前回は「「会して議せず、議して決せず」近衛首相〜ようやく決定した新国策・全く一貫性がなかった松岡洋右の主張・ドイツとソ連の「仲立ち」崩壊〜」の話でした。
ようやく決定した国家の新たな大方針:御前会議での説明へ

杉山元ようやく
新たな国策が決定しましたな・・・



吾輩の意見が
だいぶ入ったことだし・・・



この新国策案で
良いでしょう・・・
第二の二
帝国は自存自衛上南方用域に対する各般の施策を促進す
之が為対英米戦準備を整へ、先づ「対仏印泰施策要項」及「南方施策促進に関する件」に拠り(先づ「南方施策促進に関する件」に拠り)仏印及泰に対する諸方策を完遂し以て南方進出の体制を強化す帝国は本号目的達成の為対英米戦を辞せず
第二の三
独ソ戦に対しては三国枢軸の精神を基調とするも暫く之に介入することなく密かに対ソ武力的準備を整へ自主的に対処す。此の間固より周密なる用意を以て外交交渉を行う。
独ソ戦争の推移帝国の為(極めて)有利に進展せば武力を行使して北方問題を解決し北辺の安定を確保す
第二の四
前号遂行に方り各種の施策就中武力行使の決定に際しては対英米戦争の基本態勢の保持に大なる支障なからしむ
上の抜粋において、「黄色部分」が修正で、「青色部分」は削除です。
ドイツによるソ連「侵攻」というよりもソ連「強襲」に、狼狽してしまった大日本帝国政府と軍部。
当時、帝国政府・帝国軍部の大幹部たちの考えは、大分異なる状況でした。
その中、「各国との関係」に関しては、松岡外相の考えが軸となっていた状況でした。
| 地域 | 覇者 |
| 西欧 | ドイツ |
| 東亜 | 大日本帝国 |
| 米州 | 米国 |
| ロシア | ソ連 |
日独伊三国同盟と日ソ中立条約によって、めでたく「世界の2/4の強国」と同盟果たした大日本帝国。
当時、大日本帝国が「東亜の覇者」であることは、「自他ともに認めるもの」でした。
そのため、「日独伊三国同盟+日ソ中立条約」によって「世界の3/4の強国同盟軍」が誕生したはずでした。





Sovietに
侵攻する!
ところが、この「松岡構想」を根底から破壊し尽くしたのがヒトラーでした。
この新国策は、1941年7月1日に閣議決定しました。



いよいよ御前会議で
天皇陛下に説明ですな・・・
そして、昭和天皇への説明し、正式な裁可を得る必要がありました。
近衛首相の昭和天皇への「新国策」説明:曖昧でモヤモヤの国策


当時、大日本帝国の政策や大方針は、全て「ボトムアップ式」でした。
ドイツ・イタリア・米国・大英帝国などであれば、国家元首による「トップダウン式」でした。
当時の列強による大戦争の中で、大日本帝国だけが「超異質な国家」であったのでした。



・・・・・
そして、頭脳明晰であった昭和天皇は、適宜「急所をつく質問」をしました。
場合によっては、



この間の説明とは
全然違うではないか!
きちんと「以前の説明」を理解して覚えていて、大臣などを叱責もした昭和天皇。
その昭和天皇にきちんと理解、納得してもらい裁可を得ることが最重要課題でした。



・・・・・
連絡会議では、ほとんど無言を貫いた近衛首相。
大日本帝国の代表として、近衛首相が最初に昭和天皇に説明しました。



独ソ両国の開戦と
其の推移、米国の動向・・・



欧州戦局の進展、
支那事変処理策の関係を勘案致しまして・・・
当時、これらの4つの要素が、大日本帝国の直面する課題でした。
ここで、近衛首相の言葉に「近衛の考え」が明瞭に現れているのが、「支那事変処理策」でした。
「支那事変=日中戦争」は、「対峙する問題」ではなく「処理する問題」と考えていた近衛。
陸海軍も似たような視線でありましたが、この視点は甘いものでした。



我国是の大本は
大東亜共栄圏を建設し進んで・・・



世界平和の確立に
寄与せんとするに在るのであります。
あくまで「大東亜共栄圏建設」は「世界平和に寄与する」姿勢だった大日本帝国政府。



自存自衛の基礎を確立する為、
南方進出の歩を進むる一方・・・



北辺に於ける憂患を排除戦が為
世界情勢特に独ソ戦の推移に応じ・・・



適宜北方問題を解決することは
帝国国防上は勿論、東亜全局の安定上極めて肝要です・・・



・・・・・
このように昭和天皇に説明した近衛首相。
内心は、



私は三国同盟からは
離脱の考えである・・・
「三国同盟離脱」と「米国協調」だった近衛首相は、対米戦略には触れませんでした。
そして、「北も南も」であり、「どちらが優先なのか」が明確でない説明でした。
この「曖昧でモヤモヤした説明」こそ、近衛首相の政治的立場でした。
そして、当時の帝国政府と軍部の姿勢の一端をも示すものでした。

