ・・・

まだ当時は、織田信長が推進した「兵農分離」というコンセプトすらなかった時代。

実際、武田信玄や上杉謙信の兵たちにおいて、農民はかなりの割合を占めていました。

左上から時計回りに、戦国大名 徳川家康、武田信玄、上杉謙信、毛利元就(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研、Wikipedia)

そのため、越後の農閑期に集中して越山して関東に侵攻していた上杉謙信(政虎)。

冬は雪が厳しすぎて、
越後から山を越えるのは難しい・・・

そして、春から秋にかけては、
我が農兵たちは、本業の農業をやらねばならん・・・

ということは、我が越後軍が動ける
時期は非常に限られている・・・

この「農兵主体の軍事力」こそが、上杉家の最も弱点でした。

「民衆の底力」に目覚めて力の源泉へ:信長を「選んだ」秀吉

桶狭間の戦い(Wikipedia 歌川豊宣画)

まだまだ「兵農分離」だった当時。

軍勢の実態は、ほとんどは農民たちでした。

どこの大名・城主たちも、
結局は農兵頼みだ・・・

農兵は「銭のため」に戦っているから、
強くはないし、崩れるとすぐに逃げる・・・

この点は、大問題だから、
改善の必要があるが・・・

とにかく、戦う兵の大部分は
農兵であり民衆なのだ!

名前生年(一部諸説あり)
柴田勝家1522年
滝川一益1525年
明智光秀1528年
織田信長1534年
丹羽長秀1535年
羽柴秀吉1537年
織田信長と織田家方面司令官の生年

織田信長よりも3歳年下の秀吉。

秀吉が物心ついた10代半ばは、1550年代で、まだまだ中世の真っ只中。

つまり、「民衆の力」を最も
有効に使いうる人物こそ、これからの時代を切り拓くだろう・・・

この「民衆の力」を最も理解している
私の力を理解し、引き立ててくれる人物は誰だ?

今川義元など、家柄が良すぎて、
私など下郎としか思わんだろうから、全然ダメ!

武田晴信(信玄)は、結構評判が良いが、
守護出身で、保守的だからダメ・・・

やはり、東海で最も若く、
先を行っている感じの織田信長が良さそうだろう・・・

そして、自らの主人として織田信長を選び、仕官します。

¥若く、尋常ではない発想の信長様なら、
私の才能を重用するだろう。

戦国大名 織田信長(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)

本来、家臣の能力や軍功に対して、抜擢するなど家臣を「選ぶ」のは、「大名側」の発想です。

普通ならば、信長や信玄などの大名が、

私が
家臣を評価するのだ!

うむ。この家臣は、
有能で、ワシに忠誠を誓いそうだ・・・

秀吉の場合、真逆の発想でした。

秀吉は、自らの出自・特殊な能力等を慎重に検討します。

そして、

私のような出自の人間で、才能ある人間を大事にする
のは織田信長様しかいない!

と秀吉が「信長を主人」として「選んだ」とも言えます。

これこそが、秀吉が非凡であり、天才であることの最も大事なポイントの一つでしょう。

「普通の発想の真逆」を考えつくだけでも、非凡でしょう。

そして、その「普通の発想の真逆」を実行するのは、かなりハードルが高いでしょう。

実際、秀吉が「選ぶ」大名の将来によって、秀吉の人生は大きく変わります。

その「大名家」が滅んでしまえば、高い確率で秀吉本人も戦死するでしょう。

戦国大名 藤堂高虎(Wikipedia)

のちになると、藤堂高虎のように「主人を変え続けた侍」が登場します。

若い頃は、非常に力も強く「武力に物言わせていた」高虎。

7度に渡り、「主人を変えた」と言われています。

仕える相手を慎重に選び、
変えるのは当然だ!

このはるか以前の時代は、「とにかく食べてゆく」ために、「主君を選ぶ」発想自体が極めて稀でした。

私には、
織田信長様しかいない!

諜報と民衆と合戦:一際輝く秀吉の潜在能力

桶狭間の戦い(Wikipedia 歌川豊宣画)

現代のようにネットも電話もない戦国時代。

「相手の勢力・経済力・兵力」や「合戦における兵力や武将」の情報を入手することは非常に難しく、時間がかかりました。

それらの情報は、文書等で公開されていることもあります。

ところが、現代のように自ら情報を発信するようなことは少なく、多くの情報は各家で極秘でした。

情報を重視したのは大名では、織田信長と武田信玄が最たるもので、毛利元就や北条氏康も非常に重視しました。

後に「織田家のCIA長官」とも言える立場になった秀吉は、身をもって知っていたのです。

情報こそが全てであり、
その情報を得る手段としては・・・

その力は、
民衆の力が最も強いのだ!

秀吉が信長に仕官した話は「草履の話」が有名ですが、これは創作であって実際は不明です。

後にメキメキ頭角を表す秀吉は、門閥に関係なく人材登用する信長、そして「情報を最重視していた信長」に目をつけます。

といっても、秀吉が仕官する頃は、まだ若僧だった信長。

20代の信長の能力は未知数であり、「門閥に関係なく人材登用する」かどうかは未定でもありました。

それでも、「若い頃から破天荒な行動が目立った」信長にかけた秀吉。

信長様こそ、
最も自分の能力を最も買ってくれる!

猿(秀吉)、
お前は使えそうだな!

秀吉が仕官した頃は、すでに織田家には柴田勝家・佐久間信盛などの優れた武将がいました。

秀吉ほど情報を重視していた武将は、最先端とも言える織田家でも非常に稀でした。

情報力・諜報力において、戦国期の秀吉の存在は、日本全国で一際光っていたのです。

織田家に仕官した秀吉は「民衆の底力」をフル活用し、グイグイ突き進んでゆきます。

次回は上記リンクです。

新歴史紀行

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