前回は「明智光秀 8〜奮う光秀 2〜」の話でした。

地下人から異常な出世を果たした、羽柴秀吉すら嫉妬心を感じるほど、信長に気に入られつつあった明智光秀。


光秀ばかり
目立ちおって!
長篠の合戦当時、織田家で大軍団を率いていた佐久間信盛と柴田勝家。


柴田は北陸から上杉謙信に対峙する、大きな務めを任されます。



謙信といえど、
権六にお任せを!


そして、長らく織田家に尽くし、ずっと中核を占めた佐久間信盛。


佐久間は大坂の本願寺を、叩き潰すように信長から司令を受けます。



佐久間よ、
一向宗を皆殺しにせよ!



お任せを!
あまり積極的な攻撃ができないものの、佐久間は頑強な大坂本願寺を大軍勢を統率して、囲みます。



一向宗門徒を、
兵糧攻めにして、降伏させるのだ!





仏敵どもめが!
光秀は「柴田でも佐久間にも任せることができない重責」を、信長から命ぜられました。
そして、見事に長篠合戦前後の「織田の西の備え」の仕事を完了します。
信長の覚えはさらにめでたくなり、機嫌良く京都へ帰ってきた信長から労われたでしょう。



光秀よ。
よくぞ、京を抑えた!



ははっ〜!
有難き幸せ!
そして、佐久間・柴田に続く方面軍、かつ中央を占める軍団を信長から任されました。



光秀よ。
近畿を束ねる軍団長となれ!



私が!



粉骨砕身努めます!



上様は、
私を最も重用してくださっている・・・
佐久間・柴田と同格の宿老 滝川一益はまだ軍団長ではありません。





長年、信長様に支え、
多数の武功を挙げているのに・・・
この時、信長が佐久間追放は、まだ考えてなかったと思われます。
1580年の佐久間信盛追放後には、その麾下の大名の多くが光秀に配属されます。
光秀は、仲の良い細川藤孝らと共に丹波攻略の重責を任されます。


武田家に致命傷を与えた信長はいよいよ、織田家による天下統一後を具体的に考えます。
上の図の光秀軍団は、のちの佐久間信盛追放の影響もあります。
細川・筒井と明智の特殊な関係を考えた時、非常に適切な軍団配置でした。
すなわち、筒井は長らく大和の主であり、興福寺など、やっかいな仏教勢力を押さえつけるのに最適な人物でした。
丹波・丹後方面に、知名度の高い細川家の、細川藤孝に納めさせるのもまた、最適です。


信長に仕え始めた頃の光秀は、足利義昭と信長の両属的立場でした。
そもそも、「足利と織田をつなぐ男」としての役目から重用されていた光秀。


途中で、足利義昭から離れて、主人に信長を選びます。



そそっかしい義昭様から、
離れて良かった・・・
仕え始めて8年。
この間、光秀を誰よりも見続けてきた信長は、その巨大な能力とセンスに気づきます。



光秀めは、他の武将にはない
優れた素質がある。
軍事に政治に知略に、と全て揃った明智光秀。



光秀に近畿は任せ、いよいよ
余は日本の覇王・皇帝を目指すのだ!
光秀は、さらなる飛躍を始めようとしていました。