前回は「「戦国の先駆け」伊勢宗瑞からバトンタッチされた北条氏綱〜「今川の東の要」から関東へ殴り込んだ北条早雲・名門目指して「伊勢」から「北条」へ〜」の話でした。

満を持して登場した三代目・氏康

戦国有数の大大名であり、豊臣秀吉によって征伐された結果、「最後の戦国大名」となった北条家。
その割には、北条家の知名度は低く、全体的に地味な存在です。
伊勢新九郎という名前だった北条早雲によって、勃興した北条家は完全な「出来星大名」でした。

北条家は、この伊勢新九郎が
起こしたのだ!
「政所執事の伊勢」の流れを汲むと言われる伊勢新九郎(北条早雲)。
実際には、確かに「名門 伊勢の端」であったであろう新九郎。



私が今川家の
東を守りましょう!
「今川の東の守り」から力を伸ばしました。



領土を、
どんどん広げるのだ!



そして、名前を伊勢から
北条に名前を変える!



鎌倉幕府執権の
北条家にあやかって、関東を制圧する!
伊勢から北条に名前を変更した北条氏綱。
政治力・軍事力に長じていた氏綱は、ネーミングセンスも抜群でした。



なあなあ、
北条家は、最近やたらと強力だな・・・



「北条」ってまさか、鎌倉幕府執権の
北条家に連なる家柄か?



知らないが、
同じ「北条」だから何か関係あるんだろうよ・・・
実際に、「鎌倉幕府執権の北条に連なる者」という「良い誤解」を受け、さらに勢力を伸ばした北条家。
もはや「怖いものなし」の勢いでした。



伊豆から相模を制圧し、
武蔵を併呑する!


そして、まだまだ室町時代の「足利家による秩序」が強い影響力を持っていた関東。
関東地方では、鎌倉公方・古河公方が争い続け、関東管領の上杉家の力が強力でした。



川越城を奪取して、
上杉家の領土を傘下にするのだ!
武蔵をガンガン攻めて、北条氏綱率いる北条家は猛烈な勢いを持ちました。



北条家三代目の
北条氏康だ!
そして、氏綱が1541年に死去し、満を持して三代目の北条氏康が登場しました。
旧秩序の勢力から猛反発受けた北条氏康:鎌倉公方と関東管領の影響力


すでに「名門」となっていた北条家の家督を継いだ三代目・氏康。
1541年は、氏康が27歳(数え年)の頃で、若々しさと老練さを兼ね備えた人物でした。



さらに武蔵に侵攻を
続け、領土を拡大する!
名前 | 生年 |
毛利元就 | 1497年 |
北条氏康 | 1515年 |
今川義元 | 1519年 |
武田信玄 | 1521年 |
長尾景虎(上杉謙信) | 1530年 |
織田信長 | 1534年 |
島津義弘 | 1535年 |
羽柴(豊臣)秀吉 | 1537年 |
徳川家康 | 1542年 |
数多くの戦国大名の中でも、明らかに先輩格であった北条氏康。
そして、当時、後進地域でありながら、大きな米の生産力を持っていた関東。


近畿地方が高い傾向がある石高ですが、関東地方もまた大きな石高を持ちました。
北条氏康が武蔵に領土を広げ続けていた1546年頃、北条家は60万石ほどの力を持っていました。
当時、60万石程度の領土を持っていたのは少数で、かなりの大大名でした。



ゆけっ!
ゆけえっ!



我が北条の勢力圏を
ますます伸ばすのだ!
「出来星大名」の分際で、北条家は凄まじく勢いに乗り続けました。
守護・守護代・国衆(地侍)出身 | 大名 |
守護 | 武田家・大友家・島津家・今川家 |
守護代 | 長尾家(上杉家)・朝倉家 |
国衆(地侍) | 三好家・織田家・徳川家・毛利家・北条家・(豊臣家) |
ところが、まだまだ守護の権威が根強く残っていた当時。
北条家の勢力拡大に対しては、旧勢力の猛反発がありました。


まずは、北条家発祥の地であり、元々は「主家同然だった」はずの今川家。



北条は、我が今川の
「東の守り」だったはずだが・・・
「今川の東の守り」だった北条家が、石高では今川家と同等になってしまいました。
「格下だったはず」の家が、「対等になる」という事態に対し、旧秩序の名門今川家は猛反発しました。



許せんな・・・
北条を叩いて、東に領土を広げる!
守護であり、元は「主家同然」だった今川家が、駿河から相模に侵攻してきました。



我が武田家にとっても、
北条は目障りだな・・・
そして、こちらも旧秩序の名門である守護・武田家が北条家への侵攻を目論みました。
さらに、関東十カ国の事実上の最高権力者である、関東管領・上杉憲政。



おのれ、
北条めが・・・



守護でも守護代でも
ない分際で、大きな顔をしおって・・・



このあたりで、北条に
大打撃を与えておかねばな・・・
守護と関東管領から睨まれて、北条氏康は四方から攻撃を受ける立場となりました。



・・・・・



今川と武田と
関東管領上杉が・・・



さすがに、三者とまとめて
戦うのは不可能だ・・・
三代目・氏康は就任早々に、強烈な試練が押し寄せようとしていました。