武雷神・立花道雪の油断〜今山の戦い・格下の龍造寺を包囲する大友・大友家総大将討死・怒濤の如き勢いの龍造寺と急速に弱体化する大友〜|立花道雪5・人物像・軍事能力・エピソード

前回は「武雷神・道雪の陰り〜南の島津を放置し続けた大友家・道雪の懸念・急成長する島津家と大友家の陰り・龍造寺の離反・余裕の「巨大な大友家」・悲観する龍造寺隆信・光る鍋島直茂の瞳〜」の話でした。

立花道雪(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)
目次

格下の龍造寺を包囲する大友:今山の戦い

1570年頃の九州勢力図(歴史人2020年11月号 KKベストセラーズ)

九州六カ国の守護を兼ねた強大な大名であった大友家に従属していたのが龍造寺家でした。

豊前・豊後・筑前・筑後・肥前・肥後にまたがる広大な領土を有する大友家。

大友家は、当時150万石ほどの力を持っていました。

龍造寺家を率いていた龍造寺隆信。

戦国大名 龍造寺隆信(Wikipedia)
龍造寺隆信

いつまでも、
大友家に従っていられるか!

龍造寺隆信は、「目の上のたんこぶ」だった大友家からの造反を決めました。

そして、大友宗麟は激怒して6万もの大軍を送り込んできました。

戦国大名 大友宗麟(Wikipedia)
大友宗麟

我が大友に刃向かった
龍造寺を叩きつぶすのだ!

立花道雪

我らに
お任せ下さい!

1570年今山(佐賀城)合戦図(歴史人2020年11月号 KKベストセラーズ)

立花道雪、吉弘鑑理など大友家の中心人物が大勢出陣しましたが、総大将は、

大友宗麟

俺が出てゆくまでも
あるまい・・・

大友宗麟

総大将は弟の
親貞が務め、花を持たせる!

そんな「余裕の姿勢」であった大友家。

立花道雪

いよいよ
明日は総攻撃だ!

立花道雪

龍造寺も
終わりだな!

大友家の総攻撃前夜。

龍造寺隆信

もはや、龍造寺家も
終わりか・・・

龍造寺隆信

少し調子に
乗りすぎたか・・・

意気揚々としていた龍造寺隆信でしが、

龍造寺隆信

こんな大軍勢で
肥前へ攻め込んでくるとは・・・

大友家がここまで総力をあげて乗り込んでくるとは予想していませんでした。

龍造寺隆信

想像もしなかった・・・
もはや我らは・・・

武雷神・立花道雪の油断:大友家総大将討死

龍造寺重臣 鍋島直茂(Wikipedia)

ここで、龍造寺隆信の義弟で、智勇兼備の名将・鍋島直茂が登場します。

鍋島直茂

私が決死隊を率いて、
夜襲を仕掛けます!

まさに文字通り「決死隊」であり、直茂自身も戦死する可能性が高い攻撃です。

龍造寺隆信

・・・・・

龍造寺隆信

直茂よ・・・
任せたぞ!

鍋島直茂率いる決死部隊が仕掛けた夜襲で、油断していた大友家は大混乱となります。

鍋島直茂

ゆけっ!
死ぬつもりだ戦うのだ!

鍋島直茂

大友勢を
一気に蹴散らすのだ!

鍋島直茂

ややっ!
あそこにいるは、大友総大将の親貞!

鍋島直茂

親貞を討て!
大将首だぞ!

ここで大友家は惨敗し、総大将の大友親貞は討たれてしまいました。

この「夢にも考えなかった」大敗北により、大友家は一気にその力を失います。

大友家重臣A

ど、道雪様!
親貞様、討ち死に!

立花道雪

な、なに!!!
ま、まさか・・・

立花道雪

親貞様が
討たれただと!

6万の大軍勢が大打撃を受け、実の弟が戦死してしまった大友宗麟。

大友宗麟

こんな負け方
するとは・・・

「想像のかけらもしなかった」大惨敗に、茫然自失となってしまいました。

大友宗麟

予想だに
しなかった・・・

立花道雪

とにかく、
体制を立て直すのだ!

立花道雪がいながら、なぜこのような大敗北になったのかは不思議です。

この時の57歳で高齢となっていた道雪。

道雪さえも、兵力差に油断していました。

立花道雪

私も
楽観視していたのだ・・・

立花道雪

・・・・・

立花道雪

鍋島直茂・・・
恐るべきやつだ・・・

怒濤の如き勢いの龍造寺と急速に弱体化する大友

毛利家重臣 吉川元春(Wikipedia)
吉川元春

大友軍を
倒すのだ!

長年の武雷神も毛利家の名将吉川元春や小早川隆景らと死闘を続け、疲れていた道雪。

年齢と疲労によって、勘が少し鈍っていたのかもしれません。

毛利家重臣 小早川隆景(Wikipedia)
小早川隆景

我が毛利の旗を
九州に掲げるのだ!

「勝って当然」の戦で、大敗北した大友家。

南の島津に加え、西に龍造寺という大敵を迎えることになり、大変な事態へと陥ります。

大友親貞が愚か者で、立花道雪の献言を受け入れなかったかもしれません。

それでも、当時近畿にも聞こえるほどの名声を持っていた立花道雪。

長く大友家の宿老として尽くし、当主の宗麟にすら直言できる立場でした。

立花道雪

私も
油断していた・・・

大友親貞が、大きな油断をしていたのは間違いないでしょう。

立花道雪は、親貞に警鐘をならし、総大将の大友親貞が何をやっていようと独自の軍事行動ができる立場でした。

立花道雪

この大敗は、
大友にとって非常に厳しい・・・

道雪が独自の軍事行動をして龍造寺に眼を光らせていたら、このような大敗北はありえなかったでしょう。

1580年頃の九州勢力図(歴史人2020年11月号 KKベストセラーズ)

絶体絶命から、予想外の大勝利となった龍造寺隆信率いる龍造寺家。

龍造寺隆信

これからは、
龍造寺の世よ!

龍造寺の版図を、
拡大するのだ!

鍋島直茂ら、優れた家臣団と共に猛烈な勢いで西九州を席巻してゆきます。

「怒濤の如き勢いの龍造寺」と「急速に弱体化する大友」という、見事なまでの逆転現象が発生した九州。

この時期から、九州は三国時代へと突入してゆきます。

次回は上記リンクです。

新歴史紀行

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