帝国海軍の「希望の星」伊藤整一〜海軍省と軍令部と連合艦隊全てで要職歴任・優等生から帝国海軍へ・日清日露の戦いと高揚〜|伊藤整一2・人物像・エピソード

前回は「帝国海軍の模範生・伊藤整一の実像〜穏やかで心身ともに優れた青年・軍令の要軍令部次長へ・永野軍令部総長の大いなる期待・大先輩山本五十六長官との直接対決・予感した戦艦大和との運命〜」の話でした。

新歴史紀行
伊藤整一 軍令部次長(連合艦隊司令長官 別冊歴史読本 新人物往来社)
目次

優等生から帝国海軍へ:日清日露の戦いと高揚

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大日本帝国憲法発布(Wikipedia)

1890年に福岡県で生まれた伊藤整一。

海軍兵学校(海兵)で一期下の宇垣纏と生まれは同年です。

現代の大学に相当する海兵の採用年齢は、当時「16歳〜19歳」だったため、学年と年齢に少しズレがあります。

1890年は、ちょうど大日本帝国憲法が施行された年であり、

我が大日本帝国は、
これから国家が発展してゆき・・・

やがては欧米と
肩を並べるのだ!

大日本帝国が、メキメキ力をつけていた時代でした。

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日清戦争(Wikipedia)

特に武士や軍人の家系ではなく、一般的な家庭に生まれた伊藤整一が四歳の時に、

我が大日本帝国が
清国に打ち勝った!

長年「アジアのボス」であり、日本にとっては「兄」のような存在であった中国(清国)に勝ちました。

伊藤整一

とにかく
一生懸命勉強しよう!

顔つきからして「誠実そのもの」であり、穏やかな人柄だった伊藤整一少年は、一生懸命勉強しました。

伊藤整一

将来は、大日本帝国の
ために有為の人材になる!

おそらく、10代の前半には、伊藤整一少年は「国家に役立つ人物像」を考えていたでしょう。

そして、ずっと優等生を貫き通していたと思われます。

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日露戦争(Wikipedia)

伊藤整一少年が14歳の頃には、日露戦争で大日本帝国がロシア帝国に勝ちました。

我が帝国が
列強の仲間入りだ!

そして、「目上の存在」だった欧米列強の仲間入りという「悲願」を果たした日本。

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戦艦三笠に座乗する東郷平八郎連合艦隊司令長官(Wikipedia)

陸海軍で死闘を演じた日露戦争では、日本海海戦における帝国海軍の活躍が目立ちました。

複雑な陸軍の死闘と比較して、一般国民に「分かりやすかった」のが日本海海戦と東郷平八郎でした。

伊藤整一

よしっ!
僕も帝国海軍目指そう!

そして、伊藤誠一少年は海軍のエリート海軍兵学校を目指しました。

帝国海軍の「希望の星」伊藤整一:海軍省・軍令部・連合艦隊全てで要職歴任

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海軍兵学校生徒館(現 海上自衛隊幹部候補生学校)(Wikipedia)

そして、当時超難関だった海軍兵学校(海兵)に合格した伊藤整一少年。

設置年大学名
1868年陸軍士官学校(前身の兵学校)
1869年海軍兵学校(前身の海軍操練所)
1877年東京帝国大学(帝国大学)
1897年京都帝国大学
1907年東北帝国大学
1911年九州帝国大学
1918年北海道帝国大学
1924年京城帝国大学(韓国、のちに廃止)
1928年台北帝国大学(台湾、のちに廃止)
1931年大阪帝国大学
1939年名古屋帝国大学
海軍兵学校・陸軍士官学校・帝国大学設置年(Wikipedia)

現代も「旧帝大」という言葉が残っていますが、戦前には帝国大学がありました。

帝国に役立つ
人材を育てるのが帝国大学だ!

私立が多い欧米と比較して、「国家の影」が濃厚であった帝国大学は、当時も最難関でした。

伊藤整一少年が若き頃は、帝大は東京帝国大学(東大)か京都帝国大学(京大)のみがありました。

当時も、東大と京大は最難関でしたが、「国家に尽くす」軍人は最もエリートで最難関でした。

陸軍士官学校(陸士)と海軍兵学校(海兵)は、猛烈な競争倍率であり、東大より難関でした。

海軍兵学校

カイヘイゴウカク、
イインチョウ・・・

伊藤整一

よしっ!
海兵合格だ!

海兵合格の電報が届き、大いに喜んだであろう伊藤整一少年。

ここで「委員長(イインチョウ)」は、海軍次官を指します。

入学時の成績は不明ですが、おそらく20番以内の好成績で海兵39期に入学した伊藤整一少年。

そして、海兵39期を15位の好成績で卒業しました。

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海兵39期卒業の将星たち:左上から時計回りに、伊藤整一、高木武雄、角田覚治、原忠一(Wikipedia)

大東亜戦争・第二次世界大戦の頃に、ちょうど脂が乗る年齢だった39期卒は多数の将星を輩出しました。

卒業席次名前
5山県 正郷
15伊藤 整一
17高木 武雄
21西村 祥治
26阿部 弘毅
45角田 覚治
85原 忠一
志摩 清英
海兵39期卒業生の卒業席次

典型的猛将であった角田覚治や原忠一がいる中、大変な好成績で卒業した伊藤整一。

そして、少尉候補生となった伊藤整一は、順調に帝国海軍で出世しました。

伊藤整一

よしっ、次は
海軍大学校だ!

現代の「大学院を越える機関」であった海軍大学校には、一握りの人物しか入学できませんでした。

さらに、海軍大学校の次席(2位)で卒業した伊藤は、その人柄もあって、

帝国海軍

伊藤は、
海軍の要になる人物だな・・・

帝国海軍上層部から、ずっと目をかけられました。

海軍兵学校卒業期名前専門役職
32山本 五十六航空連合艦隊司令長官
36南雲 忠一水雷第一航空艦隊司令長官
37小沢 治三郎航空南遣艦隊司令長官
39伊藤 整一大砲軍令部次長
40宇垣 纏大砲連合艦隊参謀長
40大西 瀧治郎航空第十一航空艦隊参謀長
40福留 繁大砲軍令部第一部長
40山口 多聞航空第二航空戦隊司令官
連合艦隊幹部の専門・役職・海軍兵学校卒業期(1941年12月)

海軍の将官たちは、広い視野を持つためにも、海軍省・軍令部・連合艦隊勤務を異動しました。

概ね2年に1度程度、大きな異動がありました。

例えば、山本五十六は主に海軍省にいて、最後に連合艦隊に異動しました。

組織職務
海軍省軍政・人事
軍令部軍令
連合艦隊最前線の海軍戦闘部隊
帝国海軍の組織と職務

通常は、これら海軍省・軍令部・連合艦隊のうち「二つを経験」が多い中、

伊藤整一

海軍省では
人事局長になり・・・

伊藤整一

連合艦隊では、艦長・司令官から
連合艦隊参謀長となり・・・

伊藤整一

軍令部では次長と
なった・・・

海軍省・軍令部・連合艦隊の全てにおいて、要職についた数少ない将星の一人だった伊藤。

帝国海軍の「希望の星」だった伊藤は、最後に「帝国海軍の希望」を一身に背負うことになります。

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