明治維新の大黒幕・岩倉具視〜討幕の大陰謀の基地となった岩倉邸・偽勅と偽錦旗の偽造・異常なパワーで維新を大推進した公家・ピカイチの政治的度胸・辞官出家と蟄居落魄〜|岩倉具視1・人物像・エピソード

前回は「日本の近代を生み出した男・大久保利通〜明治維新の四傑と薩長・岩倉と大久保の暗躍・討幕の創作者たち・圧倒的パワーを有していた徳川・大政奉還の大奇策〜」の話でした。

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岩倉具視(Wikipedia)
目次

異常なパワーで維新を大推進した公家:ピカイチの政治的度胸

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左上から時計回りに、明治維新の元勲:木戸孝允、岩倉具視、大久保利通、西郷隆盛(Wikipedia)

様々な人物がキラ星の如く出現して、時代が大きく変わった幕末から明治維新の時代。

幕末維新の時代は、250年以上続いた徳川幕府の時代から明治天皇の時代となり、ガラッと変わりました。

「薩長主導」で徳川幕府討幕がなされた明治維新は、「強引すぎる手段」の連続でした。

まあ、西郷も大久保も木戸も
大した人物達だったが・・・

麿(私)がいなければ、
明治維新は成し遂げられなかっただろうよ・・・

倒幕後、岩倉はこう思っていたに違いないでしょう。

そして、仮に「岩倉不在」だったら明治維新は違う形になったでしょう。

「明治維新の原動力」は諸藩の武士・藩士階級であり、

私たちは
一体どうすれば良いのだ?

周章狼狽して「おろおろしていた」ように表現される事が多い公家。

一方で、明治維新は「徳川幕府の上位に位置する天皇の命令」で決定したのが事実です。

そのため、「公家達の活躍」もまた本来はもっと論じられて然るべきでしょう。

そして、数ある公家達の中で「異常なパワーで維新を大推進した」人物こそ岩倉具視でした。

麿は下級公家出身かも
知れんが、能力と度胸ならピカイチだ!

実際、能力と度胸において、岩倉を越えうる人物は西郷隆盛と大久保利通くらいでしょう。

特に「政治的度胸」を考えるとき、岩倉はピカイチであり、日本史上最高と表現しても良いでしょう。

西郷・大久保・木戸をまとめて「維新の三傑」と表現します。

他に「維新の十傑」などもありますが、筆者は西郷・大久保・木戸・岩倉で「維新の四傑」と考えます。

確かに岩倉さんがいなければ、
維新は、あのように進まなかっただろう・・・

岩倉さんのど迫力は、
大したものごわす・・・

下級公家である羽林家に生まれた岩倉具視。

日本で公家といえば、まずは近衛や一条・九条などの摂家が頭に浮かびます。

岩倉がこれらの近衛や一条に生まれていれば、維新期の岩倉の活躍はなかったでしょう。

むしろ、下級公家出身だからこそ、

麿は、麿が考えるように
生き抜いてみせよう!

「やりたい放題やれた」のが真相でした。

明治維新の大黒幕:辞官・出家と蟄居落魄

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第十四代将軍 徳川家茂(Wikipedia)

幕末、諸外国から様々な要請というよりも「突き上げ」があった幕末。

まだまだ幕府の力は強力でしたが、「徳川幕府の力」が落ちつつあるのは誰に目にも明らかでした。

幕府だけではなく、諸藩もまた「全てが基本的に世襲」であり、完全に「時代遅れ」になっていた日本。

こうなったら、公武合体で
徳川と朝廷が合体だ!

ここで「公武合体」が主流となるのは当然の流れでした。

公武合体を具体的にするには、
文字通り、「朝廷と徳川が合体」すれば良い!

つまり、その「合体」とは
「結婚」なのだ!

「公武合体の実現=徳川将軍と天皇の身近な女性の結婚」を超強力に推進した岩倉。

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孝明天皇(Wikipedia)

孝明天皇の異母妹の
和宮様がちょうど良い!

そして、猛烈に「和宮と将軍徳川家定」の結婚を推進した岩倉。

下級公家だけに影響力は限定されたものの、この頃から政治的パワーを見せつけ、

とにかく、早く和宮様を
降嫁させるのだ!

時の徳川将軍は、世間では「雲の上の人」でありました。

その徳川将軍に嫁ぐには、天皇一家から「降りる」ので「降嫁」となりました。

そして、和宮降嫁を成し遂げた岩倉は意気揚々としましたが、

岩倉は
許せんな!

岩倉には天誅を喰らわせて、
この世から消すのだ!

