前回は「スプルーアンスと「似た者」同士だった伊藤整一〜海軍大学校から米国駐在武官へ・山本五十六の米国での教え〜」の話でした。

「ジェントルマン=紳士」の典型であった伊藤整一:帝國陸海軍の範

陸軍将校と比較して、穏やかな雰囲気の将校が多い海軍。
その「穏やかな海軍将校」たちの中でも、際立って「穏やか」であったのが伊藤整一でした。
そもそも、明治維新の時には、「欧化」を超えて「欧州から丸ごと輸入」を目論んだ大日本帝国。

我が帝国陸軍の
範はフランスであり・・・



我が帝国海軍の
範は大英帝国だ!
明治から、ずっと「海軍は英国流」を貫いた帝国海軍。
対して、陸軍は、明治から大正の頃は「フランスが範」であり、後に「ドイツが範」と変わりました。





海軍将校は
ジェントルマン(紳士)たれ!
とにかく「ジェントルマン(紳士)であること」を強く求められていた海軍将校。



私も
ジェントルマンになるのだ!
卒業席次 | 名前 |
5 | 山県 正郷 |
15 | 伊藤 整一 |
17 | 高木 武雄 |
21 | 西村 祥治 |
26 | 阿部 弘毅 |
45 | 角田 覚治 |
85 | 原 忠一 |
? | 志摩 清英 |
海軍兵学校を15位の好成績で卒業した伊藤整一。
「恩賜の短剣」組ではありませんが、



海兵卒業席次は、
高いほうが望ましいが・・・



様々なバランスを
考えると10位〜20位くらいが好ましいか・・・
勉強が出来ることは良いことですが、「勉強一辺倒」になりかねない問題があります。
そして、体力など身体能力も重要であり、「将兵を指揮する高い人格」が求められた陸海軍将校。
そのため、「海兵卒業席次10位〜20位程度が好まれた」説もあります。
ここに入るのは、伊藤整一や山本五十六などであり、まさにバランスが取れた人材たちでした。
特に「全てにおいてバランスが取れていた」のが伊藤整一でした。
卒業席次も似ていたスプルーアンス:満洲事変と「戦争の空気」





Hello,
Ito!



Hello,
Raymond!
ちょうど日米関係が良好であった1927年に、米国留学した伊藤整一。
名前 | 生年 | 海兵卒業席次 |
山本 五十六 | 1884 | 11 |
チェスター・ニミッツ | 1885 | 7 |
レイモンド・スプルーアンス | 1886 | 21 |
小沢 治三郎 | 1886 | 45 |
伊藤 整一 | 1890 | 15 |
米国では、様々な米海軍士官と付き合いがありました。



スプルーアンスとは
気が合うな・・・



どうも性格や
指向性が似ている気がする・・・
その中でも、レイモンド・スプルーアンスとは大変気が合い、親交を深めた伊藤。
スプルーアンスは、伊藤の4歳年上であり、風貌からして明らかに「似た者同士」でした。
さらに、「米国の海兵」であるアナポリスを21位で卒業したスプルーアンス。
海兵15位卒業の伊藤整一とは、成績までもが似通っていました。
とにかく「似ている要素」が多すぎる伊藤とスプルーアンス。



Itoは大変
礼儀正しく、理想的軍人だ・・・



識見も確かであり、
包容力がある・・・



こういう人物が提督になると、
手強いだろうな・・・
スプルーアンスは、伊藤に「提督としての巨大な素質」を見抜きました。
30代後半のちょうど良い時期に、米国で様々学んだ伊藤整一。



英語も
一生懸命学んだが・・・



米国という
国が少し分かった気がする・・・
米国という国家を肌身で知り、知米派となりました。
そして、1928年頃に帰国した伊藤整一は、巡洋艦の艦長などをこなしました。
この頃は、比較的穏やかな時代でしたが、一変したのが1931年でした。


陸軍が暴走して、1931年に満洲事変が勃発したのでした。
その後も、中国に対して「正式な宣戦布告」をしなかった大日本帝国。



満洲事変によって、
満洲を取り込むのだ!



宣戦布告していないので、
戦争ではなく、事変だ!
政府はもちろん、中央の参謀本部の意向まで無視する傾向があった関東軍。



陸軍にも
困ったものだ・・・



政府や参謀本部の
意向を無視するとは・・・
この頃、「統帥権」を盾に、参謀本部の「不拡大」路線を無視した関東軍。



我が陸軍は、
天皇に直結する統帥権を有する!



つまり、政府の意向は
聞かなくても良いのだ!
天皇に直結した「統帥権」の拡大解釈によって、暴走を続けた関東軍。
仮に「帝国政府の意向を聞かなくても良い」としても、「統帥」は参謀本部にありました。



統帥権か・・・
中央の指示を聞かんとは・・・
ジェントルマンの典型であった伊藤整一から見れば、陸軍は横暴以外の何者でもありませんでした。
優れた海軍将校であった伊藤は、満洲特設海軍機関にも関わりました。



確かに満洲は
魅力的な大地だが・・・



こんなことを
やっていては、また戦争か・・・
「戦争の空気」が濃厚になってゆくのを肌身で感じた伊藤。
ちょうど40歳を過ぎる頃であり、複数の巡洋艦の艦長などを務めました。
戦艦と駆逐艦の間にあり、艦隊の幅広い任務を担う巡洋艦。
巡洋艦艦長の経験によって、伊藤整一は様々な実戦を学び、海軍将校としての能力を磨きました。