前回は「「予想外に対米戦開戦時に総理大臣になった」東條英機の実像〜超真面目な東條英機と天才肌の石原莞爾・幻の石原の対米戦指揮〜」の話でした。

「逆賊」盛岡藩出身の父・東條英教:武士の生き様貫いた南部家

日米戦争直前に組閣した東條内閣において、総理大臣となった東條英機。

この私が総理大臣となって、
この大日本帝国を率いるのだ!
戦前は、陸軍軍人・海軍軍人が総理大臣に就任するケースは多かった大日本帝国。
満州事変以降、中国の関東軍で名を挙げていた東條英機は、陸軍の中核的人物でした。
1884年に生まれた東條英機は、10歳の時に日清戦争、20歳の時に日露戦争となりました。



私は東條家三男の
東條英機です!
そして、「陸軍軍人の超エリートコース」をひたすら走った東條は、



私は陸軍軍人と
なって、お国に尽くしたい!
このように自ら「陸軍軍人を志願した」のでは、ありませんでした。


実は、東條英機の父・英教もまた、バリバリの陸軍軍人で陸軍中将にまでなりました。
階級 | 職名 |
1 | 陸軍大将 |
2 | 陸軍中将 |
3 | 陸軍少将 |
4 | 陸軍大佐 |
5 | 陸軍中佐 |
6 | 陸軍少佐 |
7 | 陸軍大尉 |
8 | 陸軍中尉 |
9 | 陸軍少尉 |
陸海軍ともに、「士官」と呼ばれる将・佐・尉になれるのは、一握りの超エリートのみでした。
そして、陸海軍ともに「大将」は陸軍大臣・海軍大臣・参謀総長・軍令部総長など、限られた人物のみでした。
そのため、一般的には「中将が最高位」と考えてもよく、東條英教は「最高位まで行った」人物の一人でした。
原則として、陸軍ならば陸軍士官学校卒、海軍兵学校卒である必要がありました。
1855年生まれの英教が成人した頃は、バリバリの「薩長閥の天下」でした。



私は陸軍軍人となって、
お国に尽くしたいが・・・
東條英教は「国に尽くしたい」という気持ちから、陸軍軍人を目指しました。
東條英教の父は盛岡藩士であり、戊辰戦争では、当初は奥羽列藩同盟に参加しました。
ところが、新政府軍の方が強力であることを悟った盛岡藩は、



これは、どう考えても
新政府軍が勝つ・・・



周りの藩に義理立てして、
奥羽列藩同盟に加担していたら、我らは消される・・・
「自分たちが危うい」と考えた中、



隣の久保田藩、亀田藩などは
新政府軍に寝返ったが・・・



我らは、武士としての
生き様を貫く!
途中から奥羽列藩同盟を離脱した久保田藩を攻撃し、戊辰戦争を戦いました。


会津藩ほど、「最後まで抵抗しなかった」としても、



盛岡藩は、
最後まで奥羽列藩同盟川だったな・・・



盛岡藩は、
最後まで奥羽列藩同盟川だったな・・・
盛岡藩は薩長閥から見れば「逆賊の一味」だったのでした。
東條家の悲願を胸に生きた東條英機


そして、東條英教が13歳の時に時代は明治となり、



陸軍も海軍も
薩長の連中ばかりか・・・
逆賊であった盛岡藩・南部家出身の東條英教に対しては、新政府は非常に冷たく、



盛岡藩出身の連中など
いなくても良いがな・・・
特に陸軍は薩長中心で、海軍は「出来立てのほやほや」でした。
「薩長ではなかった」英教の待遇は低かったですが、優秀だったので陸軍大学校に進学しました。



東條英教は
盛岡藩出身らしいが・・・



優秀だから、陸軍大学校に
入学させてやろうか・・・
出来たばかりの陸軍大学校に、一期生として入学した東條英教は、



よしっ!
一生懸命勉強するぞ!
長年「逆賊」扱いされてきた鬱憤もあり、猛勉強しました。



周囲は、陸士(りくし、陸軍士官学校)
卒業生ばかりか・・・
当時の超エリート機関であった陸軍大学校同期15名中、13名が陸軍士官学校でのエリートでした。
「同級生たちは、ほとんどエリートの陸士卒」で、大きなハンデがありました。



とにかく、懸命に勉強すれば
陸士の連中にも勝てるはず!
そして、猛勉強に次ぐ猛勉強を続けた結果、



陸軍大学校を
首席で卒業した!
東條英教は、エリートの人たちを押し退けて「首席卒業」しました。
これは、当時「考えられないほどの重大事」でした。



なぜ、陸軍の中心である
長州出身であり・・・



小さい頃からエリートで、
陸軍士官学校を出た俺が・・・



なぜ、盛岡藩出の奴の
下風に立たねばならんのだ・・・
おそらく、「逆賊」出身の東條英機が首席となったことは、陸軍では超話題となったでしょう。
超エリート機関であった陸軍大学校を首席卒業した東條英教の前途は、明るいものであるはずでした。
ところが、



陸軍中将にはなったが、
あまり扱いは良くなかった・・・
やはり「バリバリの薩長閥」特に「長州が中心」であった陸軍では、冷飯を食わされた東條英教。



ならば、息子には、
ぜひ陸軍エリートとして生きてほしい・・・
この東條英教の思い、そして「東條家の悲願」を胸に、



私も一生懸命学んで、
陸軍士官学校へ入るのだ!
若き頃から東條英機は、陸軍エリートを目指し続けたのでした。