秘密の抜け道「真田井戸」がある真田神社〜武田由来の土木技術・信繁の声が聞こえてくるような真田信繁像・「軍神」に近い真田〜|信濃・真田神社2

前回は「「神となった真田」真田神社と上田城〜真田六文銭が光る賽銭箱・真田流軍略の総本山上田城・二度の徳川家への大痛撃〜」の話でした。

目次

信繁の声が聞こえてくるような真田信繁像:「軍神」に近い真田

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上田城(新歴史紀行)

信州・上田城の城門を入ってすぐのところにあるのが、真田神社です。

上の写真は、上田城の城門に向かうところですが、城門の奥に真田神社の鳥居が見えます。

上田城を訪問した話を、上記リンクでご紹介しています。

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真田三代:上から反時計回りに、真田幸綱(幸隆)、真田昌幸、真田信繁(幸村)(Wikipedia)

戦国ファンの中で、異様なまでに人気が高い真田。

真田昌幸

徳川勢など
蹴散らしてくれるわ!

武田家にいた若い頃から、後に天下人となった徳川家康と戦い続けた真田昌幸。

真田信繁

我が真田の槍を
受けてみよ!

そして、10代の頃に出陣して、第一次上田合戦で徳川勢を叩き潰した真田信繁(幸村)。

名前生年(一部諸説あり)
真田 幸隆(幸綱)1513年
武田 信玄1521年
徳川 家康1542年
真田 昌幸1547年
真田 信繁(幸村)1567年
徳川 秀忠1579年
真田三代と信玄・家康の生年

その後、「関ヶ原」の第二次上田合戦から、大坂冬の陣・夏の陣で真田は徳川に挑み続けました。

「軍神」は、上杉謙信の専売特許のようになっていますが、「軍神」に近い存在が信繁(幸村)です。

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上田城・真田神社(新歴史紀行)

真田神社では、真田信繁(幸村)が主役です。

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上田城・真田神社(新歴史紀行)

若々しい信繁(幸村)の像を見ていると、

真田信繁

進め!
徳川勢に突っ込むのだ!

このように信繁(幸村)が叫ぶ声が聞こえてきそうです。

秘密の抜け道「真田井戸」がある真田神社:武田由来の土木技術

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上田城・真田神社(新歴史紀行)

真田神社の奥には、上田城の古い櫓と思われる建物が綺麗に保存されています。

この内部には入ることが出来ませんが、木の外壁がとても綺麗です。

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上田城・真田神社(新歴史紀行)

真田神社内には、上のような木製の廊下のような建物も残されています。

日本の木造軸組建築の典型のような建物であり、柱と梁による軸組が美しいです。

柱の下部にある礎石が少し新しいように見受けられるので、一部は再建かもしれません。

小さな梁で屋根が組まれており、優しい木造の雰囲気が漂います。

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上田城・真田神社(新歴史紀行)

真田神社内には、「真田井戸」と呼ばれる井戸が残されています。

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上田城・真田神社(新歴史紀行)

井戸から抜け道があり、北側の砦に通じていた真田井戸。

兵糧輸送のルートであり、脱出経路でもあったと思われます。

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武田二十四将(Wikipedia)

金山銀山採掘によって、金を得ていた大名の中でも、特に有名な武田家。

金山採掘には特殊な技術が必要であり、穴を掘ったりする技術はピカイチであったと思われます。

真田信繁

武田家由来の
技術で、抜け道を作ったのだ!

おそらく、真田井戸の抜け道は、武田家由来の金山技術によると思われます。

籠城戦において、このような抜け道を構築して「城内に攻め込む」戦術を取る場合もありました。

「土を掘って道を作る」のは、極めて高い土木技術が必要だったと思われます。

この「特殊な抜け道」があるところが、いかにも真田らしいと思います。

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上田城・真田神社(新歴史紀行)

とにかく「真田の六文銭」が光る真田神社。

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上田城・真田神社(新歴史紀行)

周囲の信州の山々は、実に美しいです。

天守閣はありませんが、真田井戸など「真田らしさ」が味わえる上田城と真田神社。

真田好きの方は、ぜひ訪問してみてください。

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