特攻隊の銅像がある遊就館〜帝国陸海軍神風特別攻撃隊員たちの叫び・日本における神社の存在・世界三大宗教と神道と仏教〜|靖国神社・遊就館3・第二次世界大戦

前回は「「遊就館」設立構想の始まりと西南戦争〜明治政府の根幹揺るがす超大事件・歴史が比較的「浅い」靖国神社・日本における神社と寺社〜」の話でした。

目次

日本における神社の存在:世界三大宗教と神道と仏教

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靖国神社(新歴史紀行)

日本人にとっては、「精神の故郷」とも言える存在である場・空間が靖国神社です。

宗教名信者数(概数)
キリスト教20億人
イスラム教16億人
ヒンドゥー教11億人
仏教4億人
神道8,800万人
世界の宗教と信者数(2025年9月時点)

世界には様々な宗教があり、信者数においてはキリスト教・イスラム教・ヒンドゥー教が三大宗教です。

我が国に馴染みが深い仏教は、信者の数においては、これら「三大宗教」に遥かに見劣りがします。

主にクリスチャン・プロテスタントなどの宗派があるキリスト教は、圧倒的存在です。

そして、日本においては宗教の色は非常に薄く、特定の宗教に属している人少数です。

上の神道の信者数は、文化庁の「宗教年鑑」による自己申告の合算のようです。

この「神道の信者数」には、「お守りなどを購入した」人が含まれるようです。

確かに「お守りを購入する」ことは、「宗教行為の一つ」と考えられますが、

日本人S

私は〜教の信者だから、
お守りを購入しよう・・・

このように考えて、「お守りを購入する」日本人は極めて少数派であり、ほとんどの人は、

日本人T

せっかく〜神社に
お参りに来たから・・・

日本人T

お守りを
買っておこうかな・・・

日本人T

何かご利益があるかもしれないし、
記念になるから・・・

このように「なんとなくお守りを購入」する日本人がほとんどです。

日本人U

P寺には、
ご先祖様が眠っているから・・・

日本人U

毎年、お墓参りに
行かないと・・・

そして、国教が神道である日本においては、仏教の寺社もまた多数存在します。

墓所を持つことが多い寺社には「檀家」という存在があります。

檀家は「事実上の信者」ですが、信者とは少し異なります。

宗教名宗教施設祀る対象
神道神社神様
仏教寺社仏様
神道靖国神社英霊
宗教と宗教施設と祀る対象

そして、「神道と神社」、「仏教と寺社」はセットとなり、特殊な神道の神社が靖国神社です。

特攻隊の銅像がある遊就館:帝国陸海軍神風特別攻撃隊員たちの叫び

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靖国神社の桜(新歴史紀行)

元旦や桜の季節、あるいはなんらかの行事が行われる際は、大盛況となる靖国神社。

筆者は靖国神社に参拝するのが好きで、特に「桜の靖国神社」は格別です。

皇居付近の東京の中心にあり、ロケーションとしては最高である靖国神社。

特殊な時期以外は、靖国神社では人影はそれほど多くなく、静謐な空間となっています。

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靖国神社・遊就館(新歴史紀行)

そして、靖国神社の奥にひっそりと建っているのが遊就館です。

遊就館に関して(靖国神社公式サイト、抜粋)

中国の古典、『荀子』勧学篇「君子は居るに必ず郷を擇び、遊ぶに必ず士に就く」から「遊」「就」を撰んだものです。

国のために尊い命を捧げられた英霊のご遺徳に触れ、学んでいただきたいという願いが館名には籠められています。

遊就館は明治10年の西南戦争が終わるころ設立の構想が出され、同12年に陸軍卿・山縣有朋を中心に、「御祭神の遺徳を尊び、また古来の武具などを展示する施設」として構想され、イタリアの雇教師カペレッティーの設計により、明治14年にイタリア古城式の建物が竣工し、翌15年2月25日に開館式が行われました。

遊就館では、令和7年1月、常設展示室の展示品入替えや調整を行って見やすくし、説明文をより分かりやすく書きかえて英文を併記するなど、英霊の「みこころ」を多くの方に伝え、次の世代に語り継いでまいります。

遊就館の建設構想は、西南戦争がきっかけであり、同年の1877年のことでした。

そして、1882年(明治15年)に開館した遊就館。

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靖国神社・遊就館(新歴史紀行)

遊就館のエントランスの近くには、特攻隊の銅像が建っています。

世界の戦争において、自爆攻撃や自爆テロは多数見受けられますが、多くは個人的・散発的です。

その一方で、おそらく「世界史の中でただ一つである組織的な自爆攻撃」であった神風特別攻撃隊。

特攻隊員A

いよいよ、
明日は出撃だな!

特攻隊員B

おうっ!
靖国で会おうな!

敗色濃厚となった1944年10月のレイテ沖海戦で、神風特別攻撃隊が正式に出撃しました。

それから、敗戦を迎える翌1945年8月までの、およそ11ヶ月の間出撃し続けた特攻隊。

陸海軍特別攻撃隊出撃者数
帝国陸軍1,689人
帝国海軍4,156人
帝国陸海軍合計5,845人
陸海軍特別攻撃隊出撃者数(諸説あり)

当時の帝国陸海軍では「空軍は陸海軍それぞれの一部」でした。

そして、戦争末期には空母もなくなり、「海空軍」となっていた帝国海軍。

神風特別攻撃隊は、陸軍よりも海軍の方が出撃数が多く、70%ほどが海軍からの出撃です。

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海兵40期の同期:左上から時計回りに大西瀧治郎 航空本部総務部長、宇垣纏 連合艦隊参謀長、山口、福留繁 軍令部第一部長(連合艦隊司令長官 別冊歴史読本 新人物往社,Wikipedia)

そして、海軍特攻は、主として海兵40期同期の大西瀧治郎、宇垣纏の二人によって推進されました。

陸海軍航空特攻による戦死者数
帝国陸軍1,417人
帝国海軍2,531人
帝国陸海軍合計3,948人
陸海軍:航空特別攻撃隊による戦死者数(諸説あり)

そして、およそ4,000名の方が特攻隊として、散華しました。

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知覧特攻平和会館(新歴史紀行)

特攻隊の銅像は、知覧にある知覧特攻平和会館にもあります。

知覧特攻平和会館を訪問した話を、上記リンクでご紹介しています。

遊就館の外部にある特攻隊の銅像は、靖国神社内で無料です。

そして、祀られている祭神=英霊の大多数を占める神風特別特攻隊。

ぜひ、靖国神社を訪問する際は、特攻隊の銅像に御参りしてください。

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