織田信長と織田四天王の圧倒的能力〜異質な超強力織田家抜擢軍団・出来星大名だった織田家・強力なパワー有した戦国時代の守護大名〜|織田信長13・人物像・エピソード

前回は「戦国の覇王・織田信長が睨んだ「日本の中心」京〜「至極常識的な戦法」の上洛戦・義景と信長の間を取り持つ若者長政・朝倉と足利の「両属家臣」だった明智光秀・激怒した朝倉義景〜」の話でした。

戦国大名 織田信長(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)
目次

出来星大名だった織田家:強力なパワー有した戦国時代の守護大名

新歴史紀行
1560年の織田家勢力図(別冊歴史人 「戦国武将の全国勢力変遷地図」KKベストセラーズ)

事実上、戦国時代に「ピリオドを打った」織田信長。

織田信長

私が日本の戦国時代を
終わらせたのだ!

信長の織田家は信秀の代に勃興しましたが、もともとは「尾張守護代の清洲織田家」の三奉行の一人の立場でした。

つまり、「大した家柄ではなかった」のが織田家でした。

守護大名と戦国大名

守護大名:元々守護であった家・組織が軍事力を強化して大名化

戦国大名:元々は国衆や地侍等の「軽い身分」だった家・組織が軍事力を強化して大名化

戦国時代には、守護大名と戦国大名が登場し、守護大名の方が「正統派」でありました。

守護・守護代・国衆(地侍)出身大名
守護武田家・大友家・島津家・今川家
守護代長尾家(上杉家)・朝倉家
国衆(地侍)三好家・織田家・徳川家・毛利家・北条家・(豊臣家)
戦国期の大名の家柄:守護・守護代・国衆(地侍)
織田信長

確かに、我が織田家は
守護でも守護代でもないが・・・

織田信長

世は戦国時代であり、
武力と経済力を持つものが勝つ!

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左上から時計回りに、戦国大名 武田信玄、島津義弘、大友宗麟、今川義元(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研、Wikipedia)
武田信玄

我が武田家は
甲斐源氏の名門であり・・・

武田信玄

甲斐一国を完全支配下にする
守護である!

武田信玄の武田家は、かなりの名門であり、守護から守護大名へ、そして戦国大名となりました。

島津義弘

我が島津は
鎌倉以来の超名門・・・

鎌倉の初期には、薩摩・大隅以外にも越前守護もかねていた島津家もまた、超名門でした。

島津義弘

他の戦国大名と
我が島津を一緒にするな!

島津家と朝倉家の琉球貿易をめぐる「不思議な関係」の話を、上記リンクでご紹介しています。

大友宗麟

我が大友家は、
もともと豊後の守護であり・・・

大友宗麟

最盛期には九州六カ国の
守護を兼ねたのだ!

戦国時代は格式や秩序が壊れ、乱れていましたが、こういう時代だからこそ「権威は大事」でした。

信長が信秀から継いだ頃は、尾張半国弱の勢力であり、

織田信長

尾張を統一して、
世に打って出てみせるわ!

若き青年武将だった信長は、尾張統一戦を戦い抜きました。

織田信長と織田四天王の圧倒的能力:異質な超強力織田家抜擢軍団

新歴史紀行
織田家重臣 柴田勝家(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)

この尾張統一戦のプロセスにおいて、一度は対立した弟・信勝(信行)の配下だった柴田勝家に対し、

織田信長

権六の軍事力は
使える!

織田信長

権六よ!
私に叛逆した罪は許すから、私に仕えよ!

柴田勝家

ははっ!
有り難き幸せ!

まず、譜代家老の柴田勝家を抜擢した信長。

v
織田家重臣 佐久間信盛(Wikipedia)
織田信長

佐久間信盛は、
佐久間一党を率いている有力者!

織田信長

信盛よ!
我を支えよ!

佐久間信盛

ははっ!
信長様に尽くします!

新歴史紀行
桶狭間の戦い(Wikipedia 歌川豊宣画)

信長の「事実上のデビュー戦」である桶狭間の戦いでは、佐久間家は、信長のために「捨て石」となり、

佐久間大学

信長様を
お守りするのだ!

