同族名将が多数いた北条家〜圧倒的猛将の北条綱成・一族の力が超重要だった戦国大名たち・毛利家の「三本の矢」〜|北条氏康8・能力・エピソード

前回は「若き頃から卓越した外交術を駆使した北条氏康〜今川と武田との和睦・安定感抜群の三代目迎えた北条家・早期スタートした「戦国の魁」〜」の話でした。

戦国大名 北条氏康(Wikipedia)
目次

一族の力が超重要だった戦国大名たち:毛利家の「三本の矢」

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小田原城(新歴史紀行)

戦国期の一連の流れにおいて、比較的地味な存在である北条家は、いわゆる「名将」が少ないです。

裏切りが日常茶飯事であった戦国時代は、「血」や「一族」が現代よりも遥かに重要でした。

どの戦国大名においても、「一族の力」は非常に重要でした。

「一族の結束」によって、大名家の力を確固たるものにした最も良い例が毛利家でした。

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戦国大名 毛利元就(Wikipedia)
毛利元就

我が毛利家は
安芸の一豪族に過ぎぬ・・・

毛利元就

近隣は、大内と
尼子の大勢力がいる中・・・

毛利元就

どうやって、我が毛利の
力をつけてゆくのが良いか・・・

後に中国地方随一の大勢力となり、江戸時代にも大藩・長州藩として存続した毛利家。

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長州の志士たち:左上から時計回りに久坂玄瑞、木戸孝允、前原一誠、高杉晋作(国立国会図書館)

幕末には、高杉晋作・木戸孝允・久坂玄瑞・前原一誠など多数の「志士の星」たちを輩出しました。

高杉晋作に関する話を、上記リンクでご紹介しています。

ところが、元々は「一豪族」に過ぎなかった毛利は「力を着実につけてゆく」プロセスを踏みました。

毛利元就

近隣の豪族たちの
力を結集させよう・・・

毛利元就

すぐ近くの吉川家には
我が次男を・・・

毛利元就

そして、小早川家には
我が三男を送りこもう・・・

毛利家と同格程度の豪族だった吉川家と小早川家に目をつけた元就。

次男・元春と三男・隆景を、それぞれの家の跡取りとして送り込み、事実上乗っ取りました。

長男・隆元は当然「毛利家を継ぐ立場」であり、

毛利元就

隆元、元春、隆景よ・・・
三人で力を合わせるのだ!

元就は「三本の矢」を例に、「三兄弟による三家の合力」を強く推進しました。

「三本の矢」は「事実ではない」説が有力ですが、「元就の思想」をうまく表していました。

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毛利の「三本の矢」:上から反時計回りに、毛利輝元、吉川元春、小早川隆景(Wikipedia)

長男・隆元が早く亡くなり、後継は孫・輝元となりましたが、

毛利元就

孫の輝元を
叔父である元春と隆景が支えるのだ!

この元就の「一族で毛利家強化」の発想は、際立って上手くゆきました。

同族名将が多数いた北条家:圧倒的猛将の北条綱成

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小田原城(新歴史紀行)

そして、海と山に囲まれた小田原を本拠地とした北条家もまた、一族の力が強力でした。

名前生年
毛利元就1497年
北条氏康1515年
今川義元1519年
武田信玄1521年
長尾景虎(上杉謙信)1530年
織田信長1534年
島津義弘1535年
羽柴秀吉1537年
徳川家康1543年
有名戦国大名の生年

数ある戦国大名の中でも、「毛利元就と近い年齢」であった北条氏康。

氏康は「信長の19歳年上」であり、一回り世代が異なります。

北条氏康

我が北条家も
一族の力を結集させるのだ!

元就と同様に、元は小さな勢力であった北条家は、「一族の力の結集」が不可欠でした。

年代が上だった氏康には、1538年には早くも長男・氏政が誕生しています。

そして、続いて多数の子どもたちに恵まれた氏康。

北条氏康

三男・氏照には、
北条の軍事を任せる!

中でも、出色の能力を誇っていたのが三男・氏照でした。

戦国時代をテーマにした「信長の野望」や「天下統一」などのゲームにおいて、低評価である北条氏照。

これらのゲームにおいては、ほとんど「普通の武将」であり、「大して使えない」武将である氏照。

その一方、筆者は北条氏照は、かなり高い軍事能力を有していたと考えます。

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武田四天王:左上から時計回りに山県昌景、高坂昌信、内藤昌豊、馬場信春(Wikipedia)

考えようによっては、武田四天王とも伍する高い軍事能力を持ち、北条の軍事部門を担った氏照。

北条氏照の存在は、北条家の勃興には欠かせません。

ここで、武田・上杉・今川と比較して「猛将が不在」であった北条家。

北条氏康

我が家にも
猛将が欲しい・・・

知性型の侍大将・軍師も大事ですが、戦・合戦では「猛将による突破力」は極めて重要でした。

織田家の軍事力トップだった柴田勝家の話を、上記リンクでご紹介しています。

北条氏康

だが、一族には、
「まとめ役」はいるが、猛将は不在だ・・・

悩む氏康のもとに、根っからの「関東武士」である武将が近くにいました。

福島綱成

武勇ならば、
この綱成にお任せを!

北条氏康

北条綱成は、
たいそうな猛将だ!

北条氏康

ぜひ、我が北条家の
軍事の中核となってもらいたい!

もともと、今川家家臣とも伝わる北条家ですが、諸説あります。

筆者は、福島氏は、もともと関東武士であったと考えています。

その「関東武士らしさ」を誇った福島氏に対して、二代目・氏綱は、

北条氏綱

我が名前を
与えよう!

福島綱成

有難き幸せ!
ますます励みます!

「綱」の字を偏諱し、「綱成」と名乗らせました。

さらに、氏綱は、「北条一門となること」を強く望み、

北条氏綱

我が娘を
娶ってもらいたい!

北条氏綱

そして、我が北条一門として、
軍事を任せたい!

北条綱成

北条家の一門とは、
大変光栄です!

こうして、「北条」綱成が誕生しました。

北条綱成

今日から、私は
北条綱成です!

氏康にとって父・氏綱の娘婿であり、「兄弟格」となった北条綱成。

北条綱成は、北条家の軍事力の中核となりました。

三代目・氏康の代に、氏康の「弟」綱成と三男・氏照によって、軍事力が強化された北条家。

そして、彼ら「一族の力」によって、北条家は更なる飛躍を果たしました。

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