前回は「尾張国の要・犬山城〜「天守国宝指定の五城」の一つ・少し地味な存在の質実剛健な城・「水の流通」と信長の城郭への思い〜」の話でした。
小高い山城の犬山城:「ほのかな優美さ」を持つ城

現在の愛知県と岐阜県の県境、木曽川のほとりに建つ犬山城を訪問しました。
かつては、尾張と美濃の境に立地していました。
・姫路城(兵庫県姫路市)
・彦根城(滋賀県彦根市)
・犬山城(愛知県犬山市)
・松江城(島根県松江市)
・松本城(長野県松本市)
天守が国宝である犬山城は、極めて重要な城であり、文字通り「国家の宝」です。
一方で、歴史上、犬山城の存在はそれほど際立った存在ではありません。
織田信長の生まれの地である尾張にある割には、知名度は「それほど高くない」のが実情です。
知名度は高くはありませんが、遠望する犬山城は小高い山に建ち、「ほのかな優美さ」を醸し出していました。

犬山城に向かって歩いてゆくには、山道の歩道を歩いてゆきます。
上の写真のように、「こちらが犬山城です」と、分かりやすい標識があるのが嬉しいです。

途中、猿田彦神社という神社があり、「神社を通ると犬山城へ近道」と書いてありました。
筆者は神社を訪れることが好きで、近道でもあるので、猿田彦神社でお参りして犬山城へ。

猿田彦神社には、地元の皆様が寄進した「赤い連続する鳥居」があり、優美な雰囲気です。

続いて坂道を歩いてゆくと、もうすぐ犬山城です。
「小牧・長久手」における秀吉と家康の死闘:小高い河畔の城の価値

もうすぐ犬山城の入り口になりますが、まだまだ坂道が続きます。
こぢんまりとした山ですが、実際に登るのは、なかなか時間もかかります。

無骨な石垣が見えてきて、「戦国時代の香り」が感じられます。

ようやく、犬山城の入り口に至りました。
木曽川河畔から犬山城を眺めていた時は、もう少し短時間で到達すると思いましたが、思いの外時間がかかりました。

いよいよ、犬山城の城内へ進みます。

信長の勃興期には、あまり登場しない犬山城。

木曽川は、
尾張と美濃の流通上、重要だ!
経済や流通を重視していた信長にとって、



そして、犬山城は、
木曽川を睨む城だ!
犬山城は「木曽川の支配者」として、一定の重要性を持っていたと考えます。
時代は流れて、信長が本能寺で横死し、羽柴秀吉と徳川家康が小牧・長久手で睨み合いました。
1584年3月から11月に掛けて、秀吉と家康の間で行われた「天下を左右する」戦いでした。
この頃は、まだ「豊臣」ではなく「羽柴」だった秀吉。



ここで、一気に徳川を
叩き潰して、私の天下へ!
こう考えていた秀吉に対して、かつては「格下」ながら「信長の同盟者であった」家康は、



小賢しい・・・
私に野戦で挑むとは・・・
名前 | 生年(一部諸説あり) |
明智光秀 | 1528年 |
織田信長 | 1534年 |
羽柴秀吉 | 1537年 |
徳川家康 | 1542年 |
この頃、ちょうど40過ぎの家康と、40代半ばの秀吉は、双方が「脂が乗った」時期でした。
この「小牧・長久手」は、家康の圧勝に終わりますが、犬山城も登場した説があります。
当時、犬山城は秀吉側の池田恒興の領土でした。
小高い犬山城を登ってみて、「程よい地面との距離感」と「木曽川との距離」を感じました。
そして、「犬山城を防衛拠点として、秀吉が更に活用したら」を考えました。
程よい高さで、木曽川を背景にした犬山城は、なかなか高い防衛力と流通の力を持っていました。
「小牧・長久手」で犬山城にもっと出番があったら、歴史は変わっていたかもしれません。