一族の佐久間大学は砦に立て籠もり、今川家の大軍を一手に引き受けて、討死しました。

佐久間信盛

我が佐久間家は
信長様ファーストだ!

後に追放される佐久間信盛ですが、相応の能力を持っていた武将でした。

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織田家重臣 滝川一益(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)
織田信長

滝川一益は、
忍びの出身らしいが・・・

織田信長

知恵も周り、
軍事力もある・・・

織田信長

一益よ!
伊勢を攻略せよ!

滝川一益

はは〜、
お任せを!

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織田家家臣 羽柴秀吉(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)
織田信長

猿は、
農民の出身らしいが・・・

織田信長

とにかく使える・・・
何事にも役立つ・・・

織田信長

猿よ!
我が織田のために尽くせ!

羽柴秀吉

はっ!
信長様のために!

こうして、他家であれば基本的に「譜代の家臣を重視する」のに対して、

織田信長

我が織田家は、
譜代の家臣も大事だが・・・

織田信長

積極的に人材を
登用するのだ!

織田信長

俺のこの目で見て、
その人物を評価する!

実際、織田家の中核にあって支え続けたのは、

佐久間信盛

林秀貞殿や
権六と一緒に織田家のために!

佐久間信盛・林秀貞・柴田勝家などの譜代家臣たちが多かったが事実でした。

今川義元

我が今川家の
中核は当然譜代の重臣たち・・・

今川義元

新参者など
信用できんわ!

一定の名将であった今川義元は、発想は「守護時代そのもの」であり、今川家全体が古びた発想でした。

と言っても、今川義元の発想が「普通」であり、信長の発想が「斬新すぎた」のが事実でした。

こうして、譜代と新参者をミックスした織田家家臣団は、

織田信長

この信長の指示通りに、
各地で戦うのだ!

信長の指示通りに働き、「戦に次ぐ戦」を経験したこともあり、急速な勢いで圧倒的な力を持ちました。

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1567年の織田家勢力図(別冊歴史人 「戦国武将の全国勢力変遷地図」KKベストセラーズ)
織田信長

よしっ!
美濃を奪取し、天下布武だ!

そして、美濃を奪取した頃には、織田家家臣団は「完成」していました。

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足利家家臣 明智光秀(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研)
明智光秀

足利義昭様の
家臣の明智光秀です・・・

織田信長

むう、明智光秀は、
我が家臣団には「ない」ものを持っておる・・・

織田信長

軍事力は権六(柴田)と佐久間、
それに森長可や坂井政尚がおり・・・

織田信長

軍事に加えて調略は、
猿(秀吉)や一益がいる・・・

織田信長

光秀は築城術や政治力に
長けており・・・

織田信長

軍事力は権六や
猿にも劣らんようだ・・・

織田信長と明智光秀は、運命的な出会いを果たしました。

織田信長

光秀よ!
私に仕えよ!

明智光秀

ははっ!
信長様のために!

名前生年(一部諸説あり)
織田信長1534年
林秀貞1513年
柴田勝家1522年
滝川一益1525年
明智光秀1528年
佐久間信盛1528年
丹羽長秀1535年
羽柴秀吉1537年
織田信長と織田家重臣の生年

こうして、「すでに完成」していた織田家の「超有力異質家臣団」に明智光秀が加わり、

織田信長

これで、人材において、
我が織田家に匹敵できる大名はない!

完成を超えた「超完成」の圧倒的能力を持つ「最強織田家臣団」が完成しました。

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織田信長と織田四天王:柴田勝家、明智光秀、羽柴秀吉、滝川一益(歴史群像シリーズ 図説・戦国武将118 学研、Wikipedia)

特に、織田四天王である柴田勝家・滝川一益・明智光秀・羽柴秀吉の能力は超一流であり、

織田信長

やつら四人は、少なくとも
日本の半分を治められるだろう・・・

信長に「しごかれた」四天王中心とする織田家臣団は、持ち前の能力に磨きをかけてゆきました。

この「戦国でただ一つ」の「譜代と新参者ミックスの究極異質軍団」が日本を席巻したのでした。

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