「会して議せず、議して決せず」近衛首相〜ようやく決定した新国策・全く一貫性がなかった松岡洋右の主張・ドイツとソ連の「仲立ち」崩壊〜|陸海軍の迷走18・日米開戦と真珠湾へ

前回は「「小田原評定」化した帝国最高首脳会議〜「日米交渉悲観論」を発した松岡洋右・「要検討」で終了した会議・及川古志郎の謎の意見〜」の話でした。

目次

全く一貫性がなかった松岡洋右の主張:ドイツとソ連の「仲立ち」崩壊

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1941年6月頃の日本政府・大本営幹部:左上から時計回りに、松岡洋右外相、近衛文麿首相、永野修身軍令部総長、杉山元参謀総長(Wikipedia)

1941年6月22日の独ソ戦勃発直後の6月27日、政府大本営は連絡会議を行いました。

独ソ戦勃発によって、「大日本帝国の国家の方針を大きく変更する」必要に迫られたためでした。

この頃、ドイツにベッタリだった帝国陸軍と歩調を合わせていた松岡外相。

松岡洋右

ドイツは、破竹の勢いで
欧州で領土を広げている!

松岡外相は、日独伊三国同盟を猛烈に推進する立場を堅持しました。

松岡洋右

日ソ中立条約を
締結しました!

1941年4月13日に松岡外相は自ら主導、というよりも独断に近い状況で日ソ中立条約に署名しました。

松岡洋右

この松岡が、
スターリンと直接交渉したのだ!

地域覇者
西欧ドイツ
東亜大日本帝国
米州米国
ロシアソ連
「世界四大ブロック」の松岡構想

本来「相入れるはずがない」ドイツとソ連の間に、大日本帝国が「仲立ち」する形になりました。

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左上から時計回りに、Adolf Hitler独総統、J.Stalinソビエト連邦指導者(書記長)、東條英機 首相、Winston Churchill英国首相(国立国会図書館、Wikipedia)
Hitler

Sovietに
侵攻する!

ところが、同盟国である帝国政府に「正式通告」することなく、独ソ戦を独自に猛推進したヒトラー。

Hitler

United Kigdom(大英帝国)を
屈服させるために、Sovietを叩く!

当時「欧州の最強国」であったドイツでしたが、完全な「二方面作戦」でした。

その結果、ドイツ軍の戦力が大きく分散されました。

そして、大日本帝国の「仲が悪いドイツとソ連の仲立ち」戦略は根本から崩壊したのでした。

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左上から反時計回りに、東條英機 陸相、杉山元 参謀総長、永野修身 軍令部総長及川古志郎 海軍大臣(国立国会図書館、Wikipedia)
松岡洋右

支那事変を、ある程度止めても、
北をやるのが良いのではないか。

松岡洋右

日ソ中立条約は
初めから止めても良かった。

東條英機

・・・・・

杉山元

・・・・・

この異常事態に対して、松岡外相の論法・方法論は、全く一貫性がありませんでした。

「会して議せず、議して決せず」近衛首相:ようやく決定した新国策

新歴史紀行
1941年ヨーロッパ・アジア支配圏(歴史人2021年8月号 ABCアーク)

ここで、膨大な領土を持つソ連と「直接国境を接していた」大日本帝国。

国家の方針転換を、侃侃諤諤、というよりも「小田原評定」的に話していました。

陸海軍部新国策案:1941年6月24日(抜粋)

第二の二

帝国は自存自衛上南方用域に対する各般の施策を促進す

之が為対英米戦準備を整へ、先づ「南方施策促進に関する件」に拠理仏印及泰に対する諸方策を完遂し以て南方進出の体制を強化す帝国は本号目的達成の為対英米戦を辞せず

第二の三

独ソ戦に対しては三国枢軸の精神を基調とするも暫く之に介入することなく密かに対ソ武力的準備を整へ自主的に対処す

独ソ戦争の推移帝国の為極めて有利に進展せば武力を行使して北方問題を解決し北辺の安定を確保す

第二の四

前号遂行に方り各種の施策就中武力行使の決定に際しては対英米戦争の基本態勢の保持に大なる支障なからしむ

どうにも曖昧であり、「何が基準で極めて有利」なのか分からない文言などが並んでいました。

杉山元

そろそろ、
決めたいのだが・・・

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武藤章 陸軍軍務局長(Wikipedia)

密かに対ソ武力的準備を整へ」に対しては、陸軍は修正を試みました。

武藤章

ここは「武力行使決意の下に密かに準備を開始し」
としたいのだが・・・

すなわち、「武力行使決意の下に密かに準備を開始し」を追記しようとした陸軍。

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岡敬純 海軍軍務局長(Wikipedia)
岡敬純

海軍としては
呑めません!

ところが、岡海軍軍務局長は拒否しました。

この「文言の違い」は、それほど大きいとは思えませんが、陸海軍の実務者幹部で協議が続きました。

陸海軍部新国策 決定:1941年6月27日(抜粋)

第二の二

帝国は自存自衛上南方用域に対する各般の施策を促進す

之が為対英米戦準備を整へ、先づ「対仏印泰施策要項」及「南方施策促進に関する件」に拠り先づ「南方施策促進に関する件」に拠り)仏印及泰に対する諸方策を完遂し以て南方進出の体制を強化す帝国は本号目的達成の為対英米戦を辞せず

第二の三

独ソ戦に対しては三国枢軸の精神を基調とするも暫く之に介入することなく密かに対ソ武力的準備を整へ自主的に対処す。此の間固より周密なる用意を以て外交交渉を行う。

独ソ戦争の推移帝国の為(極めて)有利に進展せば武力を行使して北方問題を解決し北辺の安定を確保す

第二の四

前号遂行に方り各種の施策就中武力行使の決定に際しては対英米戦争の基本態勢の保持に大なる支障なからしむ

そして、1941年6月24日に提示された案は、6月27日に決定に至りました。

上の抜粋において、「黄色部分」が修正で、「青色部分」は削除です。

確かに修正になりましたが、相変わらず曖昧であり、どことなく「グレーな感じ」の文章でした。

新歴史紀行
近衛文麿 内閣総理大臣(Wikipedia)
近衛文麿

そもそも私は
大本営案に不同意であり・・・

ところが、このように「三国同盟を基軸」として帝國陸海軍が協議の中、近衛首相は不満そうでした。

近衛文麿

私は三国同盟からは
離脱の考えである・・・

挙げ句の果てに、「帝国の基軸」であった「三国同盟破棄」を言い出していた近衛首相。

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大東亜戦争全史1(服部卓四郎 著、鱒書房)
大東亜戦争全史

連日の連絡懇談会においては、
相変わらず、近衛首相は・・・

大東亜戦争全史

会して議せず、議して決せずの
態度を示していた・・・

「会して議せず、議して決せず」の態度であった、総理大臣の近衛文麿。

近衛文麿

・・・・・

対米戦直前のこの時期において、近衛首相のこの「沈黙」は不気味でしかない状況でした。

次回は上記リンクです。

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