前回は「「神となった真田」真田神社と上田城〜真田六文銭が光る賽銭箱・真田流軍略の総本山上田城・二度の徳川家への大痛撃〜」の話でした。
信繁の声が聞こえてくるような真田信繁像:「軍神」に近い真田

信州・上田城の城門を入ってすぐのところにあるのが、真田神社です。
上の写真は、上田城の城門に向かうところですが、城門の奥に真田神社の鳥居が見えます。
上田城を訪問した話を、上記リンクでご紹介しています。

戦国ファンの中で、異様なまでに人気が高い真田。
真田昌幸徳川勢など
蹴散らしてくれるわ!
武田家にいた若い頃から、後に天下人となった徳川家康と戦い続けた真田昌幸。



我が真田の槍を
受けてみよ!
そして、10代の頃に出陣して、第一次上田合戦で徳川勢を叩き潰した真田信繁(幸村)。
| 名前 | 生年(一部諸説あり) |
| 真田 幸隆(幸綱) | 1513年 |
| 武田 信玄 | 1521年 |
| 徳川 家康 | 1542年 |
| 真田 昌幸 | 1547年 |
| 真田 信繁(幸村) | 1567年 |
| 徳川 秀忠 | 1579年 |
その後、「関ヶ原」の第二次上田合戦から、大坂冬の陣・夏の陣で真田は徳川に挑み続けました。
「軍神」は、上杉謙信の専売特許のようになっていますが、「軍神」に近い存在が信繁(幸村)です。


真田神社では、真田信繁(幸村)が主役です。


若々しい信繁(幸村)の像を見ていると、



進め!
徳川勢に突っ込むのだ!
このように信繁(幸村)が叫ぶ声が聞こえてきそうです。
秘密の抜け道「真田井戸」がある真田神社:武田由来の土木技術


真田神社の奥には、上田城の古い櫓と思われる建物が綺麗に保存されています。
この内部には入ることが出来ませんが、木の外壁がとても綺麗です。


真田神社内には、上のような木製の廊下のような建物も残されています。
日本の木造軸組建築の典型のような建物であり、柱と梁による軸組が美しいです。
柱の下部にある礎石が少し新しいように見受けられるので、一部は再建かもしれません。
小さな梁で屋根が組まれており、優しい木造の雰囲気が漂います。


真田神社内には、「真田井戸」と呼ばれる井戸が残されています。


井戸から抜け道があり、北側の砦に通じていた真田井戸。
兵糧輸送のルートであり、脱出経路でもあったと思われます。


金山銀山採掘によって、金を得ていた大名の中でも、特に有名な武田家。
金山採掘には特殊な技術が必要であり、穴を掘ったりする技術はピカイチであったと思われます。



武田家由来の
技術で、抜け道を作ったのだ!
おそらく、真田井戸の抜け道は、武田家由来の金山技術によると思われます。
籠城戦において、このような抜け道を構築して「城内に攻め込む」戦術を取る場合もありました。
「土を掘って道を作る」のは、極めて高い土木技術が必要だったと思われます。
この「特殊な抜け道」があるところが、いかにも真田らしいと思います。


とにかく「真田の六文銭」が光る真田神社。


周囲の信州の山々は、実に美しいです。
天守閣はありませんが、真田井戸など「真田らしさ」が味わえる上田城と真田神社。
真田好きの方は、ぜひ訪問してみてください。


