原枢密院議長の「謎の発言」の真意〜日ソ中立条約と独ソ不可侵条約・近衛首相と杉山総長と永野総長のバラバラな説明・御前会議の謎〜|陸海軍の迷走22・日米開戦と真珠湾へ

前回は「「英米戦必至」の永野軍令部総長の説明〜「南方と英米」の帝国海軍意思決定が異常に遅い+曖昧だった大日本帝国:独伊米英ソ中との違い〜」の話でした。

目次

近衛首相と杉山総長と永野総長のバラバラな説明:御前会議の謎

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1941年6月頃の日本政府・大本営幹部:左上から時計回りに、松岡洋右外相、近衛文麿首相、永野修身軍令部総長、杉山元参謀総長(Wikipedia)

独ソ戦勃発により、国策・国家の方針の抜本的見直しに迫られた帝国政府・大本営。

1941年6月24日から27日にかけて、帝国政府・大本営の最高幹部が話し合いました。

地域覇者
西欧ドイツ
東亜大日本帝国
米州米国
ロシアソ連
「世界四大ブロック」の松岡構想

この時、帝国政府の外交方針の骨格を形成していたのが、松岡外相の「松岡構想」でした。

松岡洋右

この松岡が、
ヒトラーとツーカーの仲なのだ!

松岡洋右

この松岡が、
スターリンと直接交渉したのだ!

ヒトラーと極めて良好な関係であり、ソ連のスターリンとも「良好な関係」を築いていた松岡外相。

日本の国家の方針は、ほとんど松岡が独断で決めている「異様な状況」が続いていました。

陸海軍部新国策 決定:1941年6月27日(抜粋)

第二の二

帝国は自存自衛上南方用域に対する各般の施策を促進す

之が為対英米戦準備を整へ、先づ「対仏印泰施策要項」及「南方施策促進に関する件」に拠り先づ「南方施策促進に関する件」に拠り)仏印及泰に対する諸方策を完遂し以て南方進出の体制を強化す帝国は本号目的達成の為対英米戦を辞せず

第二の三

独ソ戦に対しては三国枢軸の精神を基調とするも暫く之に介入することなく密かに対ソ武力的準備を整へ自主的に対処す。此の間固より周密なる用意を以て外交交渉を行う。

独ソ戦争の推移帝国の為(極めて)有利に進展せば武力を行使して北方問題を解決し北辺の安定を確保す

第二の四

前号遂行に方り各種の施策就中武力行使の決定に際しては対英米戦争の基本態勢の保持に大なる支障なからしむ

バタバタ揉めた挙句に、陸海軍部新国策が決定し、昭和天皇に説明となりました。

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大東亜戦争全史1(服部卓四郎 著、鱒書房)

「大東亜戦争全史1巻」には、この頃の状況が極めて詳細に描写されています。

近衛文麿

適宜北方問題を解決することは
帝国国防上は勿論、東亜全局の安定上極めて肝要です・・・

適宜「北方を解決」だった近衛首相。

杉山元

重慶政権との連鎖を
分断致しまする。

「とにかく支那事変」だった陸軍および杉山参謀総長。

永野修身

諸方策を完全に遂行致し以て南方進出の
態勢を強化することが肝要であると存じます。

「とにかく南方」だった海軍および軍令部総長。

とにかく「バラバラな主張」が堂々と為されている異様な空気でした。

原枢密院議長の「謎の発言」の真意:日ソ中立条約と独ソ不可侵条約

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昭和天皇(Wikipedia)

近衛首相、杉山参謀総長、永野軍令部長に続き、松岡外相が外交事項に関して説明しました。

松岡洋右

現在、帝国の
外交関係事項は・・・

当時、主導権を握っていたかのような松岡外相に関して、

大東亜戦争全史

最後に、松岡外務大臣より、
外交関係事項について説明があった後・・・

「大東亜戦争全史1巻」は、異様なまでにアッサリと「松岡説明」を表現しています。

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原嘉道 枢密院議長(Wikipedia)

そして、最後に登場したのが原嘉道 枢密院議長でした。

原嘉道

ソ連は、共産主義を
世界に振り撒きつつある故・・・

原嘉道

いつかはこれ(ソ連)を
打たねばならぬ。

ここで、原枢密院議長は、淡々と「ソ連はいつかは打つ」と明言しました。

原嘉道

国民は、ソ連を打つことを
熱望している。

さらに、「国民がソ連を打つ」ことを望んでいると、飛躍した原議長。

しかし、当時の大日本帝国は、たかだか3ヶ月前の1941年4月13日に日ソ中立条約に署名していました。

より具体的には、この御前会議開催の1941年7月2日は「日ソ中立条約から2月半」でした。

Hitler

Sovietと
不可侵条約締結!

1939年8月23日に、ヒトラーとスターリンの間で締結された独ソ不可侵条約。

Hitler

Sovietに
侵攻する!

そして、2年経過する前の1941年6月22日に、一方的に条約破棄して侵攻したヒトラー。

ヒトラーの背信行為は明らかでしたが、一応「不可侵条約は1年10ヶ月ほど守られた」のでした。

それに対して、「3ヶ月以内で不可侵条約破棄して侵攻」は、国際法上、絶対に許されません。

この「国際法上、許されない立場」に対して、優等生的存在の原議長は、

原嘉道

ソ連は背信行為の
常習者である!

原嘉道

日本がソ連を打って
不信呼ばわりするものはない!

もはや謎すぎる「ソ連が悪で、日本は正しい」という論理を持ち出しました。

独善的すぎて、「真意が謎」であった原議長の発言でした。

昭和天皇

・・・・・

そして、このモヤモヤした空気の中、新国策は決定しました。

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スパイ Richard Sorge(Wikipedia)
Sorge

・・・・・

ところが、「最高機密」の新国策は、スパイ・ゾルゲによってクレムリンに通知されていました。

次回は上記リンクです。

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