生命を救われ島流しとなった西郷隆盛〜藩士を大事にした薩摩藩・奄美大島での三年・天敵島津久光との「凍りついた」対面〜|西郷隆盛11・人物像・エピソード

前回は「「日向送り」の月照と共に入水図った西郷隆盛〜安政の大獄・逮捕された「反体制派」吉田松陰と橋本左内・一気に逆上してエスカレートした井伊大老〜」の話でした。

目次

生命を救われ島流しとなった西郷隆盛:藩士を大事にした薩摩藩

新歴史紀行
筑前福岡藩士 平野国臣(Wikipedia)

月照どん、
一緒に死ぬごわす!

月照と共に薩摩へ逃避行した西郷は、月照を見殺しにするわけにいかず、一緒に入水しました。

さ、
西郷さん!

すぐに平野国臣たちが西郷を救い出しましたが、月照は亡くなりました。

小柄だった月照と比較して、大男だった西郷のみ生き残ったのは、少し不自然ではあります。

海の中に西郷のような大男が入水して、救い出すことは、極めて大変なことです。

「救い出そうとした方が一緒に亡くなる」ケースも多く、現代でも水難事故は多数あります。

この「西郷+月照入水」の真相は闇ですが、いずれにしても「死の寸前から復活」した西郷。

生き残って
しまった・・・

第10代島津藩主 島津斉興(Wikipedia)

月照は
死んだか・・・

西郷は、あの憎き斉彬の
側近だから、どうでも良いが・・・

長男・斉彬を毛嫌いし、側室が産んだ子・久光を好んでいた島津斉興。

「幕末指折りの名君」と言われる島津斉彬と比較すると、実につまらない男である斉興。

だが、我が薩摩は
藩士を大事にするのだ・・・

藩士・武士の数

・普通の藩:「全人口の5%程度」が藩士・武士

・薩摩藩:「全人口の26%程度」が藩士・武士:他の藩の5倍

藩士が異常に多かった薩摩藩は、とにかく「藩士・武士で成り立つ異質な藩」でした。

西郷は
奄美大島へ送れ!

つまり、

徳川幕府の追及の
ほとぼりが冷めるまで、奄美で潜伏しろ!

ということでした。

奄美大島
ごわすか・・・

不本意な「島流し」となってしまった西郷ですが、「生命を救われた」ことになりました。

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薩摩と海(新歴史紀行)

現代の感覚で見ても、薩摩からは「かなり遠い」島の奄美大島。

奄美大島は「薩摩と琉球の中間で、琉球寄り」の位置にありました。

当時、周囲の島々を支配下に置き、周辺の海も支配下に収めていた巨大な藩だった薩摩。

奄美大島に
来たごわす・・・

そして、奄美大島に到着した西郷は、「薩摩と全然違う」状況に驚愕しました。

この時、33歳だった西郷は、現代でいうと38〜40歳頃になります。

いわば、「40歳前後の体力・気力・知力あふれる時期」に「島流し」となった西郷。

この人、
誰?

言葉が
分からん・・・

一時は島津斉彬の命令で江戸で活躍した西郷は、薩摩藩士の中でも「江戸を知る」希少な存在でした。

一時は、
江戸で活躍したが・・・

こんなところに
しばらく居なければならんごわすか・・・

もともと、かなり横暴な性格だった西郷は、イライラが募りました。

奄美大島での三年:天敵・島津久光との「凍りついた」対面

新歴史紀行
薩摩藩士 大久保一蔵(利通)(国立国会図書館)

この頃、西郷の同志、というよりも義弟のような存在だった大久保一蔵(利通)へ送った手紙では、

ここの人たちは、
けとうじん(毛唐人)で・・・

この人たちは、
毒蛇みたいな連中で・・・

と奄美大島の人々を侮辱・見下すような視線で、見ていた西郷。

ところが、しばらくすると、奄美大島の独特の雰囲気に同化した西郷は、

まあ、この島の
環境も良か・・・

島の娘・愛加那と結婚して、子どもも生まれた西郷。

まあ、昔は随分
暴れ回ったごわすが・・・

もともと、かなり問題がある性格であった西郷は、奄美大島の雰囲気で「柔軟性」を身につけたでしょう。

西郷隆盛の島流し

奄美大島:1859年2月〜1962年2月

結局、3年近くもの長きに渡り、奄美大島にいた西郷。

1961年の中頃から、大久保利通はじめ精忠組が西郷の帰還運動を開始しました。

そろそろ、
頃合いは良いだろう・・・

この頃、事実上の藩主(国父)だった島津久光。

New Historical Voyage
薩摩国父 島津久光(国立国会図書館)

我が島津の力で、
幕府を改革するぞ!

久光様!そのためには、
江戸や中央政界に明るい吉之助さぁが必要です!

西郷は
大嫌いなのだ!

しかし、吉之助さぁが
いなければ、我が薩摩は、なかなか中央に出られません!

・・・・・

島津斉彬と比較すると、「愚鈍の君主」のように扱われることが多い島津久光。

実際には、かなりの政治能力を有する優れた人物でもありました。

まあ良い・・・
分かったから、西郷を呼び戻せ!

ははっ!
直ちに手配します!

こうして、大久保たちの力によって、奄美大島から呼び戻された西郷。

薩摩に来るのは、
三年ぶりごわす・・・

「浦島太郎状態」の西郷は、まず「天敵の島津久光と会う」という大事な仕事がありました。

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仙巌園(新歴史紀行)

久光様・・・
西郷ごわす・・・

おう!
西郷か!

はっ
・・・・・

・・・・・

生涯「すれ違う」関係となった西郷隆盛と島津久光の対面は、ギクシャクを超えて緊張が走りました。

西郷!
私は、これから江戸に出てゆく!

お前は江戸で活動して、
色々と知り合いがいるだろう・・・

だから、我が薩摩の窓口となり、
江戸・京で私が活動するのを援護するのだ!

とにかく、絶対君主であり「いつでも切腹を命じる権限」があった人物にこう言われたら、

承知致しました!
お任せください!

と言うのが当然でしたが、「性格に大きな問題がある」西郷は違いました。

あなたのような地ゴロ(田舎者)
では無理です・・・

!!!!!

この言葉で、周囲は緊張を超えて凍りつきました。

こ、こやつ!!!
私に対して!!!

もともと「西郷が大嫌い」な上に、「怒りに火を注いだ」西郷に対して、怒り心頭の久光。

普通はここで「物別れ」に終わりますが、久光もまた相応の人物でした。

とにかく、お前は先に出発し、
馬関(下関)で私を待て!

良いな!
分かったな!

ここまで言われては、「薩摩藩士であり島津家臣」の西郷は、応じるしかありません。

はっ・・・

島津久光が吸っていた銀製のキセル(タバコ)には、クッキリと歯形が残りました。

そして、西郷は薩摩から馬関へ向かいましたが、さらに大きなドラマが控えていました。

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