立花道雪 4〜武雷神の陰り〜|戦国武将

前回は「立花道雪 3〜吉川元春・小早川隆景との死闘〜」の話でした。

立花道雪(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)

島津家の猛烈な勢いに対して、大きな手を打たずに過ごしてきた大友家。

島津が大きく成長したとはいえ、まだまだ大友家の方がはるかに優勢です。

大友宗麟(Wikipedia)

島津、なにするものぞ!

我が大友家が、九州の主人なのだ!

近い将来の島津との戦いを、察知する道雪。

島津は、猛烈な勢いだ。

じきに、我が大友とぶつかるだろう。

1570年頃の九州勢力図(歴史人2020年11月号 KKベストセラーズ)

しかし、勢いに翳りが出た時、離反するものが出てくるのが戦国の世です。

それまで、大友に対して従属的立場であった龍造寺家。

龍造寺隆信が、一躍大友家に対して反旗を翻し、独立します。

龍造寺隆信(Wikipedia)

大友家も斜陽だ。

我が龍造寺が、
北九州を治めてみせる!

大友を舐めるなよ!

道雪よ。
龍造寺を倒してこい!

はっ、お任せを!

激怒した大友宗麟は大友家の総力を上げて、龍造寺家の本拠地 佐嘉(佐賀)城を攻めます。

大友家60,000に対して、龍造寺家は5,000。

誇張があるとは言え、よくも60,000もの将兵を一気に投入できたものです。

我が大友総力を挙げて、
龍造寺を叩き潰すのだ!

実数が40,000程度だとしても、一般的な「4万石で動員1,000」を考えると当時の大友家は160万石程度の実力となります。

広大な版図と貿易が盛んな博多などの港を押さえていたので、当時の大友家は、この程度の実力はあったのでしょう。

「押されつつある」とは言え、かなりの大大名です。

九州で数カ国の守護を兼ねる大友家よ!

龍造寺軍は、天然の要害にこもって、大友軍を迎え打ちます。

龍造寺など、ひとひねりよ!

有力な後詰が望めない中10倍以上の兵力差があり、大友家が圧倒的に優勢です。

1570年今山(佐賀城)合戦図(歴史人2020年11月号 KKベストセラーズ)

この時致命的だったのは、「大友家が総力を挙げている」のにもかかわらず、宗麟自身が出馬していないことです。

軍勢に、大きな差がある。

私が出てゆかんでも、弟の親貞で十分!

軍勢も多く、立花道雪(上図で戸次鑑連)・吉弘鑑理らの優れた武将が大勢います。

親貞を出すくらいなら、立花道雪が総大将であった方が良かったのは間違い無い。

「勝って当然」の戦いだったからこそ、親貞を総大将にして「弟に花を持たせる」くらいな気持ちであった宗麟。

遠巻きに大軍勢で包囲した大友軍は、総攻撃を決定します。

造反した龍造寺は、もはや終わりよ!

余裕綽々の大友家。

あたかも、桶狭間の戦いに臨む、今川義元率いる大軍のような状況でした。

桶狭間の戦い(Wikipedia 歌川豊宣画)

もはや、風前の灯火となった龍造寺軍。

少し調子に乗りすぎたか・・・

後悔して唇を噛む龍造寺隆信。

後悔先に立たず、か・・・

脇には義理の弟であり、智勇兼備の名将鍋島直茂が控えていました。

鍋島直茂(Wikipedia)

まだ、勝ち目はあります。

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