前回は「「桶狭間の大失態」と今川義元の能力〜桶狭間の戦いの真相・実力勝負の戦国期における将軍と権威・強く残存していた守護の権威〜」の話でした。

優雅な富士山を臨む駿河の今川家:「足利御三家」相当の超名門

日本の象徴であり、美しい富士山を望むことが出来る現在の静岡県と山梨県。
この美しすぎる山は、戦国時代には駿河と甲斐にありました。
現在、富士山に対しては、静岡県と山梨県の両方が「我が山」という認識です。
一方で、一般的には「富士山は静岡県」という印象が強く、当時も「富士山は駿河」だったでしょう。
多数の肖像画が残っている戦国大名たちの中で、今川義元の肖像画は極めて少ないです。
その中で、上の今川義元の肖像画は、「今川義元らしさ」が如実に表現されていると筆者は考えます。
駿河・遠江の二カ国の守護であった今川家は、室町時代末期=戦国期において、超名門でした。
この頃、「元から二カ国以上の守護」であった家は非常に少ないです。

足利家から
後継が出せなかったら・・・



その場合は、吉良家か
今川家から将軍を出すらしい・・・
後に、今川家の家臣同然だった松平元康(徳川家康)が創立した徳川幕府。





我が徳川将軍家は
直系が望ましいが・・・



後継が生まれない
可能性もある・・・



そのためには、
他に御三家を設立して・・・



直系から将軍が出せない場合は、
御三家から出すのだ!
徳川家の将軍輩出を担保するため、徳川親衛隊創設のために、徳川御三家を創立した家康。
御三家の家系 | 成立年 |
尾張 | 1616年 |
紀伊 | 1619年 |
水戸 | 1619年 |


これに対して、足利将軍家は「足利御三家」構想は全くなく、強権を有した足利義満は、



我が足利家は
強力だ!
南北朝合一を果たした足利家第三代将軍・義満は、強力な権力を持ちましたが、



足利将軍家の
輩出は、なんとかなるだろう・・・
「足利家の後継者確保」には、特段の配慮をしませんでした。
「足利御三家」はありませんでしたが、「足利御三家」相当だったのが今川家でした。
「二カ国の守護」であり、「足利将軍家輩出の可能性」があった超名門が今川家でした。
お家騒動の中で成長した今川義元:北条早雲の圧倒的政治力


当時の駿河は、西の大内家の周防・山口と並んで、「小京都」と呼ばれました。
周防・長門・石見などを領した大内家は、その領土においては、今川家を上回りました。


当時は現代と異なり、「京・山城中心」の国家像だった日本。
さらに、室町・戦国期は、欧米との折衝はなく、「外国と言えば、中国か朝鮮」だった時代でした。
この点で、中国や朝鮮と貿易するためには、西日本の方がはるかに有利でありました。
その為、まさに「本州の西の端」を領有し、明国(中国)との貿易に強い権限を持っていた大内家。
大内家には、当時、大陸から最先端の文明の文物が多数入ってきていました。
いわば、「日本の超最先端地域」であったのが大内家の周防・長門の「小京都」でした。
当時の印象では、



大内家には、
最先端の素晴らしい文物が多数ある・・・
大内家は「宝の山」を持っていたように認識されていたでしょう。
そして、「宝の山」を持っていた大内家と「同等に評価されていた」のが、駿河の今川家でした。
超名門だった今川家においては、問題が発生する「内輪揉めの種」が多数ありました。
今川義元の父親である今川氏親が「龍王丸」と名乗っていた頃、大規模な内輪揉めが発生しました。



これは大変な
騒動になってしまった・・・



なんとか、なんとか、
我が子・龍王丸を今川の後継者に・・・



私の知り合いで、
このお家騒動を上手くまとめる人はいないかしら・・・
龍王丸の母・北川殿は、大いに悩んだ結果、



そうだ!
我が弟なら、なんとかしてくれるかも・・・





お姉さん!
僕が、内輪揉めをまとめましょう!
ここで登場したのが、後に北条早雲という名前になる伊勢新九郎でした。
北条早雲に関する話を、上記リンクでご紹介しています。
出自が定かではありませんが、どうやら「政所執事・伊勢家」の流れである伊勢新九郎。
おそらく「政所執事・伊勢家」の傍流程度だったものの、強力な政治力を持っていた新九郎。



私が、今川家を
まとめるのだ!
圧倒的な政治力で、今川家のお家騒動をまとめ、龍王丸が当主となり、今川氏親と名乗りました。
「今川の救世主」新九郎に対しては、



新九郎、有難う!
お礼に、駿河の東の城をあげる!
駿河の東端にあった興国寺城を受領した伊勢新九郎は、「北条帝国」の北条家の始祖となりました。
そして、今川氏親の三男だった今川義元は、混乱の中、



我が今川家は
大丈夫だろうか・・・
たくましく成長しましたが、兄がいるために、



僕は三男だから、
お兄ちゃんが今川家当主になるみたい・・・
三男・義元は、お家騒動もあったため、「争いの種」となることを防ぐために、仏門に出されました。



仕方ない・・・
一生懸命勉強しようか・・・
そして、仏門で一生懸命勉強し続けた、幼い頃の義元でした。