前回は「立花道雪 3〜吉川元春・小早川隆景との死闘〜」の話でした。

島津家の猛烈な勢いに対して、大きな手を打たずに過ごしてきた大友家。
島津が大きく成長したとはいえ、まだまだ大友家の方がはるかに優勢です。


島津、なにするものぞ!



我が大友家が、九州の主人なのだ!
近い将来の島津との戦いを、察知する道雪。



島津は、猛烈な勢いだ。



じきに、我が大友とぶつかるだろう。


しかし、勢いに翳りが出た時、離反するものが出てくるのが戦国の世です。
それまで、大友に対して従属的立場であった龍造寺家。
龍造寺隆信が、一躍大友家に対して反旗を翻し、独立します。





大友家も斜陽だ。



我が龍造寺が、
北九州を治めてみせる!



大友を舐めるなよ!



道雪よ。
龍造寺を倒してこい!



はっ、お任せを!
激怒した大友宗麟は大友家の総力を上げて、龍造寺家の本拠地 佐嘉(佐賀)城を攻めます。
大友家60,000に対して、龍造寺家は5,000。
誇張があるとは言え、よくも60,000もの将兵を一気に投入できたものです。



我が大友総力を挙げて、
龍造寺を叩き潰すのだ!
実数が40,000程度だとしても、一般的な「4万石で動員1,000」を考えると当時の大友家は160万石程度の実力となります。
広大な版図と貿易が盛んな博多などの港を押さえていたので、当時の大友家は、この程度の実力はあったのでしょう。
「押されつつある」とは言え、かなりの大大名です。



九州で数カ国の守護を兼ねる大友家よ!
龍造寺軍は、天然の要害にこもって、大友軍を迎え打ちます。



龍造寺など、ひとひねりよ!
有力な後詰が望めない中10倍以上の兵力差があり、大友家が圧倒的に優勢です。


この時致命的だったのは、「大友家が総力を挙げている」のにもかかわらず、宗麟自身が出馬していないことです。



軍勢に、大きな差がある。



私が出てゆかんでも、弟の親貞で十分!
軍勢も多く、立花道雪(上図で戸次鑑連)・吉弘鑑理らの優れた武将が大勢います。
親貞を出すくらいなら、立花道雪が総大将であった方が良かったのは間違い無い。
「勝って当然」の戦いだったからこそ、親貞を総大将にして「弟に花を持たせる」くらいな気持ちであった宗麟。
遠巻きに大軍勢で包囲した大友軍は、総攻撃を決定します。



造反した龍造寺は、もはや終わりよ!
余裕綽々の大友家。
あたかも、桶狭間の戦いに臨む、今川義元率いる大軍のような状況でした。


もはや、風前の灯火となった龍造寺軍。



少し調子に乗りすぎたか・・・
後悔して唇を噛む龍造寺隆信。



後悔先に立たず、か・・・
脇には義理の弟であり、智勇兼備の名将鍋島直茂が控えていました。





まだ、勝ち目はあります。