下級公家の分際で、暗躍を続けていた岩倉は尊王攘夷派の「殺人リスト筆頭」に挙がりました。

さらに、「目立ちすぎた」こともあり、公家達からも、

少し岩倉は
調子に乗りすぎでは・・・

という反感もあり、

これは、麿が失脚してしまう
のか・・・

いや、そもそも
殺されてしまうかも・・・

岩倉は失脚して中央政界から追放され、蟄居落魄しました。

そして、「京の地にいれなくなった」岩倉は、1862年に辞官し、さらに出家までさせられました。

麿は完全に
力を失ってしまった・・・

その後、1867年に蟄居が解かれるまで5年ほどの長き期間、「この世から消された」存在となった岩倉。

・・・・・

二度の島流しを経験した西郷隆盛同様、一度は「表舞台から完全に消された」存在になりました。

後に「維新回天」の中心人物となる岩倉ですが、この時は相当応えて、

麿の人生は
ここで終わりか・・・

と考えたに違いないでしょう。

討幕の大陰謀の基地となった岩倉邸:偽勅と偽錦旗の偽造

New Historical Voyage
禁門の変(Wikipedia)

時代は荒れに荒れ、徳川幕府の影響力は低下する一方でした。

ところが、官位もなく出家の身分であり、僅かな政治力があろうはずもなかった岩倉は、

麿が徳川をブチ倒して、
京へ復帰してみせる!

岩倉は野心剥き出しで、倒幕(討幕)派へアピールを続けました。

ここで、最初は「徳川幕府側」であった薩摩は、

どうも、徳川では
ダメだな・・・

徳川の時代を終わらせる
べきごわすな・・・

と考えるも、雄藩とは言え、徳川の方が全然強力だった薩摩。

諸勢力を集めるには
天皇の力が必要だ・・・

それには、朝廷内に我らの
味方が必要だ!

政治力と胆力がある
適切な公家はいないか・・・

ここで、様々な意見書などを書いていた岩倉具視。

その討幕派の「朝廷内の味方」は
麿が最適ですぞ!

ああ!岩倉さんに
我らの朝廷工作を任せよう!

工作や陰謀なら麿を
上回る人物はいないですぞ!

そして、蟄居落魄していた岩倉邸は「討幕の大陰謀の基地」となったのでした。

この「基地」で、様々な討幕の陰謀を企んだ岩倉と大久保。

徳川をもっと
もっと追い詰めなければ!

そうよ!慶喜は頭が切れるから、
こちらも大陰謀を展開せねばな!

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徳川幕府 第十五代将軍 徳川 慶喜(国立国会図書館)

我が徳川幕府を
舐めるなよ!

徳川家が
「日本政府」なのだ!

影響力は低下したとはいえ、まだまだ「日本政府」だった徳川幕府。

対して、有力とはいえ「地方勢力」に過ぎなかった薩長などの雄藩。

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左上から時計回りに幕臣 榎本武揚、小栗忠順、川路聖謨、勝海舟(WIkipedia)

そして、人材も豊富にいた徳川幕府を倒すことは、「容易ではない」どころではなく「不可能」でした。

徳川を倒すのは、
通常のやり方では不可能・・・

朝廷が薩長などに「徳川討滅」の
勅を下すのが最善だな!

天皇からの「討幕の勅」があれば、
討幕は可能かもしれませんが・・・

そんな勅を得るのは
どうやって・・・

まあ、
麿に任せろ・・・

このタイミングで、孝明天皇が急死しました。

・・・・・

「佐幕一辺倒」だった孝明天皇がいる限り、「天皇と朝廷が倒幕側に立ってもらう」のは不可能でした。

このため、孝明天皇の急死は暗殺説が根強くあります。(諸説あり)

あまりのタイミングの良さに、筆者は「孝明天皇は暗殺された」と考えます。

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明治天皇(Wikipedia)

そして、新たに即位したのが明治天皇でしたが、まだ16歳(数え年)でした。

勅など偽造して
みせよう・・・

なんと、当時の日本で「最高の命令」である「天皇の勅」を偽造する決意をした岩倉。

ここで、

大政奉還して、
政権を朝廷にお返しします!

と「捨て身の大戦術」に打って出た将軍・徳川慶喜。

大政奉還・・・
そう来たか・・・

まさか、この手に
出てくるとは・・・

まあ良い・・・
偽勅に加えて、もう一つ欲しいな・・・

「天皇の旗」錦旗も偽造して
しまえば良い・・・

どうせ、誰も見たことが
ないのだから・・・

「これが錦旗だ」と強引に押し切れば、
錦旗になるのだ!

と超強引に「偽勅と偽錦旗の偽造」を超強力に推進した岩倉。

そして、戊辰戦争・会津戦争などを経て、江戸から明治へと時代は「一気に変わった」のでした。

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