立花道雪 5〜武雷神の油断〜|戦国武将

前回は「立花道雪 4〜武雷神の陰り〜」の話でした。

立花道雪(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)

大友家の総攻撃前夜。

龍造寺隆信(Wikipedia)

もはや、龍造寺家も終わりか・・・

龍造寺隆信の義弟で、智勇兼備の名将・鍋島直茂。

鍋島直茂(Wikipedia)

私が決死隊を率いて、夜襲を仕掛けます!

直茂よ。
任せたぞ!

鍋島直茂率いる決死部隊が仕掛けた夜襲で、油断していた大友家は大混乱となります。

ここで大友家は惨敗し、総大将の大友親貞は討たれてしまいます。

大友宗麟(Wikipedia)

この「夢にも考えなかった」大敗北により、大友家は一気にその力を失います。

こんな負け方するとは・・・

予想だにしなかった・・・

親貞様が討たれただと!

とにかく、体制を立て直すのだ!

立花道雪がいながら、なぜこのような大敗北になったのかは不思議です。

この時の57歳で高齢となっていた道雪。

道雪さえも、兵力差に油断していました。

私も楽観視していたのだ・・・

鍋島直茂・・・
恐るべきやつだ・・・

吉川元春(Wikipedia)

長年の武雷神も毛利家の名将吉川元春や小早川隆景らと死闘を続け、疲れていた道雪。

年齢と疲労によって、勘が少し鈍っていたのかもしれません。

小早川隆景(Wikipedia)

「勝って当然」の戦で、大敗北した大友家。

南の島津に加え、西に龍造寺という大敵を迎えることになり、大変な事態へと陥ります。

いかに大友親貞が愚か者で立花道雪の献言を受け入れなくても、当時近畿にも聞こえるほどの名声を持っていた立花道雪。

長く大友家の宿老としてつくし、当主の宗麟にすら直言できる立場でした。

私も油断していた・・・

大友親貞が、大きな油断をしていたのは間違いない。

親貞に立花道雪が警鐘をならし、総大将の大友親貞が何をやっていようと独自の軍事行動ができる立場です。

この大敗は、大友にとって非常にきつい・・・

道雪が独自の軍事行動をして龍造寺に眼を光らせていたら、このような大敗北はありえないでしょう。

1580年頃の九州勢力図(歴史人2020年11月号 KKベストセラーズ)

絶体絶命から、予想外の大勝利となった龍造寺隆信率いる龍造寺家。

これからは、龍造寺の世よ!

龍造寺の版図を、拡大するのだ!

鍋島直茂ら、優れた家臣団と共に、と猛烈な勢いで西九州を席巻してゆきます。

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