前回は「明智光秀 6〜重くなる光秀の立場〜」の話でした。

長篠の合戦が起きた1575年、柴田勝家の北陸方面軍は形成過程でした。
東の武田を叩いた信長の目は、北へ向かいます。

朝倉を倒した越前を、一度奪い取りにきた
加賀一向宗門徒を潰せ!
顕如率いる一向一揆の本拠地である加賀があります。
後に、信長と和睦(降伏)をする本願寺顕如。


大坂の地に広大な拠点を築き、反信長の戦いを続けていました。
顕如のいる総司令部がある大坂は、一向一揆の「拠点は大坂」と考えられます。
かつて、守護であった富樫氏を武力で追い出し、国内初の「宗教集団が統治する国」を生み出した一向宗。



仏敵・織田信長を
討滅せよ!
その国こそ、加賀であったのです。
その意味では、戦略上は「大坂が本拠地」であっても、「精神的本拠地は加賀」でした。
加賀への侵攻は本願寺・一向一揆による頑強な抵抗が予想されます。
さらには、「戦国最強の男」の影がチラつきます。


これまで上京する時は、北陸から京へ入っていた上杉謙信。
北条家と戦ったり、同盟を結んだりですが、関東管領として関東へは何度も出陣している謙信。
北陸から上杉謙信が乗り込んでくる可能性も予想されます。
頑強な一向一揆に加え、戦国最強の上杉謙信を相手に戦える人物は、織田家には一人しかいません。


そして、猛烈な強さを柴田軍団に与えるために、織田家選りすぐりの猛将であった佐々成政・前田利家・佐久間盛政らが寄騎となることは確定していました。


秀吉は、長篠直後の1577年の手取川の戦いの際に、上杉謙信の来襲に対抗する柴田勝家軍団の中に組み込まれかけます。
しかし、勝家と喧嘩して勝手に戦線を離脱して、信長を激怒させています。
「勝手に戦線離脱」しても「信長は自分を消すことはない」と秀吉は、確信を持っていたのでしょう。



傲岸不遜な勝家の下なんかに、
つけないわ!



上様は、織田家の情報を統括している私を
まだまだ必要としているはず!
秀吉はこの頃、京を任されて「織田家の副将格」になった明智光秀に対して、嫉妬を感じていたでしょう。



なんで、新参者の光秀ばっかり
目立つんだ・・・
京・山城の南西から北にかけての国々である大和・近江・若狭などの国は、すでに抑えた信長。
摂津・大坂の顕如とは交戦中ですが、残るは、波多野家・赤井家など様々な大名・国衆がいる山岳地の丹波があります。


丹波国という京に隣接する、非常に重要な国の攻略を命じられた光秀。
かつての主人であり、今は寄騎の細川藤孝の細川家は、かつての丹波を支配していました。



丹波の大名との交渉、国衆の調略には、
「細川」の名前が威力を持つだろう。



丹波は非常に重要な地。
攻略は難しいが、なんとか支配してみせる!



ますます上様(信長)のお役に立って、
明智家は、さらに発展するのだ!
飛躍に次ぐ飛躍に、大いに奮起していたのでした。