立花道雪 7〜彷徨する武雷神〜|戦国武将

前回は「立花道雪 6〜武雷神の挫折〜」の話でした。

立花道雪(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)

1578年、島津家は当主 義久自ら出馬し、島津義弘等主力を総結集して、万全の体制で日向に侵攻してきました。

島津義弘(図説・戦国武将118 学研)

我が島津の総力を結集せよ!

島津家よりも、大きな兵力で対峙した大友家。

大友宗麟(Wikipedia)

島津の勢い盛んなので、道雪は島津との総力戦に反対します。

島津は、非常に勢いが強く、優れた武将が多いです。

島津との戦いは、全く利がありません!

臆病風に吹かれたか!道雪!

見ていよ。
島津などに負ける大友ではないわ!

今の島津には勝てん!

毛利もいるし、私は後方を支えよう。

反対していた道雪は、出陣しませんでした。

耳川の合戦図(歴史人2020年11月号 KKベストセラーズ)

ここで、宗麟が意を決して自ら出馬し、陣頭指揮を取れば大友家は勝てたでしょう。

しかし、宗麟は田原紹忍というあまり有能で無い家臣を総大将にします。

紹忍よ!任せたぞ!

凋落のキッカケとなった、1570年の対龍造寺の佐賀城合戦の反省を、全く活かしていません。

それどころか、島津家は当主 義久+義弘らオールスターに対して、大友家は当主不在+B級〜C級武将を出陣させます。

島津のお家芸の、釣り野伏せだ!

釣り野伏せに、大友軍が引っかかったぞ!

大友軍を叩き潰せ!

立花道雪ら優れた武将が不在で、統率すらまともに取れずに大惨敗します。

「学ばなかった」というよりも、宗麟は「勝つこと」への大いなる執念を、もはや持っていなかったのかもしれません。

この頃、民衆からすると、決して受け入れられない行為を始め、おかしな行動に出ていた宗麟。

キリシタンの国をつくるのだ!

キリシタンに傾倒するあまりに仏教系の寺などの破壊をしていたのです。

もはや、寺などいらん!

キリスト教の教会をつくるのだ!

・・・・・

道雪は、全く自分の話に聞く耳を持たない宗麟に対して、見切りをつけていたのかもしれません。

殿!これでは民心がついてきません!

反する武将も出てくるでしょう!

構わん!

宣教師たちと手を組めば、最新式の武器が手に入るのだ!

その武器で、歯向かうやつは皆殺しだ!

これは、非常にまずい・・・


それほど、「異常」とも言える状況を続けていた、大友宗麟。

1580年頃の九州勢力図(歴史人2020年11月号 KKベストセラーズ)

大友家のためには、立花道雪も出馬するべきだったでしょう。

道雪が総大将だったら、相手が精強な島津であっても、少なくとも負けることはなかったでしょう。

ワシが出てゆくべきであったか・・・

道雪出馬を。警戒していたに違いない島津家。

我が島津といえども・・・

道雪が出てくると、厄介だ・・・

道雪さえ出て来なければ、勝てる!

あるいは、島津家は道雪が出てこないように工作したかもしれません。

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