前回は「小高い山城の犬山城〜「ほのかな優美さ」を持つ城・「小牧・長久手」における秀吉と家康の死闘・小高い河畔の城の価値〜」の話でした。
富裕の国・尾張を象徴する石垣を持つ犬山城:圧倒的経済力の尾張

小高い山を登り、犬山城の天守閣に入ってゆきます。

木曽川ほとりの小高い山の上にある犬山城までは、結構距離のある坂道だったので、想定外に時間がかかりました。
・姫路城(兵庫県姫路市)
・彦根城(滋賀県彦根市)
・犬山城(愛知県犬山市)
・松江城(島根県松江市)
・松本城(長野県松本市)
日本に五つしかない、国宝の天守閣へ上がってゆきます。
彦根城の方が有名ですが、犬山城は、より風景や地形と一体化しているように感じました。

天守閣内部に入ると、石垣で囲われた部屋から、階段で上がってゆきます。
天守閣や城内で石垣が見受けられることは、比較的少ないです。
戦国期には多数の城が登場しましたが、多くの城は「実態は砦レベル」でした。
犬山城のこれらの石垣が作られた年代は不明ですが、非常にしっかりしたつくりです。
さすが、有数の石高を有し、経済力が高かった尾張の城です。

太閤検地の際には、57万石ほどの圧倒的石高を誇った尾張。
尾張を上回る石高を有する国は、近江や武蔵など一部の限られた国だけでした。

駿遠三の太守であった大大名の今川義元は、実は「三カ国で70万石程度」でした。
商業力が高く、流通も進んでいた尾張は、「一カ国で駿遠三の三カ国と同等」の経済力を有していました。
潜む高い経済力による豪華さ

階段を上がると、いかにも城内の光景が見られます。
小さいながらも、尾張北東の要であった犬山城。
質実堅固な城の作りの中にも、高い経済力による豪華さが潜んでいるように感じられます。

極めて急で「ハシゴのような」階段が登場しました。
昔の城の階段は、おそらく「籠城線での天守閣での最終決戦」を予期して、

我が殿の最後の
戦いの華を飾るのだ!



そして、我が殿がお腹を召される
時間を、我らが稼ぐのだ!
とても急な作りにしたと思われます。


外壁側の真壁と漆喰の壁に対して、内側は上部は漆喰で、下部は木の壁です。
古い板貼りの床面の一部が黒くなっており、歴史を感じます。
犬山城では大規模な籠城線が行われなかったように思われますが、木曽川の流通経路を握っていました。


犬山城は別名「白帝城」とも言われ、大きさは小さいですが、古来から優美さを知られていました。
「白帝城」は、中国の三国志の時代に、劉備玄徳が最期を迎えた城で有名です。





まずは尾張を
統一するのだ!
守護・守護代・国衆(地侍)出身 | 大名 |
守護 | 武田家・大友家・島津家・今川家 |
守護代 | 長尾家(上杉家)・朝倉家 |
国衆(地侍) | 三好家・織田家・徳川家・毛利家・北条家・(豊臣家) |
守護出身の戦国大名であった、武田信玄や今川義元よりも、家柄では大きく劣る織田家。
信長の織田家は、「守護代の清洲織田家の重臣」でした。
当時の尾張は、斯波氏が守護で、守護代として尾張北方を岩倉織田家、尾張南方を清洲織田家が支配していました。
・尾張北方の守護代:岩倉織田家
・尾張南方の守護代:清洲織田家
清洲織田家を吸収して尾張半国を領し、続いて尾張北方の岩倉織田家を攻撃した、若き日の織田信長。
おそらく、木曽川を抑えた犬山城の存在は、



木曽川を掌握し、
尾張と美濃の接点にある犬山城・・・
信長にとっても大きな存在であったはずです。
その「大きな存在」を感じさせる犬山城の天守閣。
ぜひ訪問してみて下さい。