彷徨する立花道雪〜大友家の致命傷となった耳川の戦い・過去から全く学ばなかった大友宗麟・「ザ・守護」だった島津家・鎌倉以来の超名門〜|立花道雪7・人物像・軍事能力

前回は「武雷神・道雪の挫折〜猛烈な勢いの龍造寺家・九州三国志へ・大友家凋落・名門島津家の圧倒的パワー〜」の話でした。

立花道雪(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)
目次

「ザ・守護」だった島津家:鎌倉以来の超名門

1570年頃の九州勢力図(歴史人2020年11月号 KKベストセラーズ)

全盛期には九州のうち六カ国を支配して、豊前・豊後・筑前・筑後・肥前・肥後守護を兼ねた大友家。

猛烈な勢いであり、石高は150万石程度に達したと思われます。

ところが、「守護の本家」とも言える島津家が猛烈な勢いで南から北上してきました。

戦国大名 島津義弘(図説・戦国武将118 学研)

我が島津家は
鎌倉幕府以来の守護なのだ!

新歴史紀行
鎌倉幕府初代将軍:源頼朝(Wikipedia)

なんと、鎌倉幕府以来の薩摩・大隈守護である島津家。

実は、初期の頃には越前守護であった島津家。(諸説あり)

この意味では、「名門・大友家よりもはるかに歴史ある名門」だったのが島津家でした。

過去から全く学ばなかった大友宗麟

戦国大名 大友宗麟(Wikipedia)

1578年、島津家は当主 義久自ら出馬し、島津義弘等主力を総結集して、万全の体制で日向に侵攻してきました。

我が島津の
総力を結集せよ!

島津家よりも、大きな兵力で対峙した大友家。

最盛期よりも勢いが衰えたとは言え、まだまだ大大名だった大友家。

数万の軍勢を
総結集させよ!

島津の勢い盛んな中、道雪は島津との総力戦に反対します。

島津は、非常に勢いが強く、
優れた武将が多いです!

島津との戦いは、
全く利がありません!

ここは、一度決戦を
避けるべきです!

すでに、大友vs島津の構図が固まった中、大友家が後退すると国衆たちの離反を招く可能性が高いです。

臆病風に吹かれたか!
道雪!

見ていよ。
島津などに負ける大友ではないわ!

今の島津には
勝てん!

島津の勢いは
凄まじすぎる・・・

毛利もいるし、
私は後方を支えよう。

反対していた道雪は、出陣しませんでした。

ここで、宗麟が意を決して自ら出馬し、陣頭指揮を取れば大友家は勝てた可能性が高かったでしょう。

ワシは
出馬せんぞ!

ところが、宗麟は田原紹忍というあまり有能で無い家臣を総大将にします。

紹忍よ!
任せたぞ!

ははっ!
私に全てお任せを!

島津など
一気に叩き潰して見せましょう!

凋落のキッカケとなった、1570年の対龍造寺の佐賀城合戦の反省を、全く活かしていません。

新歴史紀行
耳川(Wikipedia)

それどころか、島津家は当主 義久+義弘らオールスターに対して、明らか大友軍は見劣りがしました。

大友家は、当主宗麟不在に加え、B級〜C級武将を出陣させます。

島津軍に対して数倍の規模の軍勢を誇った大友軍でしたが、士気が低い状況でした。

さらに極め付けは、島津義久+島津義弘の主力が出てきた島津家は、

我が島津家の
運命が決まる合戦だ!

なんとしても、
大友を倒す!

テンションが高いノリで、猛烈に突進してきたのでした。

大軍勢とはいえ、二流・三流の武将に加えて「ぬるま湯」のような大友軍。

対して、比較的少人数とは言え、超強力な島津義弘が率いた士気旺盛な島津軍。

道雪の目からみれば、大友家の軍勢は危なっかしくて仕方なかったでしょう。

これは、マズイ・・・
マズイぞ・・・

彷徨する立花道雪:大友家の致命傷となった耳川の戦い

耳川の合戦図(歴史人2020年11月号 KKベストセラーズ)

島津のお家芸の、
釣り野伏せだ!

島津が
退却したぞ!

追い討ちを
かけて、島津を叩き潰せ!

釣り野伏せに、
大友軍が引っかかったぞ!

な、なにっ!
偽装退却か!

ま、まずいぞ!
引き返せ!

大友軍を
叩き潰せ!

大友を
殲滅するのだ!

立花道雪ら優れた武将が不在で、統率すらまともに取れずに大惨敗します。

「学ばなかった」というよりも、宗麟は「勝つこと」への大いなる執念を、もはや持っていなかったのかもしれません。

この頃、民衆からすると、決して受け入れられない行為を始め、おかしな行動に出ていた宗麟。

キリシタンの国を
つくるのだ!

キリシタンに傾倒するあまりに仏教系の寺などの破壊をしていたのです。

もはや、
寺などいらん!

キリスト教の
教会をつくるのだ!

・・・・・

道雪は、全く自分の話に聞く耳を持たない宗麟に対して、見切りをつけていたのかもしれません。

殿!これでは
民心がついてきません!

反する武将も
出てくるでしょう!

構わん!

宣教師たちと手を組めば、
最新式の武器が手に入るのだ!

その武器で、
歯向かうやつは皆殺しだ!

これは、
非常にまずい・・・


それほど、「異常」とも言える状況を続けていた、大友宗麟。

1580年頃の九州勢力図(歴史人2020年11月号 KKベストセラーズ)

大友家のためには、立花道雪も出馬するべきだったでしょう。

道雪が総大将だったら、相手が精強な島津であっても、少なくとも負けることはなかったでしょう。

ワシが
出てゆくべきであったか・・・

「道雪出馬」を警戒していたに違いない島津家。

我が島津と
いえども・・・

道雪が出てくると、
大変厄介だ・・・

道雪さえ
出て来なければ、勝てる!

あるいは、島津家が「道雪が出てこないように」工作したのかもしれません。

いずれにしても、龍造寺家の離反の佐賀城合戦に続いて、大惨敗を喫した大友家。

もはや、大友家の再生は
ならんか・・・

「全盛期の大友」を支え続けた、中心人物であった道雪。

その道雪にとっては、なんとも寂しいほど急速に坂道を転がり落ちてゆきました。

次回は上記リンクです。

新歴史紀行

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