明智光秀 5〜光秀の大いなる飛躍〜|戦国武将

前回は「明智光秀 4〜西の押さえとなる光秀〜」の話でした。

明智光秀(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)

織田家オールスターの長篠の合戦に、なぜか不在の明智光秀。

信長は光秀に、目前に迫っていた丹波攻略の戦略・準備等を指示していたかもしれません。

織田 信長(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)

精強を誇っていた武田家ですが、この7年後にあっさり滅亡します。

しかし、長篠合戦時の武田家は、多くの名将がバリバリの現役。

武田四天王

なかでも、超強力な騎馬隊を率いる「赤備えの男」がいます。

山県 昌景(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)

「天下統一」を推進するためには、「早めに武田家に可能な限りの打撃」を与える必要があります。

光秀・明智軍が鉄砲に優れていたら、ここに呼ぶのが最善でしょう。

結果的に明智軍がいなくても、織田家は大勝します。

どうもここが不可解です。

「光秀といえば鉄砲」というのは事実とは少し異なった誇張であったのか。

あるいは「鉄砲の明智軍」を長篠に出陣させるよりも、光秀と明智軍を西に配置する、他に優先すべき理由があったのか。

長篠の戦い(図説 豊臣秀吉 柴裕之編著 戎光祥出版)

両方の要素があったのでしょう。

長篠の戦いのわずか2年前の1573年。

織田信長が足利義昭を京都から追放し、足利幕府を解体しました。

足利 義昭(Wikipedia)

この時点で「足利幕府は消滅した」のですが、足利義昭は毛利家に保護されます。

毛利家の領土である鞆で、「打倒信長」の暗躍を続ける足利義昭。

といっても、実態はよく分からず、足利義昭が「吠えていただけ」とも言えます。

「鞆幕府」の権威や権限に関しては、疑問符がついています。

1575年の織田家と諸大名の関係(歴史人2020年2月号 KKベストセラーズ)

織田家が突出していたとは言え、武田・上杉・北条・毛利という大勢力が、まだまだ大勢います。

そして、顕如率いる一向一揆もまだガンガン戦っている状況。

本願寺 顕如(Wikipedia)

それらの勢力に、グルッと包囲されている織田家。

長篠の合戦当時は、「まだどうなるか分からない」状況です。

「前政権が倒されて、明確な政権がない」微妙な時期でした。

武田 勝頼(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)

後世、愚将のように描かれている武田家当主 武田勝頼。

実はかなりの勇将で、武田家の版図は武田勝頼の代で最大となります。

実際、徳川家康は武田勝頼に押しまくられ、かなりの領土を失っていました。

「ひょっとすると、武田が織田・徳川を倒すかも」という希望的観測もあったでしょう。

その中、光秀は長篠へ向かうのではなく、京で西を守り、丹波侵攻の準備に専念していたのです。

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