前回は「「戦国の城」の代名詞・小田原城〜「北条帝国」の本拠地・異様に広大で難攻不落の城・「北条帝国のシンボル」〜」の話でした。
「街全体を城郭化」した稀代の城郭・小田原城:「関東の王」の城

「戦国最強の城」の代名詞的存在の小田原城。
現在の小田原城は、完全復元であり、規模はかなり縮小されています。

現在の小田原城のエリアを示す模型が、上の写真です。
この規模でも、他の城よりもはるかに広い城郭である小田原城。

戦国時代から江戸時代にかけては、小田原城は、外堀の外部の街・都市をも囲う大規模な城郭でした。
欧州の城郭建築は、「街を囲う」発想で作られていますが、日本の城郭は「城のみ囲う」発想です。
そのため、この小田原城の「街全体を城郭化する」発想は、日本の城郭において稀です。

伊豆に地盤を築いて、相模に侵攻した北条早雲(伊勢新九郎)。
それに続いて、二代目氏綱・三代目氏康で、「北条帝国」の骨格は定まりました。

北条帝国の本拠地である
小田原・・・



我が北条帝国の中心地である
小田原城は、関東の中心となるのだ!
氏康が三代目を継いだ頃は、関東では関東管領・上杉家などが強力な存在でした。
戦国時代になって、旧秩序が破壊されつつあった当時、関東では「旧秩序が強く残っていた」状況でした。
その中、歴代北条家の当主たちは、



小田原城を、
我が国一の城にしたい・・・
このように、「関東一」を超えて「日本一」の城を狙っていたのでしょう。


とは言っても、当時は「関東は後進エリア」であり、先端地であった近畿より遅れていました。



文明や文化の最先端は
京を中心とする近畿だ・・・



そして、我が関東武士には
無用な壮麗さは不要だ・・・



規模で、大きさで
小田原城はトップに君臨するのだ!
おそらく、北条家は二代目・氏綱から三代目・氏康の頃に、「規模でトップ」を狙っていたのでしょう。
その「北条家の思い」が、この広大すぎる稀代の小田原城へと発展しました。
いわば、「関東の王」の城であったのが小田原城でした。
後世定着した「小田原評定」のイメージ:豊臣家の小田原征伐


正門を入ると、さらに堀が続き、その広大なエリアを感じさせます。
このエリアからは、天守は見えず、「天守がまだ遠い」ことを実感します。


小田原城の大きな門の上を見ると「石落とし」が見受けられます。
籠城戦では、ここから敵に石を落として、戦うことが想定されて築城されました。
石落としは、数多くの城郭建築で見られ、「城郭建築の基本」とも言えます。


全て復元城郭ですが、塀には、数多くの鉄砲狭間・矢狭間があります。
これらの鉄砲狭間・矢狭間によって、壮大な小田原城が「戦闘城郭」であったことが認識されます。


この門の内部に入ることが出来、北条氏政・北条氏直らの「小田原評定」の原寸大人形があります。



「小田原評定」に
参加して、写真を撮りましょう!
そして、「小田原評定に、自分たちも参加して、写真撮影」という面白い趣向です。





北条家が
我が豊臣に従わぬか・・・



やむを得んな・・・
北条討伐だ!
秀吉が「吹っ掛けた」雰囲気が濃厚であり、北条家からすれば「吹っ掛けられた」戦でした。



氏素性がない、
秀吉なぞに従えるか!



我らは「関東の王」である
北条家ぞ!
そして、1589年に「北条攻め」を決定した秀吉。



我が小田原城は、
武田信玄も上杉謙信も落とせなかった巨城!



この小田原城に籠城すれば、
豊臣軍も撤退せざるを得んだろう!
北条家は五代・北条氏直の代になっていましたが、実権を握っていた四代・氏政。
その北条氏政の「勝つ戦略の根幹」が小田原城でした。



信玄と謙信が
攻めきれなかった小田原城・・・



分っとらんようだが、
攻城戦では、この秀吉は信玄も謙信も超えている!
そもそも、この頃の豊臣の力は圧倒的であり、「攻城戦ならば自信がある」秀吉。



天下の豊臣軍を
総動員せよ!



戦国最後の大戦を
やるのだ!



最後の戦いは、
小田原征伐だ!
「戦国時代にピリオドを打つ」気持ち満々で、秀吉は15万を超える大軍勢とともに小田原に来ました。





さて、豊臣を
箱根で迎撃するが・・・



あとは、何か
良い手があるかのう・・・



なかなか良い手が
思いつきませぬな・・・
ダラダラと無意味な会議を延々とやっていた北条家は「ぬるい雰囲気」でした。



豊臣には
勝てんかったか・・・
そして、敗北して、責任を取らされて切腹した北条氏政。
まさか、後世「小田原評定」という言葉が定着するとは、考えもしなかったでしょう。



我らが北条の城であり、
関東の王の城・・・



その小田原が、
ネガティブな意味で後世使われるとは・・・
「無意味で長いだけの何の生産性もない会議」を指す「小田原評定」という言葉。
「関東の覇王」を自認する北条家にとっては、屈辱的なイメージとなってしまいました。



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小田原城訪問の際は、「小田原評定」の実物大フィギュアをお楽しみください。
次回は上記リンクです。