前回は四国の覇王・長宗我部元親の力の根源・岡豊城〜一領具足の猛烈パワー・ささやかな規模の石垣・長宗我部氏の「象徴」〜」の話でした。
周囲を睥睨する巨大な長宗我部元親の銅像:土佐の土豪の家柄

岡豊城跡の近くには、高知県立歴史民俗資料館があり、大きな長宗我部元親の銅像があります。
そして、さらに高知県の中心部には、別に「長宗我部元親の銅像」が単独であります。
高知市から桂浜に向かう途中に、ひっそりと建っているのが「長宗我部元親の銅像」です。

こちらの銅像は、巨大な石の上に建てられており、長宗我部元親が周囲を睥睨しています。
岡豊城跡にある、かなり活発な雰囲気の元親と似ている表情の銅像。
こちらの元親像は、少し落ち着いた感じです。

実に凛々しい若武者を思わせる長宗我部元親を彷彿とさせる銅像です。
長宗我部元親この長宗我部元親が
土佐を統一するのだ!
四国の土豪の一つに過ぎない存在であった長宗我部家。
| 守護・守護代・国衆(地侍)出身 | 大名 |
| 守護 | 武田家・大友家・島津家・今川家・大内家 |
| 守護代 | 長尾家(上杉家)・朝倉家・尼子家 |
| 国衆(地侍) | 三好家・織田家・徳川家・毛利家・北条家・長宗我部家・(豊臣家) |
「実力第一」の戦国時代でしたが、権威の力は大きく残存していました。
当時、大大名となった家は、守護または守護代の家柄が多かったのが現実でした。
その中、国衆・土豪・地侍の中でも、小規模であったのが長宗我部家でした。
土佐に下っていた一条家:五摂家二位の一条家の巨大な威信





この長宗我部家は、
小さな存在であった・・・



そして、土佐には、古来から
一条家が強い存在感を持っていた・・・
土佐には、京から下ってきた一条家が強い権力を持っていました。
| ランク | 家格 | 家 |
| 1 | 摂家 | 近衛・一条・九条・鷹司・二条 |
| 2 | 清華家 | 三条・西園寺・徳大寺・久我・花山院・大炊御門・菊亭 |
| 3 | 大臣家 | 正親町三条・三条西・中院 |
| 4 | 羽林家 | 姉小路・冷泉・四条・正親町・持明院・ 今城・堀河・岩倉・綾小路・久世など |
| 5 | 名家 | 烏丸・坊城・梅小路・日野・北小路など |
| 6 | 半家 | 竹内(清和源氏)・西洞院家(桓武平氏)など |
日本の公家の世界では、古来から明確なランクづけがされていました。
中でも「摂家」と呼ばれた五つの家は「五摂家」と呼ばれ、何事においても「別格扱い」でした。


幕末維新期の妖怪的存在であった岩倉具視の岩倉家は、かなり下で「四位の羽林家」でした。
岩倉具視に関する話を、上記リンクでご紹介しています。
「五摂家」においては近衛家が筆頭格で、一条家は「二位の存在」でした。
とにかく、「公家二位」の一条家が強い存在感を放っていた、戦国期の土佐。



一条家を上回る
存在になってやる!
若き長宗我部元親は「まずは土佐統一」を目指しました。
一条家が巨大な威信を放っており、多数の国衆・土豪たちが割拠していた土佐。
「土佐統一」の道のりは、極めて困難な道でした。


