土佐藩四天王の中核的存在だった乾退助〜土佐藩における上士と下士・土佐藩正規軍の中核・長宗我部侍と山内侍の相剋〜|板垣退助2・人物像・エピソード

前回は「討幕軍ダントツの智勇兼備の将軍だった板垣退助〜名門乾家に生誕・武田家超重臣「武士中の武士」板垣信方の末裔の血筋〜」の話でした。

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自由党総理 板垣退助(国立国会図書館)
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土佐藩四天王の中核的存在だった乾退助:土佐藩における上士と下士

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土佐藩出身の軍人・政治家:左上から時計回りに、坂本龍馬、中岡慎太郎、後藤象二郎、板垣退助((国立国会図書館)

後世の視点から見て、幕末維新の「土佐藩出身の志士」と言えば、まずは坂本龍馬と中岡慎太郎です。

特に坂本龍馬は、「異様なほどに有名になった」と言える存在です。

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坂本龍馬 像(新歴史紀行)

高知の桂浜には、巨大な坂本龍馬像があり、その巨大さは他を圧するほどです。

とにかく、「高知・土佐と言えば坂本龍馬」の現代。

ところが、実際には坂本龍馬や中岡慎太郎の活躍は、かなり限定されたものであったのが実情でした。

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土佐藩士 乾退助(Wikipedia)
乾退助

我が乾家は、
武田家重臣の板垣信方の板垣家だ!

土佐藩の山内家類代の家臣であり、武田信玄の重臣として名高い板垣信方の流れを汲んだ乾退助。

若い頃から、剣術に入れ込んだ生粋の武士であった乾は、「藩士の見本」のような存在でした。

名前生年所属
大村 益次郎1825長州
西郷 隆盛1827薩摩
大久保 利通1830薩摩
木戸 孝允1833長州
坂本 龍馬1835土佐
乾 退助1837土佐
後藤 象二郎1838土佐
中岡 慎太郎1838土佐
高杉 晋作1839長州
久坂 玄瑞1840長州
幕末維新の志士たちの生年

「坂本龍馬と中岡慎太郎が二強」と思われがちな土佐藩ですが、乾退助と後藤象二郎の存在は外せません。

土佐藩四天王

坂本龍馬、乾退助、後藤象二郎、中岡慎太郎(生年順)

彼ら4名を「土佐藩四天王」と呼びたいと思います。

そして、不思議なことに、土佐藩四天王は、1835年〜1838年の4年間に集まっています。

この中で、坂本龍馬が最も年長でありましたが、下士出身の龍馬の立場は極めて弱い存在でした。

上士であり、年齢的にも程よい年頃であった乾退助は、土佐藩四天王の中核的存在となりました。

土佐藩正規軍の中核:長宗我部侍と山内侍の相剋

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坂本龍馬脱藩之日記念館(新歴史紀行)

そして、早々に土佐藩を脱藩してしまった坂本龍馬。

坂本龍馬の脱藩行に関する話を、上記リンクでご紹介しています。

1862年、27歳頃の時に脱藩した坂本龍馬。

坂本龍馬

土佐藩なんか、
脱藩するぜよ!

坂本龍馬の二つ年下であった乾退助は、坂本龍馬の脱藩を聞いて、

乾退助

坂本さんが
脱藩したか・・・

乾退助

だが、彼は下士出身であり、
上士の俺とは立場が全然違うからな・・・

土佐藩において、巨大な差があった「上士と下士の違い」を意識し、

乾退助

まあ、俺は
土佐藩士・乾退助であり・・・

乾退助

土佐藩脱藩など、
考えたこともないがな・・・

上士として恵まれた立場に生まれた乾は、「土佐藩脱藩」は「一瞬も考えたことがないこと」でした。

薩長土肥の成り立ち

・薩摩:元々守護の家柄だった「根っからの大名」薩摩家

・長州:豪族(国衆)から「成り上がった大名」毛利家

・土佐:豊臣家の家臣から徳川家家臣へ移行した「家臣出身大名」山内家

・肥前:豪族(国衆)から成り上がった龍造寺家の「「重臣出身大名」鍋島家

後に、討幕(倒幕)の中核となった薩長土肥。

それぞれが、戦国時代の名家でしたが、土佐藩はかなり異質な存在でした。

もともとは、秀吉の家臣だった立場から、一気に土佐の覇王・長宗我部の本拠地に乗り込んだ山内家。

山内家関係の武士と長宗我部関係の武士で、強烈な軋轢が生じるのは当然のことでした。

何といっても、長宗我部侍にとっては、「格が違う」のが本音でした。

長宗我部氏

我が長宗我部は、
一時的とはいえ、四国の覇王となった・・・

長宗我部氏

豊臣や徳川ならば、
対等と考えてやっても良いが・・・

長宗我部氏

山内、だと・・・
秀吉の家臣、だと・・・

「超格下」であるはずの山内侍に「支配される」ことになった、長宗我部侍たち。

それに対して、どうしても「上から目線で圧するしかなかった」山内侍。

土佐藩の上士・下士と郷士

・上士:関ヶ原合戦で新たな国主(藩主)となった山内家の藩士(武士)

・下士と郷士:旧国主の長宗我部系の藩士(武士)

「関ヶ原」では、無念のお家取り潰しとなり、大坂の陣で「正式に消えた」長宗我部家。

長宗我部の流れを汲む下士や郷士には、「長宗我部の怨念」が刻み込まれていました。

乾退助

俺は俺の流儀で、
この世を切り開いてくれるわ!

若き乾退助は奮い立ち、「土佐藩正規軍の中核」として討幕を牽引しました。

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