スプルーアンスと「似た者」同士だった伊藤整一〜海軍大学校から米国駐在武官へ・山本五十六の米国での教え〜|伊藤整一3・人物像・エピソード

前回は「帝国海軍の「希望の星」伊藤整一〜海軍省と軍令部と連合艦隊全てで要職・優等生から帝国海軍へ・日清日露の戦いと高揚〜」の話でした。

新歴史紀行
伊藤整一 軍令部次長(連合艦隊司令長官 別冊歴史読本 新人物往来社)
目次

海軍大学校から米国駐在武官へ

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海軍省(Wikipedia)

1890年に生まれた伊藤整一は、小さな頃からずっと優等生で通しました。

設置年大学名
1868年陸軍士官学校(前身の兵学校)
1869年海軍兵学校(前身の海軍操練所)
1877年一高・東京帝国大学(帝国大学)
1897年三高・京都帝国大学
当時の最難関校:海軍兵学校・陸軍士官学校・帝国大学設置年(Wikipedia)

当時、一高(現代の東大)、三高(現代の京大)と同等に難関であった陸士と海兵。

いわば、日本全国から優秀な生徒が集まる海兵において、

伊藤整一

一生懸命勉強して、
海軍でお役に立とう!

1911年、伊藤整一青年は15位の好成績で卒業しました。

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海兵39期卒業の将星たち:左上から時計回りに、伊藤整一、高木武雄、角田覚治、原忠一(Wikipedia)
卒業席次名前
5山県 正郷
15伊藤 整一
17高木 武雄
21西村 祥治
26阿部 弘毅
45角田 覚治
85原 忠一
志摩 清英
海兵39期卒業生の卒業席次

40期と共に、ちょうど第二次世界大戦の真っ只中に、「権限を持つ立場」となった39期卒業生たち。

39期には、司令官クラスを大勢輩出しました。

戦艦を率いて戦った西村司令官や、志摩司令官。

空母機動部隊を率いて戦った原司令官や角田司令官は、特に著名です。

風貌からして、前線の指揮官よりは、軍令部や海軍省に向いていたと思われる伊藤整一。

組織職務
海軍省軍政・人事
軍令部軍令
連合艦隊最前線の海軍戦闘部隊
帝国海軍の組織と職務

伊藤整一は、海軍省・軍令部・連合艦隊のそれぞれで、重要な職務についた稀有な存在でした。

1923年に「選りすぐられたエリート」のみが進学出来た海軍大学校を次席卒業。

そして、少佐に就任した伊藤整一は、

大日本帝国

伊藤整一よ、
中米武官を命ずる!

伊藤整一

はっ、
米国に向かいます。

海軍省の命令により、伊藤は米国に向かいました。

スプルーアンスと「似た者」同士だった伊藤整一:山本五十六の米国での教え

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New York(新歴史紀行)

そして、米国に到着した伊藤整一は、精力的に業務に取り組みました。

伊藤整一

これが、
米国か・・・

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山本五十六 米国大使館付武官(Wikipedia)
山本五十六

おうっ!
伊藤、よく来たな!

伊藤整一

山本さん!
よろしくお願いします!

ちょうど、この頃、米国大使館付武官として、二度目の米国駐在をしていた山本五十六。

海軍兵学校卒業期名前専門役職
32山本 五十六航空連合艦隊司令長官
36南雲 忠一水雷第一航空艦隊司令長官
37小沢 治三郎航空南遣艦隊司令長官
39伊藤 整一大砲軍令部次長
40宇垣 纏大砲連合艦隊参謀長
40大西 瀧治郎航空第十一航空艦隊参謀長
40福留 繁大砲軍令部第一部長
40山口 多聞航空第二航空戦隊司令官
連合艦隊幹部の専門・役職・海軍兵学校卒業期(1941年12月)

後に、短期間ですが、山本連合艦隊司令長官に連合艦隊参謀長として仕えることになる伊藤。

そして、伊藤が軍令部次長になった後も、山本と伊藤は強い関係がありました。

当時、37歳頃だった伊藤にとって、7期上であった山本は、色々な面倒を見ました。

山本五十六

伊藤よ!
ここ米国では、英語だけ使え!

山本五十六

日本語は使うな!
英語力が伸びんからな!

伊藤整一

はいっ!
分かりました!

米国研究に一生懸命であり、英語も必死に学んでいた山本先輩のアドバイス。

伊藤にとって、すでに海軍内に雷名が轟いていた山本の存在は大きかったでしょう。

この米国駐在では、山本との出会いが最大のものでしたが、もう一つ大事な出会いがありました。

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Raymond Spruance 海軍作戦部情報課員(Wikipedia)
Spruance

Hello,
Ito!

伊藤整一

Hello,
Raymond!

名前生年海兵卒業席次
山本 五十六188411
チェスター・ニミッツ18857
レイモンド・スプルーアンス188621
小沢 治三郎188645
伊藤 整一189015
伊藤整一・スプルーアンス前後の将星たち

スプルーアンスとは、4歳違いで、比較的歳が近かった伊藤整一。

そして、風貌からして、明らかに性格が似ている二人は、意気投合しました。

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左上から時計回りに、Ernest King司令官、Chester Nimitz新米太平洋艦隊司令長官、William Halsey第二空母戦隊司令官、Raymond Spruance第五艦隊司令官(Wikipedia)

米海軍提督の中でも、一際温厚そうな雰囲気のスプルーアンス。

伊藤が米国に派遣された1927年頃は、日米関係が良好な時代でした。

第一次世界大戦後の「束の間の平和」な時代に、似たもの同士の二人は親交を持ちました。

そして、第二次世界大戦末期に、対峙することになった伊藤とスプルーアンス。

伊藤整一司令官の最後の決戦となった「大和特攻」における、最後の米海軍の敵艦隊。

その艦隊は、スプルーアンス司令官率いる空母部隊でした。

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