前回は「幕末維新を「爆発させた」男・久坂玄瑞の実像〜吉田松陰との出会い・萩藩医の家柄から若くして飛躍・若き頃からの高杉晋作との交友〜」の話でした。
海の国・土佐から世界へ飛躍:太平洋に思い切り開けた土佐
海の国・土佐に生まれた坂本龍馬。
世界の中で、国家の領土の大きさはそれほどではないものの、海岸線長さでは堂々6位の日本。
現代と幕末では「日本という国家」の領土は少し異なりますが、概ね似ています。
幕末当時は、徳川幕府の江戸が首府のような存在でしたが、首都は京・山城ままでした。
「正式な遷都」を行っていない以上、現代も「首都は京都」と言えなくはない状況です。
一方で、世界から見ると、どう考えても「首都は東京/Tokyo」であるのが日本の実態です。
そして、土佐は「国家の三面が海に面している」状況でした。
中でも、「南側が綺麗にパッと太平洋に開けていた」土佐。
物流・流通としては、大坂(当時)に直結する瀬戸内海の方が重要でしたが、
この桂浜からは
太平洋がすっきりと見える・・・
この海の向こうには
メリケン(米国)やエゲレス(英国)などがあるのだ・・・
実際には、英国などの欧州は「太平洋の向こう」ではないですが、飛行機がない当時は、
ここから、海に乗り出せば、
どこの国へも行けるのだ!
「海の男」龍馬は、このように考えていたでしょう。
琉球などの南西諸島を領土し、東シナ海側に広大な海を領有していた薩摩もまた「海の国」です。
一方で、薩摩は本領内部に大きな錦江湾を抱えており、本土の方々から見れば、
殿様がいらっしゃる鶴丸城(内城)から
広大な錦江湾が見える・・・
この錦江湾は、周囲が我が薩摩の
領土であり、錦江湾もまた薩摩の領土(海)だ・・・
そして、南には広大な海(東シナ海)が
広がり、外国との(密)貿易が盛んなのが我が薩摩!
薩摩も長州も「大きく海に開けた藩」でしたが、その位置からして「アジアより」でした。
対して、土佐はアジアからの船も来航していましたが、「海の広がり方」が全く違います。
どこまでも、どこまでも
海が無限に広がっている・・・
龍馬の時代から少し後の時代に、太平洋で日米の陸海軍が死闘を繰り広げました。
世界の大洋の中でも、群を抜いて広く、巨大な存在の太平洋。
龍馬の生き方・思考の発想もまた、太平洋を見る「広大な視野」から生まれました。
幕末維新を飛翔させた男・坂本龍馬の実像:「薩長同盟の立役者」の謎
幕末の志士の中でも、若手だった坂本龍馬は1835年に生まれました。
他の藩とは大きく異なる組織を持っていた土佐藩では、藩士は上士・下士と郷士に別れていました。
・上士:関ヶ原合戦で新たな国主(藩主)となった山内家の藩士(武士)
・下士と郷士:旧国主の長宗我部系の藩士(武士)
一応、藩士ながら最下級の郷士出身の坂本家は、商売繁盛で非常に裕福でした。
私は郷士で、身分は
低いみたいだが・・・
坂本家・才谷家は商売繁盛で
裕福だから、お金には困らない!
この「商売繁盛の商人的発想」こそが、坂本龍馬の真骨頂でした。
「お互いが利益を分け合って、双方が儲かれば良い」というのが最大のポリシーである商人。
「広い海への視点」と「商売繁盛の商人的発想」によって成長した龍馬。
今、土佐のみならず、
この徳川幕府が束ねる国々(藩)は危機に瀕している・・・
江戸時代に、ロシアなどから様々な接触がありましたが、
まあ、外国との交渉は
長崎が窓口なので、江戸に来ないで下さい・・・
という方針だった幕府に対して、ちょうど南北戦争向けて加熱する米国がやってきました。
Hello!
Japanの皆さん!
我がUnited Statesと
同盟を結びましょう!
嫌なら、
Edoを砲撃しますよ!
こんな物騒な時代になってしまっていた幕末。
この状況は、
なんとかしなければ・・・
内輪揉めしているうちに、
外国に植民地にされてしまう・・・
そうだ!
敵対している雄藩の薩摩と長州が手を結べば良い!
「こう考えた」と伝えられる坂本龍馬の発想。
長州はやりすぎだから、
この際、小さな藩にしてしまえ!
薩摩は我が長州の天敵!
薩賊は必ず長州が叩き潰す!
このように「最悪」を超えた「天敵」となっていた薩長。
まあまあ・・・
ここでお互い手を結んでは・・・
さ、薩摩と手を結ぶ!
そんなこと出来るか!
それが、長州の利益に
つながるので、最も良いです!
う、うむ・・・
我が長州の利益か・・・
「商人的発想」で「時代を切り拓いた」と言われた「薩長同盟の立役者」坂本龍馬。
実際には、そんな単純な話ではないはずですが、「薩長同盟に大きな影響」をもたらした龍馬。
「武士にあるまじき商人的発想」によって、時代を大きく飛翔させたのが龍馬の「新発想」でした。