前回は「武雷神・立花道雪の油断〜今山の戦い・格下の龍造寺を包囲する大友・大友家総大将討死・怒濤の如き勢いの龍造寺と急速に弱体化する大友〜」の話でした。
武雷神・道雪の挫折
事実上、大友家に従属していた龍造寺家が、突如、大友に叛旗をひるがえします。
いつまでも、
大友家に従っていられるか!
我が大友に刃向かった
龍造寺を叩きつぶすのだ!
造反した龍造寺を叩き潰そうと、大友家は6万もの大軍勢を投入しました。
「6万人の軍勢」は多少の誇張があるとしても、大友家の総力を挙げた戦いでした。
ところが、「総力を挙げた」にも関わらず、
まあ、私が
出てゆくまでもないわ!
宗麟自身が出馬しない「生ぬるい戦い」となったのでした。
我らが入れば、
龍造寺など鎧袖一触!
のはずだった大友家。
ここで登場したのが肥前佐賀藩の藩祖である鍋島直茂。
私が決死隊を率いて、
大友家に夜襲をかける!
な、なにっ!
大軍勢で意気揚々としていた大友家は、桶狭間の合戦の今川家同様「大将首を獲られる」大敗北を喫しました。
予想だに
しなかった・・・
猛烈な勢いの龍造寺家:九州三国志へ
弱小龍造寺家に対して、まさかの致命的大敗北となった大友家。
立花道雪といえど、高齢と前年1569年の毛利家との総力戦で疲れ果てていたのでしょう。
こんな
馬鹿な・・・
武雷神の神通力も、少し低下していたようです。
総大将・大友親貞が討たれた大友家は、多数の国人の離反を招き凋落します。
それに対して、龍造寺隆信は、一気に勢力拡張してゆきます。
我が龍造寺は
「五州二島の領主」よ!
義理の弟で智勇兼備の鍋島直茂、龍造寺四天王の成松信勝らがいる龍造寺軍。
猛烈なパワーで、西九州を席巻します。
我が龍造寺の軍事力は、
九州最強よ!
大友家凋落:名門島津家の圧倒的パワー
我が島津を忘れて
もらっては困る!
そして、南から大きく勢力を伸ばす島津家。
島津家と従属していたはずの龍造寺家に挟まれる形となった大友家は、一気に窮地に陥ります。
かつては「九州六カ国の守護」を兼ねた大友宗麟。
「九州九カ国のうちの六カ国」の守護とは、「九州の2/3を占める大勢力」ということです。
「事実上の九州探題」とも言える巨大な存在であった大友家が凋落してしまいました。
そして、いよいよ南から来襲する島津家との決戦の時が、きました。
我が大友の力が、
ここまで弱体化するとは・・・
まだ拙者がおりますから、
大友家は安泰です!
高橋紹運と共に、
大友家を支えましょう!
大友家に逆風が吹き荒れる中、島津家が突風のような勢いで北九州に乗り込んできたのです。
一時は「九州の王」とも言える立場にいた大友家。
我が島津は、
守護の名門なり!
四人の兄弟が力を合わせて、
戦国の時代を切り開いてゆくのだ!
凋落の一途を辿りつつありました。