沖縄戦の旧海軍司令部壕〜神風特別攻撃隊出撃から沖縄戦の死闘へ・沖縄戦の痛ましい写真・陸海軍の総力を上げた決戦と大和突入〜|旧海軍司令部壕1・沖縄戦の巨大な爪痕

前回は「琉球王・尚寧王の叫びが感じられる浦添ようどれ〜元和偃武と島津侵攻・室町から戦国時代の始まりに成立した琉球王朝・将軍足利義教の恐怖政治〜」の話でした。

目次

沖縄戦の旧海軍司令部壕:神風特別攻撃隊出撃から沖縄戦の死闘へ

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旧海軍司令部壕(新歴史紀行)

かつて、沖縄の旧海軍司令部壕を訪問しました。

南北に長い沖縄では自動車で移動することが多いですが、那覇空港から車で10分ほどにあります。

世界史で「第二次世界大戦」と呼ばれる戦争は、日本では「太平洋戦争」と呼ばれることが多いです。

ここで「世界史と日本史に分ける」是非は別として、他には「大東亜戦争」の呼称があります。

「大東亜戦争」は大東亜共栄圏に対する認識の是非があり、一般的には「太平洋戦争」が多いです。

実際には、日本にとっては「アジアと太平洋で戦っていた」ので「アジア太平洋戦争」とも呼びます。

いずれにしても、旧日本軍にとっては最強だった米軍との死闘の印象が強いこの戦争。

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1942年2月の大日本帝国進出範囲(歴史群像 太平洋戦史シリーズN0.2 大捷マレー沖海戦 学研)

旧日本軍は陸海軍ともに、太平洋からアジア・インド洋・珊瑚海にかけて広大な地域で戦いました。

すでに中国などで戦争を続けていた大日本帝国は、真珠湾奇襲攻撃で対米英戦を敢行しました。

真珠湾奇襲攻撃に関しては、上記リンクなどでご紹介しています。

こうして太平洋戦争が始まり、当初は「想定をはるかに上回る大戦果」を挙げ続けた大日本帝国。

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左上から時計回りに、東條英機 総理大臣兼陸軍大臣、Douglas MacArthur極東米陸軍司令官、Chester Nimitz米太平洋艦隊司令長官、山本五十六 連合艦隊司令長官(Wikipedia)
山本五十六

早期に米海軍を
叩くのだ!

真珠湾奇襲攻撃の1941年12月の半年後の1942年6月のミッドウェー海戦以降、後退を続けました。

そして、1944年には敗色が濃厚になる中、神風特別攻撃隊が出撃することになりました。

知覧特攻平和会館に関する記事を、上記リンクでご紹介しています。

そして、大日本帝国の「南の守りの要」であった沖縄

1945年3月26日から、間近と目されていた「本土決戦」を前に沖縄で沖縄戦が開始しました。

Chester Nimitz

我がUnited Statesは
Japanを押し続けているが・・・

Chester Nimitz

JapanはKamikazeを
出し続け、まだまだ頑強だ・・・

後世の視点から見れば、どう考えても敗北するしかない状況にあった日本。

ニミッツ率いる米太平洋艦隊は南側から飛び石伝いに攻めて、日本の領土は急速に減少しました。

Chester Nimitz

いよいよOkinawaを
攻めて、Japanの中核を攻めるのだ!

真珠湾奇襲攻撃後に急速に拡大した「太平洋・アジアにおける日本領」を次々に陥落させた米軍。

日本本土での決戦を前に、大挙して沖縄に攻め込みました。

当時、太平洋にいた米軍がほぼ全力で沖縄に乗り込んだ形になり、

Douglas MacArthur

早期にOkinawaを
陥落させて、Japanの本土へ!

この「沖縄戦の巨大な爪痕」を感じることが出来るのが、ここ旧海軍司令部壕です。

沖縄戦の痛ましい写真:陸海軍の総力を上げた決戦と大和突入

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旧海軍司令部壕(新歴史紀行)

ガラス張りの楕円形の建築が印象的な旧海軍司令部壕の中に入ると、多数の沖縄戦の写真があります。

周囲を沖縄戦の写真に囲まれ、「沖縄戦の世界」が広がります。

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旧海軍司令部壕(新歴史紀行)

すでに、米軍によってサイパンなどの日本領が陥落され、多くの民間人も犠牲になりました。

敗色濃厚となる中、この「軍人ではない民間人の犠牲」が強まっている状況になりました。

沖縄戦は、それまでの日米戦・太平洋戦争と大きく異なった様相を多数示しました。

その「異なった様相」の一つが、「民間人ならぬ子ども達」も戦争に巻き込まれた状況でした。

これらの「子ども達から大人の民間人」の写真が多数あり、大変痛ましい気持ちになります。

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沖縄戦の米軍の当初侵攻計画(Wikipedia)

沖縄を主に西から攻める計画を立てていた米陸海軍。

島である沖縄に攻め込むためには軍を輸送する必要があり、海軍主導となりました。

沖縄の中心部から総攻撃をかける計画を立てていた米軍。

米軍が沖縄に攻めてくることが分かっており、「沖縄死守」を考えた大日本帝国の大本営。

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梅津美治郎 参謀総長(Wikipedia)
梅津美治郎

沖縄で米軍に
大打撃を与えるのだ!

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及川古志郎 軍令部総長(Wikipedia)
及川古志郎

我が海軍は総力を
結集して、沖縄戦へ挑む!

真珠湾奇襲攻撃の作戦計画立案時に、海軍大臣だった及川古志郎。

第一航空艦隊・機動部隊長官人事で軍令承行令を頑なに守り、ひたすら「規則」を重視しました。

この頃の、山本五十六長官と及川海軍大臣の話を上記リンクでご紹介しています。

「無能を絵に描いたような存在」であったものの「失点がない」ために、出世を続けていた及川。

米軍側が「主力は海軍」ならば、大日本帝国側も「主力は海軍」と行きたいところでした。

一方で、大日本帝国にとっては「本土・内地」である沖縄は、陸軍もまた主力です。

梅津美治郎

我が陸軍が
米軍を強烈に叩くのだ!

そして、海軍の「軍令のボス」であった及川軍令部総長は、

及川古志郎

沖縄に戦艦大和率いる
第二艦隊を突入させる!

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旧海軍司令部壕(新歴史紀行)

「大日本帝国海軍の象徴」であると同時に「大日本帝国の象徴」でもあった戦艦大和。

すでに、空母がない状況で、航空隊の傘がない状況だった第二艦隊。

沖縄戦開始10日後の1945年4月6日に、沖縄目指して突入しました。

全ての日本人にとって、とても大事な歴史である沖縄戦を体感できる旧海軍司令部壕。

ぜひ、訪問してください。

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