「戦国の城」の代名詞・小田原城〜「北条帝国」の本拠地・異様に広大で難攻不落の城・「北条帝国のシンボル」〜|相模・小田原城1

前回は「「現存十二天守」と「天守国宝五城」の松本城〜平成に復元された太鼓門・明治新政府に思惑と廃城令〜」の話でした。

目次

「戦国の城」の代名詞・小田原城:「北条帝国」の本拠地

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小田原城(新歴史紀行)

久しぶりに小田原城を訪問しました。

小田原駅から出ると、小田原城の天守閣が見え、「小田原城中心の街」であることが分かります。

小田原駅から小田原城に向かう通りの向き・ビスタに合わせて、ちょうど天守閣が見えるのが良いです。

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小田原城(新歴史紀行)

小田原駅から小田原城に向かって歩いてゆくと、広大な堀が見えます。

「戦国の城」の代名詞である小田原城。

その規模において、後の大坂城と同程度の、極めて広大な城でした。

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歴代北条家当主:左上から時計回りに、北条早雲、北条氏綱、北条氏政、北条氏康(Wikipedia)

北条五代に渡り、北条帝国の中心地であった小田原城。

伊勢宗瑞

伊豆の韮崎城から、
関東に攻め込むぞ!

北条家初代の北条早雲(伊勢新九郎)は、「伊豆数万石」から、関東の大名に乗し上がりました。

伊勢宗瑞

相模の大森氏を
潰すのだ!

伊勢宗瑞

そして、小田原城を
奪取するのだ!

小田原城を奪取して「北条帝国の基礎」を築いた北条早雲。

北条早雲に関する話を、上記リンクでご紹介しています。

おそらく、早雲が奪取した頃の小田原城は、それほど大きな城ではなかったと思われます。

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関東・甲信勢力図 1561年(歴史人 2020年11月号掲載図から一部抜粋

初期の北条家においては、歴史ある小田原城は、中央付近にありました。

「北条家の本拠地」として、ちょうど良い場所であった小田原城。

その後、武蔵から上野・下総などに勢力を伸ばした北条家は、本拠地を小田原城のままとしました。

「関東の覇者」としては、少し「西に寄り過ぎ」であった小田原城。

北条氏康の代に、仲良く三国同盟を締結する武田家、今川家もまた、本拠地が「東に寄り過ぎ」でした。

東国や関東周辺では、「本拠地は変えないことが正統派」という認識があったように思います。

異様に広大で難攻不落の城:「北条帝国のシンボル」

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小田原城(新歴史紀行)

現代では、だいぶ城の規模が縮小された小田原城ですが、この堀を見ると壮大な姿が想起されます。

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小田原城(新歴史紀行)

堀を横目に進んでゆくと、小田原城の正門に至ります。

「ほとんど全てが復元」である小田原城は、鉄筋コンクリート造です。

門は木造で作られていますが、塀などもコンクリート造と思われます。

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松本城(新歴史紀行)

昔のままである「現存十二天守」の一つの松本城と比較すると、石垣が「嘘っぽい」感じがします。

松本城に関する話を、上記リンクでご紹介しています。

小田原城の塀の「石垣」は、「石を貼った」感じで「石が支えている」雰囲気は感じられません。

こういう点は「歴史好き」にとっては、少し寂しいですが、なんと言っても「城があること」が大事です。

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小田原城(新歴史紀行)

「かなり縮小された」とは言え、小田原城内は、かなり広いです。

この日は、桜の季節間際だったため、比較的大勢の人が訪問していました。

それでも、上の写真のように「人が写らない画角」で撮影可能なほど、広大であるのが小田原城です。

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左上から時計回りに、織田信長、豊臣秀吉、北条氏政、徳川家康(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研、Wikipedia)

「戦国随一の規模」を誇る小田原城は、「戦国の終結を飾った」城としても有名です。

北条氏政

豊臣なんぞに
従えるか!

北条氏政

関東に攻め込んでくるなら、
小田原城を攻めてみよ!

戦国時代が急速に終焉に向かおうとしていた1590年、小田原城に「日本中の軍が終結」しました。

豊臣軍20万人に対して、北条家の総力を上げた5万人程度で迎え打った北条氏政。

最後の小田原城籠城戦において、豊臣軍は、陸から海から完全に小田原城を包囲しました。

北条氏政

むむ・・・
豊臣には勝てぬか・・・

そして、最後は小田原城と「共に散った」北条家。

歴史的に超有名な小田原城ですが、小田原城に関する資料等が限定されています。

そのため、「小田原城の真の姿」を知るのは困難な点がありますが、とにかく拡張を続けた小田原城。

北条氏綱

北条帝国の
象徴となる巨大な城を!

北条氏康

北条帝国の
シンボルとなる巨大な城を!

おそらく、北条氏綱から北条氏康の頃に、「広大な小田原城」を構築・整備を続けたと思われます。

上杉謙信

我が春日山城も
大きな城だが・・・

上杉謙信

小田原城は、
異様に広大だのう・・・

「異様に広大」であった小田原城に対しては、上杉謙信も攻めきれず、諦めました。

武田信玄

小田原城は、
攻めきれんのう・・・

そして、武田信玄もまた、そのあまりに巨大で万全であった小田原城を攻めあぐねました。

これほど広大な「北条帝国のシンボル」であると同時に「難攻不落の城」であった小田原城。

その巨大さが、現代でも感じられる小田原城です。

次回は、天守に向かいます。

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