大きな飛躍果たした坂本龍馬の発想の根源〜脱グループと脱藩・薩長土肥の中核となった「志士グループ」・土佐藩の土佐勤王党〜|坂本龍馬3・人物像・エピソード

前回は「大人気の坂本龍馬の実像〜維新前夜に非業に倒れた龍馬の不明な足跡・「海から世界を見た」龍馬と薩長同盟・脱藩者と藩士の視点〜」の話でした。

目次

薩長土肥の中核となった「志士グループ」:土佐藩の土佐勤王党

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禁門の変(Wikipedia)

まるで、戦国時代のように各地で動乱が起こっていた幕末維新の頃。

1864年には、沸騰し続けていた長州が禁門の変(蛤御門の変)を引き起こしました。

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長州の志士たち:左上から時計回りに久坂玄瑞、木戸孝允、前原一誠、高杉晋作(国立国会図書館)

後世の視点から見て、禁門の変は「幕末維新の一つの出来事」かもしれませんが、大変な事態でした。

名前生年松下村塾
吉田 松陰1830◯(指導者=先生)
木戸 孝允(桂小五郎)1833
前原 一誠1834
入江 九一1837
山縣 狂介(有朋)1838
高杉 晋作1839
久坂 玄瑞1840
伊藤 博文(俊輔)1841
吉田 稔麿1841
長州の志士たちの年齢

維新期に長州で神格化された吉田松陰。

そして、現代には松陰神社があり、本当に神となった吉田松陰。

吉田松陰は、当時の長州藩巨大派閥であった松下村塾グループの教祖的存在でした。

久坂玄瑞

吉田松陰先生の
遺志を継ぐのだ!

久坂玄瑞

御所に攻め込んで、
天子様に直接我らの思いを伝える!

沸騰し続けて、沸点を通り過ぎていた長州の松下村塾グループは、「御所に攻め込む」暴挙を敢行しました。

「御所」は、当時の日本人にとって「攻め込む対象ではない」ただ一つの場所でした。

いわば「禁じ手」であることを理解しながら、敢えて実行したのが久坂玄瑞たちでした。

西郷隆盛

我が薩摩も
幕軍と共に長州を潰す!

久坂玄瑞

む、
無念だ・・・

この時、幕軍の一角であった薩摩藩は、長州藩を潰す側に回りました。

完全に「多勢に無勢」となった長州藩は大敗北し、久坂玄瑞は自刃しました。

幕末の三大志士グループ

・長州・松下村塾:高杉晋作、久坂玄瑞、前原一誠、伊藤博文、井上馨など

・薩摩・精忠組:西郷隆盛、大久保利通、有馬新七、大山綱良など

・肥前・義祭同盟:江藤新平、大隈重信、副島種臣、大木喬任、島義勇など

そして、後に薩長土肥と呼ばれる、討幕の中核となった薩長肥には「志士グループ」がありました。

坂本龍馬

土佐にも
志士グループがあるぜよ・・・

そして、土佐には「土佐勤王党」がありました。

大きな飛躍果たした坂本龍馬の発想の根源:脱グループと脱藩

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土佐藩士・土佐勤王党首領 武市瑞山(半平太)
武市瑞山

土佐藩を挙げて
勤王化するのだ!

土佐にも、他の薩長肥同様に「志士グループ」がありましたが、「三代グループ」からは外れます。

その理由は、幕末までに土佐勤王党が事実上潰されてしまい、消えてしまったからです。

さらに、土佐藩は、「反土佐勤王党」とも言うべき後藤象二郎や乾退助の活躍が重要でした。

乾退助(板垣退助)に関する話を、上記リンクでご紹介しています。

名前生年所属
大村 益次郎1825長州
西郷 隆盛1827薩摩
武市 瑞山1829土佐
大久保 利通1830薩摩
木戸 孝允1833長州
坂本 龍馬1835土佐
中岡 慎太郎1838土佐
高杉 晋作1839長州
久坂 玄瑞1840長州
幕末維新の志士たちの生年

一代の傑物であり、西郷隆盛の2つ年下であった土佐勤王党首領の武市瑞山(半平太)。

武市が、明治維新まで存命であったならば、武市は必ず参議となり、大きな足跡を残したでしょう。

ところが、武市は藩主・山内容堂によって切腹させられてしまいました。

武市が切腹させられたのは1865年のことであり、まさに「維新前夜」でした。

そもそも、土佐勤王党は、他の志士グループと比較して、あまりにも過激でした。

武市瑞山

邪魔者は
消すのだ!

暗殺者・岡田以蔵らに多数の暗殺を命じた首領であった武市瑞山。

武市瑞山

以蔵よ!
次は、こやつを消すのだ!

岡田以蔵

はっ!
武市様の指示に従います!

まさに以蔵を道具のように「使って」暗殺を繰り返した武市。

聡明でハンサムであった武市でしたが、どこかで「歯車が狂ってしまった」ようになりました。

坂本龍馬

これは・・・
これは違う・・・

土佐勤王党の一人であり、武市とは幼馴染であった龍馬は、「暗殺三昧」に違和感を感じたでしょう。

土佐勤王党が他の志士グループと大きく異なるのは、「暗殺を主題としたこと」でした。

あまりに暗すぎるイメージとなった土佐勤王党。

坂本龍馬

暗殺や人殺しで
世は変わらんぜよ・・・

日本に限らず世界の歴史において、暗殺は多数行われ、大きな影響を与えてきました。

ところが、「暗殺は一過性の効果」しかないのも事実です。

武市瑞山

土佐藩参政(首相)
吉田東洋を暗殺した!

武市瑞山

みんな殺して仕舞えば、
我らの出番となる!

そして、土佐藩と京で「ひたすら暗殺を繰り返した」武市率いる土佐勤王党。

暗すぎる土佐勤王党には、「暗い未来」しか待っていませんでした。

「暗すぎる」土佐勤王党と、土佐藩の身分制度に見切りをつけた龍馬。

坂本龍馬

土佐勤王党から
脱出する!

坂本龍馬

そして、土佐藩からも
脱藩する!

一気に飛躍して「脱グループ」と脱藩を同時に敢行した龍馬。

この思いきりこそ、大きな飛躍を果たした龍馬の発想の根源でした。

新歴史紀行

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