討幕軍ダントツの智勇兼備の将軍だった板垣退助〜名門乾家に生誕・武田家超重臣「武士中の武士」板垣信方の末裔の血筋〜|板垣退助・人物像・エピソード

前回は「幕末維新を飛翔させた男・坂本龍馬の実像〜「薩長同盟の立役者」の謎・海の国土佐から世界へ飛躍・太平洋に思い切り開けた土佐〜」の話でした。

新歴史紀行
板垣退助(国立国会図書館)
目次

名門乾家に生誕:武田家超重臣・「武士中の武士」板垣信方の末裔の血筋

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土佐藩士 乾退助(Wikipedia)

1837年、土佐藩山内家の名門武家・乾家に生誕した乾退助。

乾退助

名門武家である乾家は
質実剛健な家柄なのだ!

馬廻格・300石の家柄に生まれた乾家は、かなりの上士の家柄でした。

乾退助

我が乾家は、
武田家重臣の板垣信方の板垣家だ!

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武田家重臣 板垣信方(Wikipedia)

この乾家と板垣信方の板垣家との関係に関しては、諸説ありますが、末裔と言われています。

板垣信方

武田晴信(信玄)様を
支え続けた板垣信方だ!

江戸時代でも現代でも、誰でも知っている武田信玄を補佐した板垣家由来であった乾退助。

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戦国大名 武田晴信(信玄)(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)
武田信玄

板垣信方は、
我が武田の柱の一人だった・・・

武田信玄

ワシが小さい頃から
支えてくれたが、戦死してしまった・・・

信玄の父親・信虎から信玄の二代に仕え、武田家の「両識」の一人であった板垣信方。

そして、板垣は、武田信玄が初期に信濃で死闘を繰り広げた村上義清との戦いにおいて、

板垣信方

むむっ!
村上軍が予想外に強力だ!

板垣信方

晴信(信玄)様を
お守りするのだ!

武田家の超重臣でありながら、自ら刀を執って戦った板垣信方は、敗勢の中、

板垣信方

ぐっ、ぐふっ、
無念だ・・・

武田信玄を守るようにして、戦死してしまいました。

「裏切り」や謀反が日常茶飯事だった戦国時代において、信玄に尽くし続けた板垣信方。

そして、最後は、戦国の虎・信玄を守り通して戦死した板垣信方。

比較的穏やかだった江戸時代後期の武士にとって、板垣信方のイメージは最高でした。

乾退助

この乾退助は、
武士中の武士である板垣退助の血を引く!

乾退助

我が山内家のために、
私は尽くすのだ!

この「武士中の武士」の血筋を、乾退助は幼い頃から意識していたでしょう。

討幕軍ダントツの智勇兼備の将軍だった板垣退助:教養高い戦略家

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土佐藩主 山内容堂(Wikipedia)
山内容堂

乾退助は
我が土佐藩の宝よ!

山内容堂

なんといっても、
我が藩祖 山内一豊様が掛川城主だった時からの家臣・・・

山内容堂

そして、我が山内家の
上士の家柄だからな!

幕末、徳川幕府を倒す側に回った「薩長土肥」の四つの藩。

これらの藩のうち、薩摩・島津家と長州・毛利家は伝統的に「徳川の敵」でした。

肥前・鍋島家は、特段徳川家とは親しくはありませんが、外様大名で「徳川とは距離がある」仲でした。

ところが、土佐は、他の「薩長肥」とは大違いでした。

山内容堂

我が山内家は、
権現様(家康)によって・・・

山内容堂

掛川6万石から
土佐24万石を拝領したのだ!

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戦国期の国別石高(歴史群像シリーズ 1 織田信長 学研)

太閤検地では、10万石ほどであった土佐。

「土佐24万石」は、倍以上誇張された石高でした。

それでも、家康によって徳川家に由来する遠江・掛川城から「一国の主」に引き上げられた山内家。

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徳川幕府初代将軍 徳川家康(Wikipedia)
徳川家康

山内一豊が早々に
掛川城を我が徳川に差し出した・・・

徳川家康

これがキッカケとなり、
大勢の大名たちが、我先にと城を我が軍に差し出した・・・

徳川家康

戦場での働きも重要だが、
山内一豊の働きは、東軍随一!

見方によっては、「豊臣を裏切った」山内一豊でしたが、裏切り方が穏便だったため、

徳川家康

我が徳川につき、
忠誠を誓った山内家には大きな褒美を!

一気に、6万石から24万石の「4倍アップ」となった山内家。

山内容堂

我が山内家は、
とにかく徳川家のために!

そのため、山内家は外様大名ながら、譜代大名並みに「徳川ファースト」の家柄でした。

ところが、幕末維新の風雲が吹き荒れる中、25歳前後の壮年となった乾退助は、

乾退助

我が山内家は
徳川ファーストだが・・・

乾退助

この幕藩体制の秩序では、
これからの時代、外国とは戦えない・・・

山内家の上士の中核的存在であった、乾退助は、徐々に佐幕から討幕側に思考が変わってゆきました。

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左上から時計回りに、明治維新の元勲:木戸孝允、岩倉具視、大久保利通、西郷隆盛(Wikipedia)
西郷隆盛

乾どん!
一緒に討幕するがよか!

乾退助

うむ・・・
我が土佐藩士を私が率いて戦おう!

薩長軍の中核は薩摩藩士であり、強烈な強さを持っていた薩摩藩士の存在は超強力でした。

木戸孝允

我が長州は、続く戦乱で
大勢戦死してしまったが・・・

木戸孝允

奇兵隊含め、まだまだ
長州軍は健在だ!

そして、早くから暴発し続けた長州は、軍事力がかなり落ちていたのが実情でした。

その中、屈強の土佐藩士、つまり土佐藩正規軍を率いていた猛将・乾退助。

乾退助

うおお〜っ!
皆、俺に続け!

土佐藩士S

乾さんに
続くのだ!

とにかく、強烈な猛将であった乾退助は、上士の家柄もあり、幼い頃から学んでいたため、

乾退助

ここは、戦略的に
考えて、こう攻めるのだ!

教養が高く、戦略的思考を持っていました。

「ただ強い」だけでも、武士として極めて貴重な存在でしたが、ダントツに智勇兼備の将軍だった乾退助。

乾退助

我が土佐藩が、
徳川の世を終わらせるのだ!

乾退助

そして、我らが
新たな世をつくるのだ!

討幕軍きっての将軍であった乾退助は、討幕の大きな原動力の一つとなりました。

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