「国家を治す医師」を自認した村田蔵六〜最先端学問の入り口蘭語・西洋兵学導入に大きく舵切った徳川幕府・アヘン戦争の巨大衝撃〜|大村益次郎5・人物像・エピソード

前回は「時代の趨勢を見抜いた村田蔵六〜西洋兵学の重要性認識と大傾倒・適塾卒業生の俊英長与専斎・「蘭学解読研究所」だった適塾〜」の話でした。

新歴史紀行
兵部大輔 大村益次郎(村田蔵六)(国立国会図書館)
目次

西洋兵学導入に大きく舵切った徳川幕府:アヘン戦争の巨大衝撃

新歴史紀行
アヘン戦争(Wikipedia)

幕末の時代、日本においては「西洋列強の脅威」が最重要でした。

徳川幕府

あの清国が
エゲレス(大英帝国)に大敗北した・・・

様々な解釈がありますが、日本の歴史上、日本にとって「兄貴分」であり続けた中国。

実際、様々な王朝が入れ替わりつつも、中国は巨大国家であり続けました。

19世紀中盤において、人口・GDP共に世界一であった清国(中国)。

清国では「中華思想」がさらに強まっている中、大英帝国と戦争し、大敗北してしまいました。

さらに、大英帝国に香港などの領土を取られ、欧米列強の進出が激しくなった清国。

巨大国家であった清国は、瞬く間に欧米列強の植民地となってゆきました。

徳川幕府

このままでは
我が国も欧米列強にやられてしまう・・・

「徳川幕府の屋台骨は腐っていた」と表現されることが多い幕末の時代。

そうは言っても、1840年代の徳川幕府はバリバリの日本政府でありました。

徳川幕府

我が国も西洋の軍事学、
軍事技術を取り入れねば・・・

そして、徳川幕府は「日本防衛」のために、西洋の軍事技術導入に舵を切りました。

江戸期の日本の出入口

・長崎:徳川幕府・オランダや中国など

・対馬:対馬藩・朝鮮や中国など

・琉球:薩摩藩・中国や東南アジアなど

・蝦夷(北海道):松前藩→徳川幕府・ロシアなど

とは言っても、「鎖国」が国是であった幕府にとって、頼りになるのはオランダのみでした。

徳川幕府

とにかく、オランダから
軍事に関する兵器・技術・書籍を導入!

幕府は、オランダに対して、多額の予算をつけて軍事に関する兵器等の導入を推進しました。

「国家を治す医師」を自認した村田蔵六:最先端学問の入り口・蘭語

New Historical Voyage
アムステルダム(新歴史紀行)

水の都・アムステルダムを首都とするオランダ。

新歴史紀行
江戸の発展:1639年頃(新歴史紀行)

そして、かつては江戸城周辺には多数の堀割・河川・運河があり、水の都だった江戸。

西洋列強の中で、国家の規模が比較的小さく、色々な類似点があったオランダとは良好な関係でした。

徳川幕府

オランダの皆さん、
もっともっと、武器などを売ってください。

オランダ

もちろん!
Tokugawa Shogunとは長い付き合いですから・・・

オランダ

大砲や軍艦をお売りしても
良いですが・・・

オランダ

それらを適切に使える
軍人がいなければ意味がないです・・・

徳川幕府

た、確かに
その通りですな・・・

オランダ

我がオランダの兵学書を
多数お売りするので・・・

オランダ

貴国でオランダ語を
理解する人物に読んで理解して頂きたい・・・

徳川幕府

我が国には優れた
蘭学者が多数いますからな・・・

徳川幕府

その人物たちに、翻訳などを
お任せしましょう!

オランダ

まずは、兵学書によって
西洋軍事の基礎を確立してください。

オランダ

何事も、まずは基礎が
大事です・・・

オランダ

我々オランダ人の軍人も
派遣しますので・・・

オランダ

西洋兵学の基礎を
早めに作りましょう!

徳川幕府

有難う御座います!
西洋兵学、大推進します!

こうして、凄まじい勢いで「西洋兵学猛烈推進」に踏み切った徳川幕府。

それは、後の明治新政府が「超欧化主義」を推進した姿と似ていました。

少し異なる点としては、徳川幕府の「西洋兵学猛烈推進」よりも明治新政府の方が強烈だった点です。

明治新政府が「欧米の制度を丸ごと輸入」したと比較すると、徳川幕府は「緩やかな輸入」でした。

名前生年所属
大村 益次郎(村田 蔵六)1825長州
西郷 隆盛1827薩摩
武市 瑞山1829土佐
大久保 利通1830薩摩
木戸 孝允1833長州
江藤 新平1834佐賀
坂本 龍馬1835土佐
中岡 慎太郎1838土佐
高杉 晋作1839長州
久坂 玄瑞1840長州
幕末維新の志士たちの生年

ちょうど、この「日本政府=徳川幕府」の西洋兵学への傾倒の頃、壮年期を迎えた村田。

適塾で蘭学力をメキメキ上昇させた村田は、大いなる自信を持っていました。

村田蔵六

蘭学には自信があり、
どんな蘭学書でも読みこなせる!

村田蔵六

そして、今の我が国で
最も必要なのは、西洋兵学である!

西洋列強の勢いが嵐のように吹き荒れてきた1850年代。

村田蔵六

上医は国を医し、
その次は人を医すのだ!

村田は、このように考えていたに違いなく、傲岸不遜な村田は、

村田蔵六

そして、俺こそが、
国家の医師となる人物だ!

こう考えていたでしょう。

ところが、まだ時代は村田を必要としていませんでした。

村田蔵六

・・・・・

適塾で西洋兵学と医学を学んだ村田は、一度郷里の長州藩周防国鋳銭司村に戻り、家業を継ぎました。

新歴史紀行

この記事が気に入ったら
フォローしてね!

目次