前回は「ずっと超優等生だった宇垣纏〜「海兵40期三羽烏」の中心人物・陸士と海兵に上位合格・海軍兵学校で優等生継続〜」の話でした。

大砲に未来を見出した宇垣纏:超難関校二つ合格した宇垣と草鹿

1890年に生まれた宇垣纏は、当時、超難関だった海軍兵学校に9位の成績で合格し、入学しました。
そして、在学中も猛勉強を続けた宇垣少年は、かなりの優等生でした。
幼い頃から優等生で通し、海軍兵学校と陸軍士官学校の両方に合格した宇垣少年。

海兵と陸士の
両方に合格した!



僕は海兵に進み、
帝国海軍に尽くす!
海兵と陸士の両方を受験する姿勢も、なかなか考えにくく、この芯の強さも後年の宇垣を彷彿とさせます。
陸士にも合格していた宇垣は、場合によっては陸軍に進む道もありました。
海軍でもずっと主流を歩き続けた宇垣は、陸軍に進んでも同様に主流を歩き続けたでしょう。



私は海兵と一高(東大)に
合格したのだ!
後に「険悪」を超えて「超険悪」な仲となり、「天敵」とも言える間柄となった宇垣纏と草鹿龍之介。
この「天敵の間柄」は、草鹿が「一方的に宇垣を嫌っていた」ようにも感じます。
「海兵と陸士」と「海兵と一高」のいずれにしても、「二つ受ける」発想がそもそも稀だった当時。
さらに、「超難関校を二つ受けて、両方合格」した宇垣と草鹿は、相当な優等生でした。
このような類似性がある宇垣纏と草鹿龍之介。
この「類似的発想」こそが、両者が「天敵」の間柄となった最大の理由と考えます。
海兵と一高に合格した草鹿龍之介に関する話を、上記リンクでご紹介しています。



海兵でも猛勉強を
続け、ずっと上位をキープした!
そして、1912年に海兵を9位の上位成績で卒業した宇垣青年。
当時の帝国海軍は「軍令承行令」によって、海兵の成績が将来の道に強く影響しました。
そのため、「帝国海軍の超エリートの道」が22歳の時点で確約された宇垣青年。



やはり、海軍で活躍するためには、
大砲だ!



俺は、砲術の大専門家に
なってみせる!
大尉に進級後には、海軍砲術学校に進み、「大砲に未来を見出した」宇垣青年。
宇垣が感じた「航空の未来」:帝国海軍の戦艦の最高権威


宇垣が「大砲の道」を選んだのは、極めてスタンダードな発想でした。
宇垣纏が少年だった頃の1905年に勃発した日本海海戦では、「戦艦・大砲で決まった」戦争でした。



海軍といったら、
やはり戦艦だ!



戦艦の巨大な大砲で
敵をガンガン潰して見せよう!





私も砲術学校を
卒業した!
後に「帝国海軍航空隊の生みの親+育ての親」と呼ばれる程、航空に未来を見出した山本五十六。
山本たち海兵32期は、砲術学校の最初の卒業生です。
宇垣が砲術学校に進んだ頃は、軍縮の影響もあり、水雷も人気が高かった時代でした。





私は水雷学校に
進んだのだ!
宇垣よりも4期上で、海兵を8位の優秀な成績で卒業した南雲忠一は、水雷学校に進みました。
帝国海軍の最強艦隊「第一航空艦隊」を率いた南雲忠一に関する話を、上記リンクでご紹介しています。
「海軍の大砲を極める道」であった砲術学校を次席(2位)で卒業した宇垣。



私は、砲術に関しては、
第一人者である!
そして、「帝国海軍大砲・砲術」の道を、ひたむきに走り続けました。
海軍兵学校卒業期 | 名前 | 専門 | 役職 |
32 | 山本 五十六 | 航空 | 連合艦隊司令長官 |
32 | 嶋田 繁太郎 | 大砲 | 海軍大臣 |
36 | 南雲 忠一 | 水雷 | 第一航空艦隊司令長官 |
37 | 小沢 治三郎 | 航空 | 南遣艦隊司令長官 |
39 | 伊藤 整一 | 大砲 | 軍令部次長 |
40 | 宇垣 纏 | 大砲 | 連合艦隊参謀長 |
40 | 大西 瀧治郎 | 航空 | 第十一航空艦隊参謀長 |
40 | 福留 繁 | 大砲 | 軍令部第一部長 |
40 | 山口 多聞 | 航空 | 第二航空戦隊司令官 |
41 | 草鹿 龍之介 | 航空 | 第一航空艦隊参謀長 |
第二次世界大戦の頃には、航空が主流となり、宇垣前後の期には「航空派」が多数います。
宇垣が学生だった頃は、「航空」という概念自体が極めて薄い時代でした。


1922年には、大日本帝国が大英帝国に先駆けて、空母鳳翔を世界で初めて完成させました。
ちょうど、宇垣が海軍のエリート養成機関であった海軍大学校にいた頃に完成した「世界初」の空母。



航空隊を乗せて戦う
空母か・・・
頭脳明晰であった宇垣は「空母の未来」に対しては、何らかの光を見出したでしょう。



確かに、航空機のスピードと
作戦範囲は艦艇とは別次元だ・・・



だが、航空機が、
戦艦などの艦艇を攻撃し・・・



戦艦や巡洋艦を撃沈、
大破させることが可能だろうか・・・
技術的側面から考えれば、多くの場合で「不可能だったこと」は「可能になる」傾向があります。
陸軍と比較して、「軍艦や機械のメカニズムを理解する必要があった」海軍。
この点では、海軍は陸軍よりも「理系的発想が強い」傾向がありました。



未来は航空隊が
活躍するかもしれん・・・



だが、戦艦が主流であることに
変わりはない!



私は、帝国海軍の
戦艦の第一人者となる!
「航空隊の未来」を感じながらも、それまでの「自らの道」を変えなかった宇垣。
そして、宇垣は「帝国海軍の戦艦の最高権威」となってゆきます。