前回は「尾張中心の清洲城を押さえて飛躍した織田信秀〜守護代重臣の織田家・越前と尾張と遠江と信濃と加賀の五ヶ国の守護斯波義重〜」
強運に恵まれた「戦国の覇王」織田信長

現代では「愛知県と言えば、名古屋」であり、名古屋は、世界的にも有名な大都市です。
愛知県は昔は「尾張」と呼ばれており、戦国時代までは「尾張(愛知県)と言えば、清洲」でした。

そして、「尾張と言えば、織田信長」です。

この織田信長は、
清洲の力、天下に覇を唱え始めたのだ!
織田信長の最初の本拠地は、清洲城であり、ここから織田信長の飛躍が始まりました。
名前 | 生年 |
毛利元就 | 1497年 |
北条氏康 | 1515年 |
今川義元 | 1519年 |
武田信玄 | 1521年 |
長尾景虎(上杉謙信) | 1530年 |
織田信長 | 1534年 |
島津義弘 | 1535年 |
羽柴(豊臣)秀吉 | 1537年 |
徳川家康 | 1542年 |
1934年生まれの織田信長は、ちょうど戦国時代の英雄たちの中央付近の年代となります。
この「年代が中央付近」は「たまたま」ではなく、「信長中心の戦国時代」だったためです。



この信長が、
日本の戦国時代の覇王なのだ!
織田信長が「戦国時代の覇王」となったのは、信長自身の能力が圧倒的に抜群だったのが理由です。
自ら「戦国最強の家臣団」を作り上げた織田信長の話を、上記リンクでご紹介しています。
そして、織田信長自身は極めて運が良かったのも事実です。
その一つは、信長自身が19歳(数え年、以下同)にして、莫大な財産と領土を相続したことでした。
「尾張の都」だった清洲:一気に隣国美濃に侵攻した織田信秀の着眼点


優れた闘将であり、政治力に長けた父・織田信秀によって、信長の織田家は一気に勢力を広げました。



この信秀が、この尾張を
治めてくれる!



さらに美濃にまで、
侵攻してくれる!
勢い余った信秀は、隣国であった美濃に侵攻しました。
・尾張北四郡:岩倉織田家(伊勢守)
・尾張南四郡:清洲織田家(大和守)
もともと尾張南四郡の清洲織田家の三奉行の一人だった信秀が、尾張の北の美濃に攻め込みました。
おそらく、信秀の美濃侵攻の頃、信秀は主筋の清洲織田家を上回る存在だったと思われます。


それにしても、まだ「尾張北方に蟠踞していた岩倉織田家」が健在なのに、



岩倉織田家との
決闘も大事だが・・・



一気に美濃を
切り取って見せる!
「さらにその北の美濃」を攻めた織田信秀。
それには、大きな理由がありました。



我が尾張では、
守護の武衛様(斯波家)がいる・・・



そして、その武衛様を
形式的とはいえ、「お飾り」にしている・・・
時は下剋上の戦国時代とはいえ、「守護の権威」は、ある程度健在でした。



美濃では、斎藤道三とか
いう奴が、・・・



守護・土岐家を
追い出したらしい・・・
その「守護を追い出した=守護不在」であった美濃は、信秀から見たら、



守護不在の
美濃は切り取りやすいのでは・・・



さらに地元の尾張で勢力を
伸ばしたいが・・・



武衛様の手前、
あまり派手には出来ん・・・



よしっ!
一気に美濃へ攻め込んでやる!
足元の尾張よりも隣国・美濃の方が「切り取りやすい」と考えたのでしょう。
守護・守護代・国衆(地侍)出身 | 大名 |
守護 | 武田家・大友家・島津家・今川家 |
守護代 | 長尾家(上杉家)・朝倉家 |
国衆(地侍) | 三好家・織田家・徳川家・毛利家・北条家 |
武士階級外 | 豊臣家・斎藤家(諸説あり) |
まだまだ、信秀の頃の戦国時代は「守護の権威」が盛んであり、当時の大名は守護の系列が多数でした。
さらに、信秀が「美濃の斎藤家打倒」を考えたのには、大きな理由がありました。



そもそも、斎藤道三とか
いう奴は、油屋だったらしい・・・



才覚に長け、
美濃を奪い取ったらしいが・・・



商人如きに
何が出来る・・・
斎藤道三が油屋出身の商人(諸説あり)であることもまた、信秀に自信を持たせました。
現代では、斎藤道三は「二代目」であり、「道三の父が美濃で成り上がった」のが通説となっています。
いずれにしても、道三、または道三の父は、信秀のように「守護代に仕えた身分」ではなかったのでした。



美濃の領土を思い切り
奪ってくれるわ!





馬鹿め・・・
この道三を舐めるな!



くくっ!
美濃衆は強い・・・



そして、あの道三の
魔術的な采配は、なんだ・・・
勢い込んで、最大動員の数千の手勢で美濃に一気に侵攻した信秀でしたが、道三に完敗しました。



この俺が
完敗するとは・・・



あの今川家にも
痛撃を喰らわせた、この俺が・・・
信秀は茫然自失となったでしょう。



この道三は、
戦国切っての軍事能力を持つ!



そして、泉の如く
湧き出る智謀もある!
極めて優れた武将であった信秀でしたが、道三では「相手が悪すぎた」のが現実でした。


足元・尾張が固まっていないにも関わらず、信秀が隣国まで遠征できたの理由は「清洲の富」でした。



清洲を押さえたから、
尾張の富は、ほぼ全て織田家へ!



この富で、軍事力を
増強したのだ!
そして、清洲が「尾張の都」であった点も重要でした。


清洲城内には、信長の頃の清洲城及び周辺の街並の復元模型が展示されています。
川に囲まれた「優雅な大都市」だった尾張。
信秀・信長の飛躍の根源こそ、ここ清洲城でした。
次回は上記リンクです。